現役最長老のピンク監督が語る「古き良き時代」の撮影裏話

現役最長老のピンク監督が語る「古き良き時代」の撮影裏話

81歳、418本の名作を生んだ巨匠にインタビュー

 ピンク映画第1号とされる大蔵映画『肉体の市場』の撮影で助監督を務めた小川欽也監督(81)。小川監督は歌舞伎俳優の父と映画俳優の叔父らの影響で幼少時代から映画に親しんできた。大学卒業後は日産自動車に就職が内定するも「営業マンは俺には向かん」と諦め、フリーの助監督としてピンク映画を撮るようになったという。現役最長老のピンク監督に、古き良き時代の撮影裏話や伝説の女優誕生の歴史を聞いた。

 * * *
 俳優だった叔父に頼んで撮影所を見学している最中、あるプロデューサーから「助監督でカチンコを叩いてみないか」と誘われたんです。その初助監督作が映画『蜘蛛男』。当時憧れてブロマイドも持っていた女優、宮城千賀子さんと会えると大喜びしたもんです。そして監督の送迎をしたり日大の映画科の教科書で独学しているうちに、今度は石原慎太郎の初監督作『若い獣』でカチンコをやった。

 その後、大蔵映画の創始者の大蔵貢さんに誘われて、映画『太平洋戦争と姫ゆり部隊』の助監督。70ミリ映画を撮る初の大仕事だったので防衛庁の戦史室に缶詰になって沖縄戦の勉強をしたなあ。

 そして、大蔵映画系列の協立映画による『肉体の市場』で初めてピンク映画の助監督をやりました。六本木族による暴力や強姦シーンが猥褻だと映倫始まって以来の摘発となり、猥褻シーンをカットして上映したらかえって映画は大ヒットしちゃってさ。

 そうこうしてるうちに友人から「監督に逃げられて困ってる」って頼まれて俺の監督デビューとなったのが国映の『妾』(1964年)です。

 当時はまだモノクロフィルム。ある令嬢が身を落とし性的不能者の妾となって無理矢理脱がされるんだけど、最後に愛する恋人の前で自ら脱ぐシーンをカラーフィルムで撮ったんだよ。幸せの象徴としてね。当時はパッと幸せになるカラーだなんて言ってたんだけど、後に正式に“パートカラー”って名前がついて後から真似した映画が次々と出たもんだよ。

『妾』のヒットを受けて大蔵貢社長にいろんな注文をつけられながら監督やったのが映画『雌・めす・牝』。これが予算300万円で撮って何千万も儲けちゃったもんだから、その後も“お盆だから怪談のピンクを撮れ”だとか“痴漢ものを撮れ”だとか色々頼まれて、今では監督作418本ですよ。

 一番忙しい時は年間7~8本のピンクを撮りつつ、テレビ映画も撮ってました。特撮ブームに乗っかってゴジラならぬ『ワゴン』っていう怪獣ものを撮ろうって脚本まで作ったのに予算不足でボツ。

 元祖ポルノアイドルって言われてた原悦子を初めてピンクで撮ったのも俺だし、地方から家出してフラフラしてるところを半ば騙されたような感じで連れてこられた谷ナオミも撮った。やはりピンク映画でもスター女優を作らないとダメなんだ。

 昔は低予算で撮って10日間で数千万も儲けた作品もあったんだから、大変なもんでした。そのお金はどうしたかって? 離婚した奥さんに全部あげちゃった(笑い)。俺の財産は全部消えちゃったけど、ピンク映画は今後も風俗映画として残っていくと思ってるよ。

撮影■下城英悟

※週刊ポスト2016年10月14・21日号

関連記事(外部サイト)