ミッキー吉野 コシノジュンコ氏の衣装をボロボロにした思い出

ミッキー吉野 コシノジュンコ氏の衣装をボロボロにした思い出

ザ・カーナビーツもGSブームを牽引した

 1960年代後半から1970年代前半にかけて一世を風靡したグループ・サウンズ(GS)。1966年に結成されたザ・ゴールデン・カップスは『長い髪の少女』などでファンを熱狂させた。そのカップスで活躍し、のちにゴダイゴも結成したミッキー吉野が、当時の思い出を語ってくれた。

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 僕らは全員横浜出身。当時の横浜は洋楽がいち早く手に入る土壌でした。もちろんステージでは外国の曲ばかりやってましたけど、カップスがやるとその洋楽がヒットするという噂が立って、レコード会社各社が洋楽盤を持って来てましたね。

 カップスは男性読者が多かった雑誌『ミュージック・ライフ』の人気投票で1位になっていて、玄人受けしていたには違いありませんからね。セカンドアルバムのレコーディングの最中には、東芝の洋楽担当が海外アーティストのシングルを持ってきて「これをぜひやってくれ」と言うので、その場でポータブル電蓄でレコードをかけてメロとコードを聞き取って……そうしていきなりレコーディングして仕上がったのがブレントン・ウッドの『ギミ・リトル・サイン』って曲だったんですよ。

 僕がカップスに入ったのはちょうど『長い髪の少女』が大ヒットして一番忙しかった時期でした。売れてくると、それまではユニフォームなんてなかったのに、コシノジュンコさんデザインのユニフォームが出来上がってきたんです。ただ、それを着るのが全員嫌でね(笑い)。撮影と新曲発表会の2回しか着なかったんじゃないかな。撮影の時なんか皆で反抗して、衣装の後ろをボロボロにしちゃったんですよ。何しろ音楽しか目指してなかったですからね。メンバーどうしの喧嘩もあったけど、それも音楽のことでしたから。

 その反面、カップスっていうのは時間にルーズなバンドとしても語り草になっていますね。ジャズ喫茶では時間にメンバーが揃わなくて、対バンのバンドに2ステージ先にやってもらっているうちにメンバーが揃う、なんてこともよくありました。

 あの頃は色んなGSがありました。でもカップスに入る前からスパイダースは好きでしたね。演奏もうまいし、エンターテイメント性もあったし。

 僕はカップスを途中で辞めてバークリー音楽大学へ留学に行き、帰国後に組んだのがゴダイゴなんです。今はゴダイゴもカップスも再結成していて、時折ステージをやっています。また、年に何本か「ザ・GS」っていうパッケージショーにも単身で参加させてもらっていて、そのステージではGSのヒット曲を余す事なくやっていますよ。

【ザ・ゴールデン・カップス】1966年、デイブ平尾が横浜のメンバーを集めてグループを結成。当初はグループ・アンド・アイと名乗り、米兵が集まる本牧のレストランバー「GOLDEN CUP」に専属出演。デビューするにあたり店の名前をとってゴールデン・カップスと改名した。メンバー個々の強烈な個性と卓越したテクニックは評判となり、たちまち実力派の人気グループに。メンバー・チェンジの多いグループで、故・アイ高野や柳ジョージが在籍していた時期もある。代表曲は『長い髪の少女』『愛する君に』など。

※週刊ポスト2019年6月28日号

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