大原麗子さんの「中絶」、坂上忍の番組が触れなかった事実

大原麗子さんの「中絶」、坂上忍の番組が触れなかった事実

亡くなってから10年となる大原麗子さん(写真は2005年)

《女優・大原麗子 孤独死の真相》。突然の死からまもなく10年。女優・大原麗子さん(享年62)の波乱万丈の人生をこんなタイトルで振り返ったのは、6月20日に放送された『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系、以下『シンソウ』)だ。

 番組には大原さんが「姉」と慕った女優の浅丘ルリ子(78才)や、実弟である大原政光さんが登場し、「整形失敗」「中絶」「薬漬けの闘病」など生前の大原さんをめぐる衝撃の事実を明かした。

 だがこの番組には、生前の大原さんを最もよく知る女性が登場しなかった。大原さんが18才でデビューした翌年からマネジャーを務め、亡くなる直前まで寄り添い続けた元マネジャーの佐藤嘉余子さんである。

 本誌・女性セブンは『シンソウ』が放送される直前、佐藤さんから一通の手紙を受け取っていた。

《もうすぐ麗子さんが亡くなってから10年が経ちます》

 と書かれた文面には10年もの間、片時も大原さんを忘れることのなかった佐藤さんの思いの丈が綴られていた。

 番組放送後、女性セブンの取材に佐藤さんが重い口を開いた。

「放送は見ていませんが、多くの人から連絡があり、内容は把握しています。いろいろな思いが込み上げますが、私が言いたいのは、あの番組では触れられなかったことがあり、大原さんの“死の真相”を伝えきれていないということです」(佐藤さん)

 今明かされる大原さんの真実とは──。

◆「中絶」は仕事の都合だけではない

 1946年に生まれた大原さんは高校卒業後にデビュー。映画やドラマで華々しく活躍し、「すこし愛して、ながく愛して。」というキャッチコピーのウイスキーCMでも一世を風靡した。

 私生活では1973年に渡瀬恒彦さん(享年72)と結婚。5年後に離婚した。1980年には森進一(71才)と再婚したが、わずか4年で破局を迎えた。

『シンソウ』では、森との結婚の2年後、妊娠した大原さんが「お腹が大きくなると撮り直しになる」と女優業への支障を心配し、中絶したことを政光さんが明かした。

 だが佐藤さんは「麗子さんが中絶した理由は仕事だけではないように思う」と話す。

「そもそも麗子さんが子供を欲しがったことはありませんでした。その理由は彼女の家族にあります。彼女は暴力的で浮気を繰り返していた父親との確執が大きく、“家族”によいイメージを持っていなかった。だからこそ家庭より仕事にこだわったんです。

 森さんとの子供を中絶したことの根の部分には、家族に対する不信感もあったのではないでしょうか」

 晩年、ギラン・バレー症候群や乳がん、うつ病に苦しんだという大原さんは、2009年8月6日に東京・世田谷区内の自宅で遺体となって見つかった。不整脈による脳内出血ですでに死後3日経過しており「孤独死」と騒がれた。

 公には彼女は、大原家の菩提寺である本覚山妙壽寺の墓に入ったとされる。だが佐藤さんは、「麗子さんにはもう1つお墓があるんです」と打ち明ける。

「お父さんと確執があった麗子さんは、森さんと離婚後に『大原ではなく、お母さんの旧姓の飯塚に戻したい』と強く希望し、家庭裁判所で手続きをして『飯塚麗子』になりました。彼女の死後、遺骨は確かに妙壽寺に納められましたが、実はお母さんが眠る都内の寺院でも供養されています」

 大原さんと母親を供養する寺院の住職が回想する。

「大原さんは小学生だった頃、お母さんに連れられてこの寺を訪れました。お母さんは家庭内暴力と浮気が原因で家を飛び出してきたばかり。当時は離婚した母娘が2人だけで生活するなんてことは考えられない時代でしたが、お母さんは覚悟を決められて『私と娘が死んだらここで一緒に弔ってほしい』と言いました。私どもはその約束を守り、共同供養塔で2人を弔っています。ここに大原さんの遺骨はありませんが、これからも母娘の位牌を供養していくつもりです」

※女性セブン2019年7月11日号

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