梅沢富美男 “キレキャラ”の裏に舞台役者の強烈な矜持

梅沢富美男 “キレキャラ”の裏に舞台役者の強烈な矜持

テレビの出演依頼が殺到する梅沢富美男

 今日も梅沢富美男(66)は怒っている。今やテレビをつければ見ない日はないといっていい。ワイドショーでは「ふざけんじゃねえ!」とブッタ斬りのコメント、バラエティでは周りの者たちにイジられてはブチ切れている。

「今は“キレキャラ”なんて言われていろいろ出させてもらってるけど、こんなの長くは続かないと思ってるよ」

 こう語る本人は、恬淡としている。「いつクビになってもいいように、レギュラー契約はしないんだ。1回ごとの出演契約。言いたいことを言うから、スポンサーに迷惑をかけることもあるかもしれない。そしたら遠慮なく切ってくれよって言ってあるの」

 忖度なしの言いたい放題。その裏側には、梅沢の「舞台役者」としての強烈な矜持がある。

「俺の最優先はあくまで舞台。舞台の予定があればすべて断わる。事務所も個人事務所だから、面倒なしがらみもないし。怖いものなんてないんだよ」

 梅沢は、毎日のようにテレビ出演する一方、「梅沢劇団」三代目座長として全国を回り、年間180日は舞台に立つ。梅沢劇団の舞台は、芝居、歌謡ショー、舞踊ショーの三部構成だ。

 歌の部では「ヒット曲は1曲だけ」と自虐ネタを振りながら、その曲をなかなか歌い出さず笑いをとる。舞踊ショーでは、1983年に梅沢を“下町の玉三郎”として一気に人気者へと押し上げた「女形」で、華麗に舞い踊る。

 芝居は人情劇。そう決めたのは、2011年3.11の震災後、ふるさと福島を訪れたとき、ある少女に心動かされたからだ。津波で両親を亡くして天涯孤独になった中学生の女の子が、ひとり生き残って「もう死にたい」と泣く老女を励ましていた。梅沢はその姿を目の当たりにして、しみじみ思ったのだ。

「ああ。これが日本人の人情だ。気障な芝居はもうやめだ、これからは人情芝居をやっていこう」

 親きょうだい、嫁姑、身近な人間関係の中で繰り広げられる、どこにでもあるような小さな話。笑って、ちょっとほろりとする、そんな芝居だ。客は皆、上気した面持ちで劇場を出ていく。

「とにかく、ハッピーな気持ちになって帰ってもらいたいの」と言う梅沢は、人々を楽しませる生まれながらの「エンターテイナー」だ。

 1歳と5か月で、両親が率いる劇団の舞台に上がり、連日客の喝采を浴び、「天才子役現わる」と騒がれた。が、小学校入学時に親元から、福島の祖母宅へ。そこで底知れぬ貧乏に泣いた。

◆「人情だよ!」と言うようになった原体験

 学用品もろくろく持てない、給食費が払えなくて食べられない、そんな自分が恥ずかしくて学校をズル休みするようになった。年長の不良少年に誘われて、工場に盗みに入ったこともある。あえなく御用となり、工員たちに警察に突き出されそうになった。

「その時、奥から出てきて『許してやんなさい。年上の子たちに誘われただけなんでしょうから』と助け舟を出してくれたのが、その工場の社長夫人。その人はなんと、母親の昔の弟子だったんだ。『あの天才子役だったトンちゃんが……』って俺を抱いて号泣して。芝居より芝居みたいなシーンだよね」

 時代遅れのおっさんと言われようが、やたらと「人情だよ!」と言い続けるのは、こんな体験があったからだ。

「昔の大人はよそんちの子だって叱ったし、大事なことも教えた。でも今のジジババたちは、自分の子供や孫にも遠慮して何も言わないだろう。若い者も空気を読めとか言われて自分を抑える。そんな息苦しい世の中だからこそ、自分はオカシイと思ったことはきっぱりオカシイと言うし、筋の通らないことは違うだろ! って言う」

 厳しい意見の底には、今人々が忘れがちな「人として大切なこと」がある。そんな思いをこのほど上梓するエッセイ『富美男の乱』に正直に綴った。

 取材の間じゅう、彼は一貫して腰が低く、そして上機嫌の人であった。強面のようで慈愛深く、熱いようで冷めている。テレビでキレている梅沢富美男にダマされないように。彼はどこまでいっても“役者”なのだから。

【PROFILE】うめざわ・とみお/1950年11月9日、福島市生まれ。本名・池田富美男。俳優・歌手・タレント。フィトセラピストの妻と2人の娘がいる。初舞台は1歳5か月、15歳で本格的に役者スタート。“下町の玉三郎”として女形でブレイクした。現在は「梅沢劇団」三代目座長として、年間180日舞台に立つ傍ら、コメンテーター、エンターテイナーとしてバラエティ番組で活躍中。9月25日発売の著書『富美男の乱』では、役者人生、家族や故郷への思い、今の世の中から不倫の真相までを告白している。

●撮影/相澤裕明 取材・文/小野純子

※週刊ポスト2017年10月6日号

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