ザ・カーナビーツのポール岡田氏が語るGS斜陽「涙のライブ」

ザ・カーナビーツのポール岡田氏が語るGS斜陽「涙のライブ」

当時のスタッフ撮影の思い出の1枚(提供/ポール岡田)

 1960年代後半から1970年代前半にかけ、「ザ・スパイダース」や「ザ・タイガース」などグループ・サウンズ(GS)が一世を風靡、若者の心を鷲掴みにした。しかし社会現象とまでなったものの、GSブームは約5年ほどの短命に終わる。あの熱狂と興奮は何だったのか──。1967年に『好きさ好きさ好きさ』でデビューした「ザ・カーナビーツ」ドラム&ボーカルのポール岡田氏が、あの熱く短かった時代を振り返る。

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 僕がロック・バンドに興味を持ち始めたのは、ビートルズやローリング・ストーンズが席巻し始めた1960年代中盤。日本ではエレキ・ギター追放運動が教育現場を中心に起きていた時代でした。

 滋賀の県立の進学高校に通っていた僕は、1年後輩の長戸大幸(後にZARDやB'zなどを輩出したビーイングの創業者)の誘いで、学校内でロック・バンドを結成、「クラシック・ギター同好会」という偽りの名称で演奏会を敢行しました。

 音楽的才能とプロデュース力も備えていた長戸君とは大学に入ってからも一緒に結成したWEEDSというバンドで、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」や「パラカ」、京都の「ニューデルタ」などに出演したり、審査委員長が浜口庫之助さんだったバンド・コンテストで自分たちのオリジナル曲を演奏して優勝したこともあります。別のコンテストでは、『サティスファクション』を演奏したファニーズに優勝を奪われました。後のタイガースですね。

 その後、僕はある音楽関係者の誘いを受け、長戸君の引き留めを振り切って独りで東京へ。しかし、それは辛い試練を課された最悪の時間でした。

 半年後、もうロックを諦めて学業に専念しようと考えていた時、大阪の「ナンバ一番」で知り合ったパロッツのリーダーでドラマーの井上シゲルと再会。「バンドが東京のカーナビーツの事務所に所属が決まったが、ボーカルが抜けることになって困っている。やってもらえないか?」と言われ、OKと伝えました。

 5人編成のバンドはザ・キャンディーズと名前を新たにして、中馬込の壊れそうな一軒家で合宿生活を開始。そして1968年11月に御徒町の「東京」というジャズ喫茶でザ・ライオンズを対バンに上々の東京デビューを飾りました。キャンディーズは1969年に入っても「銀座ACB」、「新宿ACB」、「ドラム」、「新宿ラセーヌ」など都内のジャズ喫茶を中心にライブをこなし、ファンも順調に増えていきました。

◆GSの斜陽を感じた1969年9月「涙のライブ」

 しかし、3月頃にカーナビーツのボーカルだった臼井啓吉さんがグループを脱退することになり、事務所から僕にカーナビーツのボーカルをやってもらいたい、そしてモッチン(アイ高野)と一緒に頑張ってほしい、と言われました。その後キャンディーズのメンバーにも説明があったが、リーダーのシゲルが「俺も辞める」と言葉を放った不機嫌な表情が忘れられません。

 1969年5月から僕はカーナビーツの正式なメンバーとなり、アイ高野、越川弘志、喜多村次郎、岡忠夫と共に活動を続けました。しかしこの前年くらいから、GSシーンには斜陽の影が色濃くなりました。

 公演出発時の羽田空港の送迎デッキには多くのファンが見送りに集まっていましたが、公演先の別府国際観光会館大ホールでは、緞帳が上がると1500人以上収容できる客席の前方3列が埋まっているだけというショッキングな状況。事務所はアイ高野とポール岡田の新しいコンビで再浮上を画策していたようですが、メディアはGSを一過性のブームとして捉えていたようで、再浮上は難しい状況だったと思います。

 夏過ぎに喜多村次郎と岡忠夫が脱退。残されたメンバーはサポート・メンバーを加えてライブをこなすだけの状態。そんな中でもアイ高野はステージに上がると変わらぬショーマン・シップを発揮してファンを楽しませていました。彼から学んだことは多かったですね。

 同年9月末、銀座ACBの夜の部を最後にカーナビーツは解散しました。その夜は脱退した次郎君と岡君も戻ってきて、満員のファンの人たちに喜んでもらえました。ファンの皆さんの涙声につられて、モッチンも、リーダーだった越川君も、僕も泣きました。

 カーナビーツ在籍は5か月。キャンディーズと合わせても僅か10か月の僕のGS時代。スタートが遅すぎたけど、人生の貴重な時間でした。

【ザ・カーナビーツ】1967年、ゾンビーズ(英国)の『I Love You』を日本語でカバーした『好きさ好きさ好きさ』でデビュー。ドラム&ボーカルのアイ高野がスティックを突き出すキメポーズも話題になりヒット。人気グループとなり、それ以降も日本語カバー作品を多数発表。グループの名付け親は当時『ミュージック・ライフ』の編集長だった星加ルミ子で、ロンドンのカーナビー・ストリートに由来する。メンバーは越川弘志(リードギター)、喜多村次郎(サイドギター)、岡忠夫(ベース)、アイ高野(ドラムス)、臼井啓吉(前期ボーカル)、ポール岡田(後期ボーカル)。

※週刊ポスト2019年6月28日号

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