螢雪次朗「ロマンポルノは僕の人生のかけがえのない財産」

螢雪次朗「ロマンポルノは僕の人生のかけがえのない財産」

螢雪次朗がロマンポルノの良さを語る

 1971年にスタートし、監督やスタッフ、俳優や女優など多彩な人材を輩出したロマンポルノ。現在の邦画の隆盛の礎ともなったロマンポルノとは、いったい何だったのか? 1980年代に滝田洋二郎監督らの作品を中心に多数出演した螢雪次朗氏が語る。

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 僕はもともと新劇の世界にいたんですが、ひょんなことからヌード劇場に出演するようになって、そのあとピンク映画、そして日活ロマンポルノにも関わるようになりました。当時は獅子プロという向井寛が主宰する制作プロダクションにいて、そこで映画監督の滝田洋二郎や片岡修二、渡辺元嗣、瀬々敬久、それに脚本家の高木功らと出会いました。

 特に滝田と高木のコンビは最高でしたよ。彼らと最後に製作したのが『タイムアバンチュール絶頂5秒前』(1986年)で、かなり突飛なシナリオでしたけど、日活の助監督とか若い映画ファンには熱狂的に支持されました。

 他社のピンク映画と違ってロマンポルノでは日活の撮影所を使えたのが大きかったですね。クレーンを使って撮影したり、細かい照明のライティングを作ることができたり。そういう環境は女優さんも嬉しかったんじゃないですかね。ピンク映画よりも魅力的で色っぽくなるわけです。前貼りなんかも、ヘアメイクさんがわざわざ付けてくれたりして。そこは自分でやったほうがいいんじゃないかって僕は思ってたんだけど(笑い)。

 もちろんピンク映画で一生を終えようとは思ってなくて、ゆくゆくは一般映画に行きたかったわけですよ。その成り上がりのプロセスにロマンポルノがありました。ピンク映画とロマンポルノだと客層がちょっと違うんです。映画評論家でもピンクは観ないけどロマンポルノなら観るという人がいましたし、観客の人数も全然違いました。

 僕らはピンク映画時代から一貫して、どうしたら映画として面白くなるかということを、監督やカメラマンたちと一緒に現場で模索してました。たった7〜8人のスタッフで、しかも1人がいろんなことを兼任してやるわけですから。全員で作っているという感覚がありました。映画における演技の仕方も鍛えられましたし、あの仲間に30代前半のころに出会えたことは、僕の人生にとってかけがえのない財産だと今でも思っています。

※週刊ポスト2020年2月21日号

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