伊東四朗が語る「生涯脇役」としての美学と役割

伊東四朗が語る「生涯脇役」としての美学と役割

伊東四朗の役作りは?

 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・伊東四朗が、時代劇で主役を支え続けた日々について、主役をやっていても自分は脇役だと語る真意について語った言葉をお届けする。

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 伊東四朗は時代劇の出演も多く、『遠山の金さん』『右門捕物帖』では杉良太郎を支える役、『銭形平次』では北大路欣也のライバル役。それぞれ脇からの芝居で主役を盛り立てている。

「私は、生涯脇役と思っています。主役をやっていても脇役なんですよ。主役がいちばん大変だと思っています。それを助けるから助演で、主役がやりやすいように動いて喋るのが脇役だと思ってやってきました。

 杉さんには『伊東ちゃんも早く主役とるようにならないと』と言われましたけど、そんな気持ちは一つもありませんでした。主役にたまたま抜擢されたりしても、それも一つの現象だと思ってやってきました。

 主役をやる人って、最初から主役のような気がするんですよね。主役になるために生まれてきた。主役は主役ならではの雰囲気や顔つきもあります。今でこそこういう顔でも主役もオーケーになりましたが、昔はダメですよ。俺はなれそうもないし、もちろんなる気もない。そう思っていました」

 喜劇でスタートしたことが、時代劇に出る上でも活きている。

「石井均一座の時から舞台で時代劇をやりましたので。草鞋の履き方、帯の締め方、羽織の着方、畳み方。羽二重も自分で作るんです。いろんなものを使いながら、見よう見まねで。舞台をやっていると、全てできないとダメなんですよね。

 ただ、『銭形平次』で北大路さんと一緒に長くやらせてもらったので、その時はよく見ていました。走り方、座り方、立ち居振る舞い。私の息子も一緒に使ってもらっていたので、『ちゃんと見とけよ。一番いい人に出会っているんだから、全部吸収しておけ』と言いました。得する出会いばかりしてきたんだなと思います」

 即興劇からキャリアをスタートさせ、毎日の観客の変化に対応させることを第一に考えてきただけに、役の準備においても「役作り」は考えないという。

「結局、主役はお客さんなんですよ。ここでこんな芝居をしたら違和感を持つだろうなということは避けるようにしました。

 その一方で違和感を持たなきゃいけないところは違和感を持たせるのも必要なのかなとも思っています。そういうのも含めて作家や演出家と一致するかどうかです。芝居はあくまで作家であり演出家のものですから。

 ですから、役作りって考えたことがないです。台本の中に自分を見つけることなんだろうとは思いますが作ったことはない。

 最初はワンシーンごとに考えちゃうんですよ。それで本を何回か読んでいるうちに全体の雰囲気が見えてくる。その雰囲気に丸々入る役なのか、逆らう役なのか、そういうところを自分なりに解釈しながらやってきたつもりです。

 自分の我をあまり出すものではないと思う。役者としてはどうしても我を出します。そうすると失敗するんです。やってみたら出ていた──と言われたら、これはしょうがないんですけど。その映画、ドラマに役立っていれば、それは成功だったと思いますよね」

●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。

■撮影:藤岡雅樹

※週刊ポスト2019年5月31日号

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