『昭和元禄落語心中』岡田将生と山崎育三郎はなぜ清々しいのか

『昭和元禄落語心中』岡田将生と山崎育三郎はなぜ清々しいのか

凄みを感じさせるドラマ(番組公式HPより)

 役者にとって極めてチャレンジングな作品であることは間違いないだろう。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏にはどう映っているか。

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「外から連れてくる」と書いて「外連」。けれんと読む。「外連味」に引っ張られ、魅せられてしまうドラマがあります。金曜午後10時『昭和元禄落語心中』(NHK総合)です。

 物語は──落語家八代目・有楽亭八雲(岡田将生)と、兄弟のように育ったライバル・天才落語家の助六(山崎育三郎)、二人の数奇な人生を軸に展開していきます。

 「外連」とは演劇用語で、主に歌舞伎で客の意表をつくような演出手法のことを指します。例えば舞台の上を飛ぶ「宙乗り」や、道具・背景を崩す「屋台崩し」、次々に別の人物に変身する「早変わり」、本物の水を使う「本水(ほんみず)」といった、スペクタクル的演出のことを指すことが多い。

 ですが、実は「外連」とは見世物的な演出に限らず、「本来所作事の一つの動作としての劇術であり,さらに歌舞伎の舞台機構,装置,衣装,かつらなどの発達を促進させたもの」(ブリタニカ国際大百科事典)。

 そもそもは「外」の流派の節で語ることから始まった「外連」。つまり、他の領域から様々な演出アイディアを取り込むことで、見たことのない異化効果を演劇にもたらす手法、と解釈できるでしょう。その意味で『昭和元禄落語心中』はまさに「外連味」に溢れています。

「落語」という現代ドラマの「外」にある伝統芸を取り込み、落語の稽古を重ねた役者たちが芸から吸収したもの武器にして物語を展開させていく。「テレビドラマ」という枠の中に伝統的な芸を接続させた実験が、実に新鮮です。

 落語家の風体に所作、語り口。噺の間合いと身振り手振り、羽織の脱ぎ方、扇子の扱い方、お辞儀の仕方、お茶の飲み方。芸というものは本当に難しいものだと実感。簡単には真似することのできない領域だとつくづく思います。

 それもそのはず。これまで長い時間をかけたくさんの芸人が必死に練り上げてきた結晶だから。今の役者がちょっと真似ようか、というノリでやっても無理でしょう。

 このドラマは、そうした「芸の厳しさ」を自覚しています。落語家を演じることがいかに難しいかということを痛いほど感じ、そこから出発し、なんとか格闘しようとしている。その自覚と努力がヒシヒシと感じられるからこそ、いいのです。

 江戸っ子に言わせれば、彼らの江戸弁には緩急と速度感が足りないし八雲の「あたしは…」という語り口なんて一定調子でまったりしすぎ。しかし、疑問が浮かんだとしても、「そんなこと、まあどうでもいいか」と思わせてくれる迫力がある。まさしくこのドラマの凄さです。

 岡田さんと山﨑さんは共に人気役者であり、これまでドラマやミュージカルで築いてきた実績も経験もある。しかし、安住することなく新境地を拓こう、と全身で挑んでいます。壁に向かって挑戦する人の緊張感、勝負する姿が清々しい。視聴者も、落語のレベルや筋書き以上に、役者の存在そのものの凜とした様子に引き寄せられてしまうのでしょう。

 あらためて考えてみれば、日本のテレビドラマは登場人物の感情や心理、人間関係を細かく描いたり、事件の秘密・謎を解くといったいわばストーリー・筋立てが中心の作品が多かった。それはそれで大切な土台ですが、『昭和元禄落語心中』のように、加えて落語芸という「外」のアイテムを丁寧に慎重に上手に取り込めば、大きな飛躍が生まれる。こうしたアプローチ、ドラマ界に新風を吹き込む可能性もあるのではないでしょうか。

 ……と書いているさなか、ディーン・フジオカさんが再び世界的名作のドラマ化に挑戦、というニュースが流れてきました。来年1月6日のスペシャルドラマ『レ・ミゼラブル』(フジテレビ系)。ディーンさんと世界的名作といえば、今年4月に放送された連ドラ『モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―』を思い出します。19世紀の小説・デュマの『巌窟王』をベースにして、舞台を平成の日本に置き換えるという独特の外連味たっぷりの手法で、素晴らしいドラマに仕上がっていました。

 来年の『レ・ミゼラブル』も前回と同じ制作スタッフが揃い、19世紀の世界的名作の現代ドラマ化に挑むらしい。また新たな「外連」的手法による秀作が生まれることを、心から期待します。

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