イッセー尾形 一度はやめた一人芝居を再開した理由

イッセー尾形 一度はやめた一人芝居を再開した理由

1度はやめた一人芝居をなぜ再開したのか

 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・イッセー尾形が、主演映画『漫画誕生』の進行が記憶が観客のものになる構造と、あらためて一人芝居について語った言葉をお届けする。

 * * *
 公開中の映画『漫画誕生』にイッセー尾形は主演、戦前の漫画家・北沢楽天を演じている。

「台本を読むと、扱っているのは漫画家という特殊な役なのですが、全体を見ると、時代とともに大衆と寄り添ってきたはずなのに戦後スポイルされていく──という構造なんですよね。

 その皮肉な感じ、ありていに言うと歴史に翻弄される。そこが面白くて参加しました。

 本当にいた方ですから、外見については似せた方がいいと思って、写真を見ながら似せています。そうやって、外見から入るのは好きなんですよ。

 こちらは外見さえ作れば、内面というのは見ている人が作りますから。人って想像する生き物なんです。ただ外見を見ているだけの人はいません。ですから、外見を作っておけば、人は何かを想像してくれます」

 尾形が扮する老いた北沢が検閲官からの尋問に対して若い日々を回想する形式で、映画は進行していく。

「記憶を振り返るわけですから、その場面は僕が出ているけれども、その次の昔の時代の映像には僕は出ていないわけです。

 そうなると、スクリーンに映っている昔の場面は僕が演じる男が語ったその男の記憶であるにもかかわらず、もうその男のものではなくて観客のものになっている。人生の記憶が自分のものではなくなってしまう──そんなことが起きる予感があったのも、面白かったですね」

 六十歳の時に一度は一人芝居をやめたが、近年になり再開。現在は「妄ソー劇場」と題した演目で、文豪たちの作品をモチーフにした芝居に挑んでいる。

「一人で出てきて芝居をやるというスタイルは、日常というものをお客さんとの共通基盤にすることで成り立っていました。

 そのために、人間誰しもそうするだろう、ということは外さないようにしています。水があったら、誰だって飲むだろう、と。そういう生理的なことから何びとも逃れられないから、それを踏襲することから考えます。

 でも、時代とともに日常が変わったとも思うわけです。直接、手に触れるものが失われていっている。メールにSNS。そこにあるのは自分の声ではないし、返ってくるのも相手の声ではありません。生身の一つ向こうに行っちゃった世界と付き合っている。生身から外れたところで言葉が横行している。

 むしろ、その言葉に生身を合わせなきゃいけないようになっている。言葉を使っていたはずが、言葉に使われている。言葉を仕事にしている僕にとっては、そんな世界をとらえたくなってくるんですよね。

 でも、いきなり現代をやったところで薄っぺらなパロディにしかならないというのは直感で分かったので、助走をつけることにしました。

 それで夏目漱石から始めて文豪シリーズをやっているわけです。まだまだ自分自身の手の延長に世界があった時代ですから、そこから時代を進めて現代に近づけて、過去から来た勢いを借りて現代を捉えようと考えています。なので、まだまだやることいっぱいあるんです」

●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。

■撮影/藤岡正樹

※週刊ポスト2019年12月13日号

関連記事(外部サイト)