2002年にブーム化した着エロ 現場でのギリギリの攻防戦

2002年にブーム化した着エロ 現場でのギリギリの攻防戦

ブームを牽引したインリン(『Woo Rin Yan』2004年、小学館刊。撮影/野村誠一より)

「着エロ」という新語が誕生したのは、2002年頃とされる。携帯電話から鳴る「着メロ」をもじり、「着衣のエロチシズム」を表わす言葉として生まれ、やがて大ブームを巻き起こした。

 これを受けて着エロ専門のDVDメーカーも次々と誕生。さる大手メーカーは、忘年会で招待者全員に「末等でも任天堂WiiかiPod」の豪華なビンゴ大会を振る舞うほど、莫大な利益を上げていた。

 決して本人が名乗ったわけではないが、熊田曜子、井上和香、小倉優子、佐藤江梨子、安めぐみといったトップグラドルまでもが、なぜか着エロのカテゴリーに入れられてしまうほど、強大なブランドとなった。

 原則としてヌードという一線は越えることなく、バストトップを隠し、Tバックなどを基本としていたが、やがて「シースルー乳首見せ」など、着エロは過激の一途をたどる。だが、この“グレーな線引き”こそ着エロの腕の見せどころであり、プロデューサーやカメラマン、スタイリスト、そしてモデル本人もアイデアを出し合った。

「葉っぱで乳首と股間を隠す」
「砂でまぶしたら?」
「乳首の上に乳首そっくりのシールを貼ったら、これはヌードではない」

 そんな熱論が現場で繰り返され、モデルを「半ば強引に」納得させながら、限りなくヌードに近い攻防戦が繰り広げられていった。すべては脱いでいないからこそ、「その薄布1枚の先が見たいんだ!」という男の妄想を、着エロは見事にかき立てていったのだ。

 やがて、過激になりすぎたあまり、摘発される事態も発生。また、明らかに「AV女優への一里塚」になり、ジャンルそのものが存在感を失ってしまった。インパクトとしては「あのアイドルがAVに!」という最短コースに太刀打ちできない。現在も着エロという表現は消滅したわけではないが、もはやかつての勢いと輝きはない。

※週刊ポスト2017年9月29日号

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