『ゆとりですが』スペシャル版 クドカン脚本は「爽快」

『ゆとりですが』スペシャル版 クドカン脚本は「爽快」

番組公式HPより

 最近はクールの狭間に放送されるスペシャルドラマの中にも“秀作”が目立つようになってきた。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。

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 春ドラマが幕を閉じ、夏ドラマはまだ始まらない。そんな端境期、「見るドラマがない」とお嘆きのあなた。いやいやどうして。昨年春に人気を集めたあのドラマが戻ってきた。7月2日、9日と二週にわたるスペシャル版『ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編』(日本テレビ系午後10時30分)。

 すでに前半が放送され……やっぱり、ズバ抜けて面白いクドカンワールド!

 脚本家・宮藤官九郎にとって初の社会派、ならぬ「社会ドラマ」と銘打ったこのシリーズ。「社会人経験ゼロの私が、45才にして初めて挑む」というだけあって綿密な取材を土台にし、たしかな観察眼に支えられています。

「これだからゆとりは……」と、すぐに決めつけられディスられてしまう「ゆとり世代」の葛藤を鮮やかに、素晴らしい精度でいきいきと描き出し、肯定も否定も含めた「社会」を浮き彫りにしていきます。

「そうそう、コイツ絶対にこの場でそう言うはず」
「このタイプの人って、いるいる。このセリフわかる」

 ズレない、ブレない人物の描き方。スポッとはまったセリフが気持ちいい。共感できて心地いい。一人ひとりの人物造形がキレていて、個性が細部まで際立っている。まるで人物のショーケースです。

 主人公は30代、ゆとり世代の3人。脱サラして家業の酒屋を継いだ坂間正和(岡田将生)、小学校教諭の山路一豊(松坂桃李)、風俗パブを辞め浪人し三流大学へ入った道上まりぶ(柳楽優弥)。

 それぞれが、それぞれの仕事や暮らしにむかって格闘している。ある人はまっすぐに、ある人はちゃっかりと。ある人は手探りで何とか生き抜いている。そんな庶民の姿がけなげで、面白くて、滑稽で、深い。

 正和は、バリバリ仕事ができる同僚の茜(安藤サクラ)と結婚。茜は会社を辞めて正和の実家の酒屋へ嫁入り。良い意味でぼおっとしている正和は、そこに潜む矛盾に気が付かない。現実を鋭く指摘するのが、小学校教諭の山路。

「他人の家の中で飼い殺していいのか」「旦那の家の中は、嫁にとって他人ばかり。彼女にとっては家ではなく会社と同じ環境にいるんだぞ」と正論を吐く。

 対して、「社会に出たことのない人間にそこまで言われたくない」と言い返す正和。「小学校の教員なんて子供相手の仕事。親も先生には強く出られない。だから楽勝」と真正面から教師の仕事をディスって……。

 どれもが本音。言い得て妙。本質を突いている。見て見ぬふりをし、ごまかしの中で見過ごされていく「本当のこと」を、ぐぐっと掴み出すクドカンの脚本が爽快です。

 ドラマを見つつも、何だか音楽ライブの会場にいるみたい。たくさんの聴衆が、リズムにノって一つに共振していくあの感覚。「そうそう」と同調する快楽が、このドラマにはたくさん詰まっている。そして同調した後に残る苦さや深さ、爽やかさ。余韻がいい。

 役者たちの演技も冴えています。視聴者を納得させる作り込んだ演技をした上で、それぞれのエネルギーを爆発させ、躍動しイキイキと動き回っています。まるでこのドラマで演じるのが嬉しい、と言わんばかりに。

「脚本、役者、演出」──ドラマの3本柱が見事に揃ったこのドラマ。

 加えて、作品の魅力について私自身は5つのポイント──「テーマ力」「社会との関係力」「バランス力」「タイトル力」「装飾力(本筋以外での作り込み)」で測ることが多いのですが、この作品は……?

・テーマ力──人が生きる上での迷いと格闘と希望 世代が違えど普遍的な骨太テーマ。
・関係力──物語の内部に閉じこもらず、社会を映す鏡のようにリアル。
・バランス力──岡田将生、安藤サクラ、松坂桃李、柳楽優弥とタイプの違う、しかも力のある役者が揃いぶみ。
・タイトル力──伝わるインパクト大。言葉としても新鮮で面白い。
・装飾力──オープニング曲は感覚ピエロ。「あんたの正義は一体何だ?」とグルーヴが刺さる。高円寺風景や就活生の描写、細かい点までエッジが効いている。

 ということで、明日7月9日はいよいよ後半へ突入。もう目が離せません。彼らの5年後、10年後も、見届けたくなる。

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