岡江久美子が告白、「はなまる」終了後の生活と母の介護

岡江久美子「はなまるマーケット」終了後、夫・大和田獏らとの実母介護生活振り返る

記事まとめ

  • 岡江久美子が、夫の大和田獏、娘の美帆さんらと共に介護していた実母のことを語った
  • 薬丸裕英と担当していた『はなまるマーケット』(TBS系)終了は岡江の降板希望が契機
  • 岡江の母は認知症発症後17年に他界、葬儀は家族葬でお経を読まない音楽葬だったとか

岡江久美子が告白、「はなまる」終了後の生活と母の介護

岡江久美子が告白、「はなまる」終了後の生活と母の介護

母の介護について語る岡江久美子

 50才を過ぎると10人に1人以上が親の介護問題に直面する。しかし、多くの人が何の心構えもないままの状態で介護が始まってしまうという現実がある。だからこそ“先輩”の経験談は重要だ。94才の母親を看取った彼女は、どんな介護生活を送って来たのだろうか。

「母が亡くなったのは一昨年のことです。94才でした。家族としては『大往生』なんて言葉はあまり使いたくないんですけど、本当にその通りでしたね。すぐ近くの施設に預けさせてもらっていたので、そろそろという状態で電話がかかってきて、急いで駆けつけました。私が着いたら、もう、すぐに…。顔も穏やかで、温かかった」

 記者の問いかけに、岡江久美子(62才)はゆっくりと語り始めた。肌は白くてツヤツヤで、豊かな黒髪が光り、とても“オーバー60”には見えない。なんといっても目立つのは、明るく晴れやかな表情だ。

「岡江さんは今、趣味のゴルフを頻繁に楽しんだり、ドラマのオファーを積極的に受けたりと、私生活も仕事もとても充実しているようです。おそらく人生の大事なイベントをいろいろ終えたからでしょうね」(芸能関係者)

 2014年3月に薬丸裕英(53才)とのコンビで17年間にわたって続けてきた、朝の人気情報番組『はなまるマーケット』(TBS系)が終了。それからの5年あまりを、岡江はどんなふうに過ごしてきたのだろうか。

「『はなまる』の終了は、岡江さんからの降板希望が発端でした。番組としては“岡江さんと薬丸さんが揃っての『はなまる』だったので、片方が降板するなら続ける意味がない”ということで、そのまま終了することになった。当時、岡江さんは90才になるお母さまの介護を抱えていて、“もっと母の側にいてあげたい”というのが理由でした。お父さまはその10年ほど前に亡くなっていて、以来、岡江さんはひとり暮らしになったお母さまのお世話を続けていたそうです」(別の芸能関係者)

 岡江の知人は当時のことをこう話す。

「岡江さんは『はなまる』で忙しいにもかかわらず、毎日、隣家に住むお母さんに食事を作りにいっていました。夫の大和田獏さん(68才)がお母さんと手をつないで、散歩をすることもありました。近所の人から声をかけられると“リハビリで散歩しているんですよ”なんて話していたそうです。

 娘の美帆ちゃん(大和田美帆・35才)も介護士の資格まで取って、おばあちゃんの面倒を見ていました。両親が忙しかったので、あの子は“おばあちゃんに育てられた”と言えるくらいのおばあちゃんっ子ですからね。まさに家族ぐるみで介護をしていたんです」

 その後、岡江の母は認知症を発症。しばらくして近所にある有料老人ホームに入ったという。

「老人ホームに移ってからも、岡江さんは毎日のようにお母さんに会いに行っていました。美帆ちゃんもしょっちゅうお見舞いに行って、『今日はおばあちゃんと話せた』『今日は何もわからなかった』と話していました」(前出・知人)

◆もっと旅行に連れて行ってあげればよかった

 岡江にとって、母の介護の“心強い助っ人”であった美帆も、心配の種の1つだった。

 美帆は、岡江が『はなまる』を降板した直後の2014年6月に、高校時代からの友人である一般男性と結婚。翌年9月には長女を出産したが、それには大きな困難が立ちはだかっていた。

「美帆さんは2013年に多嚢胞性卵巣症候群という診断を受け、担当医に『妊娠しづらい体』だと宣告されていました。それを乗り越えての妊娠、出産で、担当医には『奇跡ですね』と言われたそうです。それだけに、岡江さんにとって初孫の誕生は心の底からうれしかったでしょうね」(別の知人)

 美帆の出産のちょうど1週間後にイベントに出席した岡江は、美帆が里帰りで実家に戻ってきていることを明かし、

「朝昼晩の食事作りは最後の子育てだと思ってやっている。ちょうど朝の番組を終わって落ち着いて、この時期に孫ができて恵まれた」

 と満面の笑みを浮かべていた。

「岡江さん、みんなにお孫さん誕生の喜びを話していましたけど、介護についてはほとんど知らせていませんでした。

『はなまる』終了後とはいえ、お母さまの介護に里帰りの娘の面倒と、あの頃はかなり大変だったはず。それでもいつも笑顔で何の苦労もないように見せる。どうやって乗り切っていたのかと思います」(前出・別の知人)

 2017年11月に母親は他界。その1年後、美帆が離婚。慌ただしい日々は続いた。岡江はどうやって家族の転機を乗り越えたのか。後悔はないのか。なぜ笑顔でいられるのか──。

「今、振り返ると“もっと旅行に連れて行ってあげればよかった”とか、もっとできたんじゃないかなって思うことはあります。後悔というか…でも、介護生活を終えてわかったのは、やりきった、満足したって、なかなか言えないんじゃないかって」

──大変な介護だったと聞きました。

「晩年は認知症が進んでいましたしね…乗り越えられたのは、以前の母の元気な姿を覚えているからです。その頃のことを思い出しながら介護にあたっていました」

──介護で大切なことは何でしょうか。

「介護は、やりきった、満足したと言えるのが難しいぶん、頑張りすぎてしまう人がいる。ひとりで抱え込んでしまい、結果的に家族を巻き込んで共倒れになっちゃうケースがあります。私は自分の経験から、プロに頼んで分担するというのは重要だと思っています。

 私の母の場合、施設の人たちが本当によくしてくださった。自分の家族のように接してくださって、お葬式では施設のかたがワーッて泣いてくれたんです」

──どんな葬儀だったのでしょうか。

「家族葬でした。生前、母から“葬儀は派手にしないでほしい”と言われていたので、母の希望通りにしました。お経は読まない音楽葬です。母の好きだった曲から私が選んで流しました」

 話し終えると岡江は、茶目っ気たっぷりの表情でカメラマンに、「どうしよう、スッピンで。恥ずかしいなぁ…どうせなら、もっと明るいところで撮ってほしいわ〜!」と言うと、照れ笑いを浮かべながら背筋を伸ばした。そんな彼女を隣で大和田が笑顔で見守っていた。

※女性セブン2019年5月23日号

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