山田洋次監督 「日本と日本人は大きく変容してしまった」

山田洋次監督 「日本と日本人は大きく変容してしまった」

一貫して「日本の家族」を描き続けてきた山田洋次監督

 1961年に監督デビューして以来、山田洋次(85)は、一貫して「日本の家族」を描き続けてきた。

 監督作品85作目にあたる『家族はつらいよ2』(松竹系、5月27日公開)もまた、現代家族を描く喜劇だ。前作では、「熟年離婚」がテーマだったが、今回は「無縁社会」に焦点を当てる。

「何年も前から下流老人や無縁社会は大きな問題になっていたし、関心があった。僕の友人たちの中にもハッピーリタイアメントとはほど遠い、悲劇的人生をたどっている人は何人もいますしね」

 物語は、老いと死、家族を軸に動いていくが、これまでの山田作品と違わず、至る所にユーモラスな「くすぐり」がちりばめられている。

 ストーリーの端緒は、出演者のひとりである蒼井優から聞いた「銀杏を棺桶に入れた話」にヒントを得ている。銀杏を核にして結晶ができ始め、次第に物語が膨らんでいったのだという。

「年をとった人の葬式では、死者を送るという荘厳な場であっても、思わず吹き出すようなことも起こりうる。その死を巡って、家族が大騒ぎする様子を可笑しく描けないかな、と思ったんです。

 死があるけど、可笑しい。それは大きな勝負だろうとも思いました。ただ、死をテーマにした面白い喜劇は色々あるんです。ヒッチコックにも、フランク・キャプラにもある。

 僕の大好きなイギリスの喜劇『マダムと泥棒』では、主演のアレック・ギネスを含め出演者のギャングが全員死んじゃうけど、それでいて可笑しい。そんなことを思い浮かべながら物語を考えました」

 家族のドラマを描き続けてきた山田だが、実は、東京大学を出たばかりの頃に目指したのは、イタリア映画のフェリーニやヴィスコンティだった。

「穏やかなホームドラマなんてくだらないとずっと思っていました。若いときは、誰でもそうだし、そうあるべきじゃないのかな。いまでも、20代、30代の監督が家族の姿を丁寧に描くなんてことは、むしろやるべきじゃないと僕は思うけどね」

 しかし、その一方で、当時、ある先輩から言われた「家族関係をドラマの軸に据えることで脚本は安定する」という一言が若い山田の耳にはこびりついていた。

「ギャング映画、喜劇、サスペンス、なんでもいいけど家族のドラマをその芯に入れておけば、それが錨となって映画が落ち着くということなんです」

 渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズは1969年、山田が38歳のときに始まった。こののち、40代から60代半ばまで、山田の映画人生は、東京・葛飾柴又を舞台にした喜劇をベースに展開していく。軸にあるのは、やはり家族だ。山田はこう述懐する。

「寅さんは、最初、家族に収まらない破天荒な人間として描きたかった。事実、家族なんかなんだ、と言って飛び出していった人間なんだけども、シリーズの回数を重ねるにつれ、だんだん寅さんの家族を描くようになった。自然とそこに落ち着いたという感じです」

 1995年、48作をもって終了したシリーズは、実に四半世紀以上にわたって国民に愛され続けた。しかし、その間に日本と日本人は大きく変容してしまったと山田は言う。

「寅さんが始まったときは、あれが下町の家庭の標準だと考えて描いているつもりだった。けれども、この国はどんどん変化して、地域も家庭も崩壊して、気がつくと寅さんの家族のあり方は昔の懐かしい世界になりました。

 20数年の間に、ああ、そんな生活もあったなあと振り返るぐらい、この国の生活文化は変わってしまった。柴又の景色にしてもそうです。土手の草は刈りとられてコンクリートの堤防になったから、撮影時には毎回、トラックに草を積んでいって植えたりしていた。

 世の中のあり方や風景が、こんなに早く変わっちゃっていいのかという不安を抱きながらいつも撮影していました」

 監督は、家族形態の劇的な変化も痛感している。

「幕末から昭和30年代までは、細々とだけど、日本人の生活文化はつながっていたように思います。下町であれ、町人であれ、武士階級であれ、家族のあるべき形を日本人は持っていたような。100年、200年、300年という歴史の中で。けれども、戦後、その家族の絆と暮らし方を崩すことで、日本は経済的な成長をしたんじゃないかな。その結果、いまはどうなのか、ということですね」

 山田は、家族を通して人間を描き続けてきた。その多くは喜劇だったが、一方で、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『遙かなる山の呼び声』(1980年)といったシリアスな人間ドラマも撮り続けてきた。

 また、『たそがれ清兵衛』(2002年)をはじめとした藤沢周平作品に挑み、脚本家として『釣りバカ日誌』シリーズも手がけ続けている。まさに、半世紀以上にわたって映画づくりに専心してきたのだ。

 作品に通底するのは、人間に対する愛だ。山田が描く人物は、たとえ嫌な人間であっても、どこかに救いがある。

●やまだ・ようじ/1931年生まれ、大阪府出身。幼少期を満州で過ごし、1954年、東京大学法学部卒業後、助監督として松竹入社。1961年『二階の他人』で監督デビュー。1969年『男はつらいよ』シリーズ開始。『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『息子』(1991年)、『学校』(1993年)など多数の代表作がある。2002年に『たそがれ清兵衛』で国内の映画賞を総なめにし、第76回米国アカデミー賞外国映画部門のノミネートを果たす。毎年のように映画作品を発表する一方、近年は舞台脚本・演出にも精力的に取り組む。1996年に紫綬褒章・朝日賞、2002年に勲四等旭日小綬章、2004年に文化功労者、2012年に文化勲章など受章等も多数。

撮影■江森康之/取材・文■一志治夫

※週刊ポスト2017年5月26日号

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