天皇陛下もファンを公言していた「柏原芳恵」の功績

天皇陛下もファンを公言していた「柏原芳恵」の功績

1986年、コンサートで熱唱する柏原芳恵さんと浩宮親王(当時。写真:時事通信フォト)

 元号が平成から令和に移り変わり、新しい天皇陛下が即位されたことで、ある芸能人に注目が集まっている。1980年にデビューし、『春なのに』などのヒット曲で知られる柏原芳恵(53)だ。20代の頃の天皇陛下(当時の浩宮親王)は、柏原のファンを公言。1986年10月19日、新宿厚生年金会館で開かれたデビュー7周年リサイタルには、『プリンセス・サヤコ』というピンクの薔薇を東宮御所の庭から一輪切り取って持参し、プレゼントした。

 柏原といえば、中学2年生だった1979年10月、『スター誕生!』(日本テレビ系)決戦大会で最優秀賞を獲得。翌年6月1日、『スタ誕』の審査員である阿久悠氏の作詞、都倉俊一氏の作曲というゴールデンコンビの作品『No.1』でデビューを果たす(当初は『柏原よしえ』名義)。芸能研究家の岡野誠氏が話す。

「1980年の新人は粒ぞろいで、日本レコード大賞の新人賞には田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、松村和子、岩崎良美が選ばれ、柏原は選考から漏れました。山口百恵が引退し、アイドル新時代の幕開けの中、最初から順風満帆というわけではありませんでした」

 デビュー2年目の1981年、『ハロー・グッバイ』で初のオリコンベスト10入りを果たす。当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では12月3日に7位で初めてランクイン。翌1982年1月28日まで8週連続で名を連ね、最高位4位に。同曲は、アグネス・チャンの『ハロー・グッドバイ』のカバー曲であることも話題になった。

『ハロー・グッバイ』のヒットもあり、1981年の日本レコード大賞では同期デビューの田原俊彦、松田聖子、河合奈保子と共に、『ゴールデン・アイドル賞』を獲得。前年、新人賞にノミネートされなかった悔しさ晴らした。

 岡野氏が、著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)でも紐解いた『ザ・ベストテン』の詳細データを元に語る。

「柏原芳恵の通算ランクイン数は56で、ゴダイゴと並んで歴代28位タイです。1982年は『ハロー・グッバイ』『花梨』などで17回、1983年は『春なのに』などで18回を記録し、年間ランクイン数では2年連続8位に輝いています」

『ザ・ベストテン』にランクインした歌手は263組。この中に名を連ねるだけでも大変なことだが、柏原にはもう1つ特筆すべき事柄があるという。

「“5年連続ランクイン”は沢田研二、郷ひろみ、吉川晃司、安全地帯、少年隊と並ぶ記録です。番組は1978年から始まり、柏原は1980年デビューのために有利な面はありますが、立派です。番組史上、5年連続以上は15人だけです」

 同期デビューの松田聖子、“花の82年組”である中森明菜や小泉今日子が圧倒的な人気を誇ったため、陰に隠れがちな柏原芳恵だが、今もディナーショーなどで往年のヒット曲や最新曲を披露。根強い人気を誇っている。やはり時代を代表するアイドルの一人と言っていいだろう。

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