フジテレビから中継、引退撤回… 『生さだ』事件の舞台裏

さだまさしラジオ「今夜も生でさだまさし」で飯塚英寿氏と井上知幸氏対談「60歳引退」

記事まとめ

  • さだまさしラジオ「今夜も生でさだまさし」で飯塚英寿氏と井上知幸氏の対談が行われた
  • 飯塚氏とさだは91年「紅白歌合戦」の楽屋で話したようでそれ以来のお付き合いとのこと
  • 「さださんは飽きっぽい」「60歳で引退を考えていた」などさだまさしの裏側話となった

フジテレビから中継、引退撤回… 『生さだ』事件の舞台裏

フジテレビから中継、引退撤回… 『生さだ』事件の舞台裏

ぶっつけ本番の人気番組『生さだ』の舞台裏とは?

 さだまさしラジオのDJスタイルで軽妙なトークを展開する『今夜も生でさだまさし』(NHK総合、通称『生さだ』)。視聴者がハガキで寄せる質問や悩みに対して、さだが豊富な知識と経験を生かしながら、台本なしで答える深夜の生放送番組だ。さだの素顔を探る短期集中連載の第2回は、『生さだ』プロデューサーの飯塚英寿氏と、番組でさだの隣に座る構成作家の井上知幸氏の対談を紹介。ぶっつけ本番の人気番組の舞台裏とは?

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飯塚:さださんとは1991年の『紅白歌合戦』の楽屋で話した記憶があってそれ以来のお付き合いです。その前はちょっと覚えてない(笑)。さださん、新しい番組企画に興味がある方なんで、「なんか面白いことやろうよ」といろんなネタを持ってきてくれる。で、いよいよ番組を立ち上げようということになって……。

井上:さださん行きつけのホテルのバーに呼び出されたんです。飯塚さんから「企画があるから来ないか」と。さださんと面識はありましたが、きちんと話したことはありません。滅多にテレビに出ない人でしたし、演出家と大ゲンカして『紅白歌合戦』を降りたという話を耳にしていたので、僕の中では“怖い人”というイメージ。実は行く前からビクビクしていて、内心、嫌でした(笑)。ところが会ってみたら、気さくで冗談ばかり。まったくふざけた方でした。

飯塚:それで3人で毎週のように会って話すようになりました。私は当時主流の「作り物」が嫌で、そうじゃない番組を作りたかったんですが、その流れで、「どこかへ行きたいですね」となった。そしたらさださんが「そういえば頼まれて岐阜の谷汲村(たにぐみむら)ってとこの村の歌を作ったけれど、一度も行ったことがない」と。「無責任ですね~」と返しながら、「じゃあそこに行ってみましょう」ということになった。

井上:その時のさださんが、「旅番組は多いけれど必ず行く前からカメラが待ち構えている。それはおかしい」「約束事のない旅番組をやってみたい」と言う。これに飯塚さんも僕も食い付いたんです。当時は誰もやっていなかった。

飯塚:これはさださんのネタになってるんだけど、「飯塚は番組で一緒に旅するとしたら、キレイな女性がいいと言った」と。そんなこと言ってないんだけど(苦笑)、結局、さださんの希望で、鶴瓶さんと一緒に谷汲村に旅に出ることになりました。

井上:最初の台本は、『素晴らしきニッポン』というタイトルでした。

飯塚:実際は、『さだ&鶴瓶のぶっつけ本番二人旅』というタイトルで1995年の夏に放送しました。最初から、ロケで完結させないで、スタジオでまとめる形にしたかったんです。

井上:2人で谷汲村に下見に行きましたね。役場にはきちんと話を通しましたが、雑誌記者だと嘘をついて極秘で取材をしました(笑)。NHKの番組が来るとばれてしまうと、普通の旅番組と変わらなくなってしまいますので、できるだけ内密にと。

飯塚:やってみて初めてわかったんですけど、さださんは極度の人見知り(笑)。前から高校生が歩いてきても、すーっと離れていく。逆に鶴瓶さんは人頼み。今でもそうですけど勘が働くのか、これぞ、という人を見つけ出す。人見知りと人頼みのコントラストが最高におかしくて、番組として成立したんです。

井上:さだ・鶴瓶コンビの特番は、結局3回でしたね。

飯塚:さださんは飽きっぽいんですよ(笑)。3回で精一杯。

井上:そういえばカメラもすぐ飽きますよね(笑)。

飯塚:さださんはカメラ好き、ガジェット好き、新しい物好き。iPadも誰よりも早かったし、アップルウオッチも「もうしてる!」と驚かされたけど、次に会った時にはしていない(笑)。早くから作曲にマックも使ったし、とにかく最新のデジタル機器に反応する。でもマスターするとすぐに飽きる。カメラもキヤノンの5D、7D、ソニーのミラーレス一眼……といつも新型を持っているけど、すぐにあげちゃう。

井上:iPhoneもいつも新型を持ってますもんね。でも使うのはなぜかガラケー(笑)。

◆さだまさしは「60歳で引退」を考えていた

飯塚:『生さだ』も100回をとうに超え、いろんなハプニングや出来事がありましたが、2008年10月にお台場のフジテレビから『生さだ』を放送したのは、結構な事件だったんじゃないかなあ。

井上:当時のフジテレビ編成制作局長から『眉山』の映画化PRのハガキが来て、普通、フジの社員の手紙をNHKで読む、ということはあり得ないんですが、『生さだ』だからできてしまった。

飯塚:それでさださんが、「読んであげたんだから、お礼にスタジオを貸してよ」と無茶振りしたもんだから大変なことになって(苦笑)。フジの協力を得て、球体展望台の中からフジテレビの技術のスタッフによって、映像をNHKに飛ばしたという。さださんはこういうトライを非常に面白がってくれて、積極的に乗ってくれるんです。

井上:僕は、東日本大震災の1カ月後に急遽放送した回が印象に残っていますね。

飯塚:あの時、さださんに、「これ、やれたらやりますか」って言ったら「やろう!」って即決してくれて。放送枠がない時点での編成への提案だったんですが、うまく空きを見つけてくれて、さださんもスケジュールを調整してくれました。被災地の人はテレビが観られない、という理由で、ラジオでも放送しました。

井上:観覧の方も入れずに、スタッフのみ。インフラの復旧などの問題もあったので、この時は特別にメールでもお便りを募集しました。2000通以上集まったのを覚えています。そのあといろんなところで口にされてますけど、さださん、実は60歳で引退しようと考えていたそうなんですね。この時59歳ですから、翌年の2012年には辞めようと思っていたということです。「俺は何をバカなことを考えていたんだろう。まだまだ必要とされる自分がいるなら、続けていくのが『さだまさし』じゃないか」とおっしゃっていました。

飯塚:あの放送は、「何か聴いている人に意味のあることを届けたい」という思いがありました。テレビというメディアは、面白ければいいじゃないか、というスタンスで走り続けてきた側面もあるんですが、面白さやスピードだけになってしまうと、芯がなくなってしまう。そうじゃなくて、伝えるべきものをきちんと伝えようよという思いが、さださんにもスタッフの中にもありました。

井上:やっぱり最初は笑っちゃいけないんじゃないかとか、余計なことを考えてしまって、さださんも硬かったですね。でもだんだん普段の調子に戻ってきて。で、最後に何を歌うか、さださん、すごく迷ったんです。「歌わない」という選択肢もあったんですが、さださんは「歌手として歌を届けたい」と。内心、しんみりとした歌で終わるのかなと思っていたら、さださんが選んだのは『春爛漫』。軽快な歌を、しかも途中笑いを誘いながら歌ったんです。最後に楽しく明るい笑顔で終わったというのは、非常に印象的でした。ああ、自分たちが届けないといけないのは、こういうものなんだと、改めて気づかされました。

飯塚:『生さだ』は業界にもファンが多くて、番組内で「隠れ『生さだ』ファン大集合!」と題したコーナーをやったことがあるんですが、その時は五十音順に、赤坂泰彦さん、大杉漣さん、小田和正さん、佐渡裕さん、笑福亭鶴瓶さん、徳永英明さん、登坂淳一さん、中島みゆきさん、南原清隆さん、東山紀之さん、森山直太朗さん、吉永小百合さんの12名の方を紹介しました。吉永さんは番組に直筆ファクスを送ってくれたんですが、さださん、大事そうに持って帰りましたもん(笑)。

井上:松坂慶子さんはスペシャルに出ていただきましたし、他にも爆笑問題の太田光さんとか、日本ハムの栗山英樹監督とか、いろんな方が観てくれているようです。

飯塚:さださんが「嫌だ」と言わない限り、これからも『生さだ』は続けていけるように頑張ります。皆さんもぜひご覧ください。……さださんはともかく、自分たちスタッフの体力が持つのか心配ですが(笑)。

※さだまさしとゆかいな仲間たち・著/『うらさだ』より

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