真矢ミキ 芸能界で感じた「頭を打ってナンボ」の意味とは?

真矢ミキ 芸能界で感じた「頭を打ってナンボ」の意味とは?

「生放送で自分の欠点に気づく」と真矢ミキ

 情報番組『ビビット』(TBS系)のMCなどを務める元宝塚のトップスター真矢ミキさんが、「頭打ってナンボ」と語った。その真意とは――。

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 数えてみたら、宝塚で過ごした年月と、その後の年月が同じ数字になっていた。19年。退団した頃、右も左もわからない“芸能界”という場所でうろうろしながらも、同じ年数を経たらきっと何かが見えるはず、と自分に言い聞かせてきた。けれど、果たして何か見えたのか? 正直言ってそれは今もわからない。

 でも、わからないという感覚こそが私を突き動かしている原動力であり、もしかしたら行き先も地図もないこの世界ではずっとこんな感覚なのかもしれない。

“舞台”

 それも宝塚という独特な表現方法を取る世界から私はやってきた。一公演が約2500人の客席数、そのため、国レベルの話が多い。「王が死んだぞー!」と毎日群衆の中を激動的に走っていた私が、お台所でお漬物をコンコンコン…みたいな日常の表現が求められる映像へ移住してきた。戸惑う事を想定内でいるべきだった。

 台詞を言えば音声さんが「もう少し小さな声で」と駆け寄ってくる。オマケに滑舌がよい。だから監督は「普通、普段の人間はそんなにハッキリ喋らないでしょ」とやってくる。 でも舞台経験の長い私は普段から一言一句人に伝わるように喋っていた(ここはアナウンサーの方と同じかもしれない)。伝えてナンボと思っていた。姿勢も良過ぎると何度も言われ…だから私はボソボソと喋り背を丸める事からはじめ、日々普通を探した。

 そして男役。

 女性としての多感な10代後半から20代、そして30代中盤までを男として生きたのだから、本当に稀有な私の人生。だから特に女性らしい女性にならなくてはとはじめの頃は焦り、変に女性を生きていた。色んなタイプの女性がいるというのに…それくらい女性は遠い同性だった。

 それでも、みなさんに導かれ早19年。経験というのは、あのビカビカに光るピンボールゲームのように、頭を打って得点を挙げるようだ。打つ度に人格形成(修正?)されているよう。そして獲得した点数という武器を持って世間を歩いている。朝の番組でも私は気付けば毎朝2時間たくさんの得点をキコーン! キコーン! っといただいている。

 自分の欠点に気付くのだ。言葉足らずや、自分の知識範囲を知り、イヤというほど自分を知る。時にはその一言が人様のご迷惑にもなりうるのだ。自己嫌悪のあまりイメージとは真逆のネガティヴな私が、人の行き交う赤坂の昼を歩く事もある。

 大きな発見は、私はいつも凜としてナンボ、前向きでナンボ、クールでナンボ…みたいな、歩くキャリアウーマン然としていなければいけないのだと、人が思い描くイメージを結局、普段も自ら無意識に演じていたということ。そんな堅苦しい枠から本来の人格がムギュムギュと分厚い皮を押し、出てきはじめた。

 生放送だからわかる事。本当の自分を本番で知る事は多い。“経験は苦い力”――正直、楽に点は取れない。

 役者の私が役者から遠ざかってしまった!? と思っていたら、役者の頃のどんな朝より自分を知る朝を過ごしている。

 頭打ってナンボ。さぁここからどんな事をして行きましょうか(生きましょうか)。そんな予感に胸を膨らませて、打った頭をさすっております。

撮影■渡辺達生

※女性セブン2017年6月22日号

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