高倉健さん養女の告白本に遺族困惑、遺骨の行方は明かされず

高倉健さんの養女が告白本を発売 遺族は困惑し「まさしく死人に口なし」と発言か

記事まとめ

  • 晩年の高倉健さんと最も多くの時間を過ごしたとされる養女が、告白本を発売した
  • 発売以降、異例の連日重版という売れ行きを記録しているが、遺族は困惑しているという
  • 養女は葬儀を終えるまで健さんの死を遺族に伝えず、分骨も許さなかったのだとか

高倉健さん養女の告白本に遺族困惑、遺骨の行方は明かされず

高倉健さん養女の告白本に遺族困惑、遺骨の行方は明かされず

「養女」の告白本は書店を賑わせている(時事通信フォト)

《五年前に亡くなった高倉健が“最後に愛した女性”小田貴月さんによる初の手記です》。晩年の高倉健さんと最も多くの時間を過ごしたとされる女性による「告白本」。「養女」となって、健さんの全財産を手にした彼女が書いた「真実」とは──。

遺族に本が出版されることを伝えると“今さら何を書くんですか”と驚いていました。健さんが亡くなってからもう5年ですが、養女とは今なお音信不通が続いているそうです」(この問題の取材を続けるノンフィクション作家の森功さん)

──書店を賑わせている一冊の書籍がある。タイトルは『高倉健、その愛。』(文藝春秋)。10月30日の発売以降、異例の連日重版という売れ行きを記録している。

 著者の小田貴月(たか)さん(55才)は、高倉健さん(享年83)の33才年下の養女(今回の出版を機に小田貴から小田貴月に改名)だ。

 2014年11月10日に健さんが悪性リンパ腫で死去した後、小田さんは突如、健さんの養女として登場して世間を驚かせた。そんな彼女が17年に及ぶ健さんとの私生活を綴った同書には、知られざるカリスマ俳優の素顔があふれている。

「出会った直後から健さんは小田さんに思いを寄せ、交際前なのに彼女のイラン旅行を心配した健さんが何度も現地に電話やファクスをして、『こんなに心配しているのに、どうして連絡できないんですか!』と声を荒らげるシーンなど、ふたりのなれ初めが赤裸々に語られています。交際を始める際に健さんが『普段はほっとしていたいから、化粧をしないでください』とリクエストしたことも明かされました」(テレビ局関係者)

 芸能界きってのダンディーで寡黙な男性として知られた健さんだが、同書には、帰宅後に「今日はぺコリン! 何食えるの?」とおどけて食事を待ち望んだり、自宅ソファに横たわってもの凄い顔で息を止め、「死んだふり」をして小田さんを驚かせるといった、お茶目な一面も描かれている。

「著書発売に合わせて小田さんはスポーツ新聞やテレビのワイドショー番組のインタビューに答えています。顔は伏せられていたものの、着物姿に茶髪のショートカットという後ろ姿からは妖艶さも漂わせた。これまで彼女の素性はほとんどわからず、健さんとの生活も謎だったため、この本はそれを解明する一助となるとみられています」(芸能関係者)

 健さんの心を開いた小田さんは、1964年に東京で生まれた。学生時代にスカウトされて芸能界に入り、1984年頃から「貴倉良子」の芸名で女優として活動を始めた。『必殺仕事人』(テレビ朝日系)や『水戸黄門』(TBS系)といった当時人気の時代劇にも出演経験がある。

「小田さんは着物の似合う和風美人ですが、女優としてはパッとしなかった。1989年頃からはホテルライターやテレビディレクターに活動の場を広げ、世界を股にかけて取材を行っていました」(前出・テレビ局関係者)

 小田さんの経歴で公になっているのはここまで。以後は今回発売された著書を頼ることになる。

 同書によれば、1996年3月、小田さんがライターとして、取材で訪れたのが、香港にある香港リージェントホテル(現・インターコンチネンタル香港)だった。そして、この場に偶然居合わせた健さんがスタッフ全員に「高倉健」と書かれた名刺を配り、帰国後に小田さんが香港取材の掲載誌を送本することでふたりの交流が開始。交際に発展したのはその1年後だった。

 健さんは1959年に結婚した江利チエミさん(享年45)と1971年に離婚して以来、独身を貫いた。小田さんと交際を始める際には「目立たず過ごしたい」と望み、それに応じた彼女は17年間にわたって「陰の存在」であり続けた。

「長く一緒に暮らしながら旅行に出かけることはもちろん、健さんと連れ立って外食することもただの一度もありませんでした。健さんの親族にも小田さんのことは一切知らされず、ふたりの仲を知るのは事務所の人間1人と小田さんの母親だけで、彼女を家政婦と思っていた関係者も多かった」(前出・テレビ局関係者)

 2013年5月、小田さんは「長年世話になった人に財産を残したい」との健さんの意向で養女として正式に養子縁組された。その1年半後に健さんが他界。そのタイミングで小田さんが「謎の養女」として突如世に現れたのだった。

◆彼女とは同じ土俵に上がりたくない

 そんな彼女が長い沈黙を破って著した著作に、困惑しているのが冒頭の遺族である。

「本の発売を機に、健さんの遺族に連絡を取りましたが、皆さんご覧になっていないようでした。あるかたは小田さんのことを相手にしない、同じ土俵にすら上がりたくないという印象を受けましたし、別のかたも『まさしく死人に口なしよね』と仰っていました」(前出・森さん)

 そもそも健さんの死後、遺族は小田さんの行動を傍観するほかなかった。

「突如養女として名乗りをあげた小田さんは、葬儀を終えるまで健さんの死を遺族に伝えず、分骨も許さなかった。養女は遺骨は散骨したと言いますが、その場所がどこなのか、墓の有無さえ遺族は知らされていないまま。

 彼女はさらに健さんの愛車やクルーザーなどの“遺産”を次々に処分し、都内の豪邸を取り壊して自分名義の家を建て直しました。

 生涯収入が100億円を超える健さんの遺産はおよそ40億円といわれ、それを養女が相続した。ほかの遺族は養女の行動に憤りを覚えているが、連絡が取れないため泣き寝入りだそうです」(前出・テレビ局関係者)

 発売された著書には、健さんが亡くなった後のことはほとんど書かれていない。遺産の行方や遺族との関係、遺骨の散骨場所など、謎の養女として彼女が注目されることになった“その後”は明かされていないのである。

 謎は拭えないままの小田さんだが、彼女の思惑についてこんな声も聞こえる。

「健さんは鎌倉(神奈川)に江利さんとの間の水子の墓を建てていましたが、養女はそれを更地にした。同じく取り壊した豪邸も、健さんが江利さんと過ごした場所だった。外形的には、“健さんと前妻の思い出”を破壊したようにも見えます。

 彼女の著書の紹介文には《高倉健が“最後に愛した女性”》とあります。その健さんのためにこれまでずっと姿を隠してきた彼女は、健さんの死後もその愛を独占したいという思いで、今も行動をしているのかもしれません」(前出・芸能関係者)

 小田さんは、今回のメディア出演に際し、健さんの死後に誰にも相談せず自宅を建て替えたり遺品を処分した理由を問われると、「高倉の遺志なので」という返答に終始している。

 本誌・女性セブンは、小田さんが代表を務める「高倉プロモーション」に、このタイミングでの出版に至った経緯や、ほかの遺族と連絡を取らない理由などについてあらためて聞いたが期日までに回答を得られなかった。

 五周忌を前に、鎮魂のはずの書籍の波紋は広がるばかりだ。

※女性セブン2019年11月21日号

関連記事(外部サイト)