梅宮辰夫さん「6度のがん」もたらした妻と娘との幸せな時間

梅宮辰夫さん「6度のがん」もたらした妻と娘との幸せな時間

孫のためにクレーンゲーム機で4000円使ったこともあるという梅宮辰夫さん

 都心にある江戸時代から続く老舗そば店。夜7時ともなれば、国内外の観光客も集まるスポットだ。その中で、手早く食事を済ます母子がいた。梅宮アンナ(47才)と母・クラウディアさん(75才)だ。

「お二人は、テーブル席で神妙な面持ちで食事をしていました。梅宮さんが亡くなった翌日だったので、無理もありませんよね」(居合わせた客)

 2019年12月12日、慢性腎不全のために梅宮辰夫さんが81才で逝去した。6度のがんと闘った壮絶な人生だった。

 梅宮さんは日本大学法学部在学中の20才の時に東映ニューフェースに合格し、『不良番長』『仁義なき戦い』シリーズなどに出演。戦後の映画界を牽引する俳優の1人だった。

「20代半ばから銀座を飲み歩き、女性にもモテて“夜の帝王”と呼ばれていた。当時は石原裕次郎さんら他社の俳優さんの豪快な遊びに負けないよう、東映の看板を背負う気持ちで豪快に遊んでいました」(梅宮さんの知人)

 梅宮さんに大きな転機が訪れたのは36才の時。最悪のがん告知だった。

「膀胱がんが肺に転移し、“最悪の場合、余命2か月”と言われたそう。当時、アンナさんはまだ2才で、“こんなに早く死ぬなら、結婚なんてするんじゃなかった”“子供なんてつくらなければよかった”とまで考えていました」(前出・梅宮さんの知人)

 3か月の闘病生活を経て、病魔に打ち克った。しかし、梅宮さんはがんの再発におびえ、先は長くないと感じるようになり、生活を一変することにした。芸能ジャーナリストの二田一比古さんは言う。

「がんが判明してから、銀座を飲み歩くことはなくなりました。貴重な今後の人生と向き合う中で、愛する妻や子供と一緒に生きよう、1分1秒も無駄なく過ごしたいと考えたのです」

 京都で映画の撮影があった時は、どんなに疲れていても最終の新幹線で東京の自宅に帰ってアンナの寝顔を見た。そして、翌朝始発で再び京都の撮影所に向かう。

 アンナが学校に持っていく弁当も毎日作った。家でも、毎日手料理を振る舞った。それは、自分が先に死んだとしても、妻や娘の記憶に自分の味を残しておきたかったからだという。

 その後もがんとの闘いは続いた。胃がん、十二指腸乳頭部がん、前立腺がん、尿管がん…計6つのがんを患い、つらい手術や闘病の日々を送った。それでも、口をついて出るのは自分のことではなく、家族を思う言葉だった。

「アンナさんが羽賀研二被告(58才)と交際している時に梅宮さんに直撃取材しても、“書いていないこともあるんだろ? 教えてくれよ”と最後はいつも質問攻めでした。それだけ、アンナさんとご家族が心配だったということです」(二田さん)

 6度のがんを克服できた原動力は、間違いなく、家族への愛だった。

※女性セブン2020年1月2・9日号

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