永六輔とは何者だったのか? 一周忌を前に孫が足跡辿る

永六輔とは何者だったのか? 一周忌を前に孫が足跡辿る

永六輔さんの孫・永拓実さんが祖父の足跡を辿る

 数々の国民的名作を遺し、昨年7月に逝去した永六輔さん(享年83)。一周忌を控え、様々な追悼イベントやテレビ番組が予定されている。ところが、「永六輔って何者!?」と疑問を唱え、その足跡を追い続けている若者がいる。永さんの孫で、東京大学在学中の永拓実さん(20歳)だ。拓実さんが語る。

「祖父は著書だけでも200冊以上の作品を残しましたが、僕たち家族には、直接、何の教えも残さないまま逝ってしまいました。家庭では他愛のない話ばかりしていたうえ、僕たちは本名で『タカオ(孝雄)くん』と呼んでいた。幼い頃から『永六輔さんって、どんなところがすごいの?』とたびたび聞かれてきましたが、本当に何も答えられませんでした」

 晩年は、パーキンソン病や前立腺がんなど長い闘病生活を続けていた永六輔さん。拓実さんは、亡くなる2年ほど前から漠然と、「死期が近いのではないか」と焦り始め、偉大とされる祖父のもとに足繁く通ったという。何らかの教えや学びを直接、得るためだった。

「ニュース番組を一緒に見ながら様々な話題を振りました。本質的かつ哲学的な議論をするためです。しかし、何を振っても豆知識ばかり披露して、笑って終わり。心に残るようなことは何も言ってくれません。正直、疑いました。世間はすごい人だと言うけど、本当は時代の流れでたまたまうまくいっただけなんじゃないか、と」

 ついには本質的な議論を諦めた拓実さん。しかし、永さんが亡くなると、世間の反応は尋常ではなかった。テレビや新聞で「戦後の日本文化をリード」「昭和を代表する偉人」などと連日報道され、通学で通る渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンにも、祖父の顔が映し出された。さらに、都内で開かれた「お別れの会」では衝撃的な出会いにも遭遇する。

「参列者の中に激しく泣いている若い女性を発見しました。気になって聞いてみると、自殺を考え、富士山麓に行ったんだけど、永六輔の明るい声をラジオで聞いて、思いとどまったそうです。しかも、その場で番組宛に出したハガキにはすぐに祖父から返事がきて、その後も祖父のラジオを楽しみに生きてきたのだ、と」

 女性は「永六輔さんから人生のすべてを学んだといっても過言ではない」と、話を締めくくった。これを聞いた拓実さんは、再度、意を決する。「永六輔はやっぱりすごい人。しかも人の命を救うほどに。祖父のことをもっと知らなくてはいけない」と。

 その後、拓実さんは永さんとの記憶を辿り、100冊近くの著書と、書斎に遺されていた手帳やノート、メモなどを読み漁り、そのうえで親交の深かった人々を約30人、訪ね歩いた。

 永さんの活躍は、テレビやラジオ、作詞、執筆など多岐にわたり、作詞では『上を向いて歩こう』『見上げたごらん夜の星を』『こんにちは赤ちゃん』、著書では『大往生』など、世代を超え、今も歌い、読み継がれている作品も多い。しかし、一番大切にしていたのは「言葉」だったという。

「『言葉の職人』とも称されていた祖父ですが、間違いなく一番こだわっていたのは『言葉』です。取材をすればするほど、言葉に関する証言がたくさん得られましたし、親友の黒柳徹子さんも『永さんの活躍は多岐にわたるけど、常に根底にあるのは言葉だったと思う。永さんの言葉をいつまでも大事にして生きていきたい』とおっしゃっていました」

 永さんの言葉によって、人生に大きな影響を受けたのは前述の若い女性だけではない。黒柳徹子、久米宏、タモリ、ピーコ、さだまさし、清水ミチコなど、多数の著名人にも影響を与えていた。実は、拓実さん自身も、永さんの言葉を実践することで、人生が激変した一人だ。

「取材の中で見つけた祖父の言葉に『無駄なことは何もない。無駄にする人がいるだけだ』というのがあります。僕は高校時代、バスケットの全国大会の常連校で部活に明け暮れましたが、怪我で一線を退かざるを得なくなった。その後、半ば自暴自棄に陥り、何もしない日々を過ごしていた。しかし、何もしない自分の愚かさに気づき、その後は部活ができない鬱憤を勉強にぶつけ、東大にも合格できました」

 前出の蒼々たる著名人らに突撃取材して拓実さんがまとめた著書『大遺言~祖父・永六輔の今を生きる36の言葉~』は、6月30日頃、発売される予定だ。

■永拓実(えい・たくみ):1996年、東京都生まれ。東京大学在学中。國學院久我山高校時代は、名門のバスケットボール部に所属し、スポーツに明け暮れる。大学では学業に励む傍ら、国内や海外を一人旅するなどして地域文化に触れ、2016年、インドでの異文化体験をまとめた作品がJTB交流文化賞最優秀賞を受賞。母は元フジテレビアナウンサーの永麻理。

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