松岡修造は全てを応援に注ぎ込む 東京2020を集大成にしたい

松岡修造は全てを応援に注ぎ込む 東京2020を集大成にしたい

熱い男が書いたメッセージ

 20年前に現役を引退して以来、ジャンルを問わずスポーツの醍醐味を熱く伝える松岡修造(50)。スポーツキャスターという枠を超え、「応援こそ我が人生」と語るそのエネルギーの源は何か。

「僕にとって誰かを応援するということは、生きがいであり喜びです。応援すること以外にやりたいことが見つからないし、実際今はすべてを“応援”に注ぎ込んでいます」

 選手として3回出場したオリンピックは特に思い入れがあり、平昌冬季五輪での熱量の高いレポートは記憶に新しい。その松岡が「集大成にする」と意気込むのは、2年後に控えた東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、東京2020)だ。

「僕が目指しているのは、選手たちが普段口にすることのない心の声を引き出し、その声を伝えることで選手たちの応援団を増やすということ。さらにもう一歩踏み込んで、2020年に向けて何かを頑張っているすべての人を本気で応援していこうと思っています」

 東京2020での活躍を目指すアスリートだけでなく、2020年に向けて何かに努力するすべての人を応援することで、東京2020への参加者意識を高めたいという。4月から『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)内に新コーナー「松岡修造の2020みんなできる宣言」がスタート、松岡自身が全国を回り応援の輪を広げている。

「現役時代は自分のことだけを考えていればよかった。『世界ランキング100位以内に入る』という明確な目標があり、それだけしか考えていませんでした」

 1995年のウィンブルドンでは日本人男子として62年ぶりにベスト8に進出、同大会での通算7勝は錦織圭に抜かれるまで日本人最多勝利だった。名実ともに日本男子テニス界の頂点を極めたが、その道のりは決して平坦なものではなかった。

 慶應高校から、自らの決断でテニスの名門である福岡・柳川高校に転校。曾祖父に阪急グループの創始者・小林一三を持つ家柄から、東宝社長だった父・松岡功には「テニスなど辞めてしまえ」と反対された。

 ただ、テニスが好きだった松岡は、父の反対を押し切り単身渡米、日記を英語で書くなどして言葉の壁を乗り越え、プロを目指した。プロになってからも、両膝の半月板の損傷や左足首の靭帯断裂など、選手生命にかかわる大怪我に見舞われた。

「辛いことばかりでしたが、だから今の自分があるんです。何で俺ばっかり怪我するんだと、やり場のない絶望感に挫けそうになりましたが、このままでは前に進めないと気づいた。『痛めたこの膝でもできる自分だけのプレーがあるんじゃないか』と、考え方そのものを変えました」

 ポジティブ思考の代名詞と誰もが認める松岡だが、「本来は超ネガティブな人間なんです」という。

「だからこそメンタルトレーニングを続けてきたし、前向きな気持ちを常に持つように鼓舞してきました。しかし、指導する立場ではいつもポジティブというわけにはいきません。精神論を受けつけない子供もいるので、具体的にどうすべきかを論理的に説く。冷静で沈着な一面もあるんですよ(笑い)」

 気さくで旺盛なサービス精神は期待を裏切らない。どんなポーズにもふたつ返事で応えてくれる。

「自慢じゃないけど、人を盛り上げる才能は誰にも負けない」

●まつおか・しゅうぞう/1967年、東京都生まれ。10歳から本格的にテニスを始め、1986年にプロ転向。1992年には、シングルで当時日本人最高位の世界ランキング46位を記録。1995年、ウィンブルドン世界選手権で日本人男子として62年ぶりにベスト8に進出するなど、日本を代表するプロテニスプレーヤーとして活躍。現在はジュニア育成とテニス界の発展のために力を尽くす一方、『報道ステーション』(テレビ朝日系)など、メディアでも幅広く活躍中。

■撮影/平郡政宏、取材・文/大西展子

※週刊ポスト2018年6月29日号

関連記事(外部サイト)