志村けんさん 「オレの子供を産んでくれ」と頼んだ女性

志村けんさん 「オレの子供を産んでくれ」と頼んだ女性

志村さんがたった1つ、果たしたかったこと

「毎年3月には、出演者、スタッフも集まって、一緒に花見をしていたんです。六本木の和食の店を会場にすることが多かったかな。だからもちろん今年も参加するつもりでした。なのにこんな形でもう二度とできなくなってしまうなんて…」(番組関係者)

 あっという間だった。志村けんさん(享年70)は3月19日に発熱と呼吸困難の症状が出て、わずか3日で意識を失った。自分が新型コロナウイルスに感染したことも知らぬまま、誰一人として心の準備が整わないまま、帰らぬ人となってしまった。

 コメディアンとしてお茶の間の笑いを取ることに徹し、プライベートを深く語りたがらなかったが、ここ数年は違っていた。

 家族の知られざる歴史をひもとくドキュメンタリー『ファミリーヒストリー』(NHK・2018年5月)に出演して、自身のルーツに触れたり、『金スマ』(TBS系・2019年4月)では、師匠の故・いかりや長介さん(享年72)への思いを初告白。そして亡くなる4日前には『あいつ今何してる?』(テレビ朝日系)に出演し、過去に結婚を意識した唯一の恋人について明かした。

 さらに俳優としての仕事を避けてきたにもかかわらず、この春からNHKの朝ドラ『エール』に出演、そして松竹創立100年を記念する山田洋次監督の映画『キネマの神様』(2020年末公開予定)への主演に挑戦している最中のことだった。

 志村さんの知人が言う。

「本人は新型コロナに感染したと知らぬまま亡くなりましたが、何か心に期するものがあったんでしょうか…。仕事だけじゃなくて、プライベートでもここ最近変わってきていたんですよね」

 一度夜の街に繰り出せば、深夜3時、4時は当たり前。2軒、3軒とキャバクラやガールズバーをハシゴしては、店員も、居合わせた客をも楽しませる。気っぷのよい支払いも有名で、志村さんの愛車、ロールスロイスが目抜き通りに止まっていれば「今日はお店にいるんだ」と道行く人がわかるほどだった。24才でザ・ドリフターズに加入してから40年以上、欠かすことなく六本木の街へ繰り出しては、車で40分はかかる三鷹市の自宅に帰る日々。「昭和のスター」を地で行く最後の人だったともいえる。

「ただ、ここ1〜2年は街に繰り出してはいたけれど、志村さんにしては節制生活を送っていました。1日2箱というヘビースモーカーだったのに禁煙して、お酒も焼酎のボトルをロックで1本すぐに空けてしまうくらいだったのに、水を飲みながらほんの数杯という具合。考えるところがあったんだと思います」(前出・志村さんの知人)

 節制に加え、岩盤浴にも通った。愛犬・ゴールデンレトリーバーと豆柴の散歩も、ともに暮らす家政婦ではなく自分で行くようになっていた。

「飼い犬2匹を同時に散歩させるのではなく、別々に散歩。1日1万歩以上歩く日もあったみたいですよ。そうしないと、と自分に言い聞かせて運動していたようですが、体が少し引き締まるとうれしいようでお茶目に自慢することもありました」(テレビ局関係者)

 今年、志村さんは東京五輪の聖火ランナーも務める予定になっていた。走るからには「かっこよく走りたい」と、体力づくりに余念がなかったという。

「めったに自分のことは話さない志村さんですが、地元の東村山を走ることを『生きていたらお母さんが絶対に喜んだよね、天国からも見てほしいな』と感慨深げに話していました」(前出・テレビ局関係者)

◆たった一つの後悔があったか

 70才という年齢に向き合い、自分が元気でいられるのはあと何年だろうとふと考える。過去の仕事を振り返り、やり残したことがあったのではないか、まだ挑戦すべきことがあったのではないか、志村さんもそんなことを考えていたのかもしれない。

「志村さんは日本のお笑い界を変えた1人です。コメディアンとしてプライベートで抱える悩みや問題を決して表に出すことはなかった。とにかくその点は徹底していました。

 女の人とつきあって別れるときも、恨まれることなく相手の思う通りに責任をとるといいますか…。それも揉めないためだった気もします。そんな志村さんが自分の結婚についてや、かつて確執も報じられたいかりやさんについて語り始めたのは長く志村さんを知る人たちにとっては驚きでした。

 それにここ最近、志村さんは冗談めかしてではなく『子供を遺したいなぁ』と話すようになっていたんです」(前出・志村さんの知人)

 志村さんに「結婚しなくていいから、経済的には絶対苦労させないから、オレの子供を産んでくれないか」と声をかけられた30代女性がいる。志村さんの口説き文句は初めは冗談にしか聞こえなかった。でも、度重なる「お願い」と飄々とした表情に「本気なのかもしれない」と感じたという。

「自由に生きてきて、倒れる前日まで好きなお店で飲んだり、遊んだりして、みんなに惜しまれてこの世を去る。志村さんとしては理想の最期のようにも思えますが、子供のことだけは本気だったんだと思います。何も後悔がないように見えますが、子供を遺したかったなぁというのは、たった1つの後悔だったのかもしれません」(前出・志村さんの知人)

 結婚したい、子供もあきらめてないと60才を超えた近年でこそ、インタビューで答えたが、若い頃は独身貴族という言葉は志村さんのためにあるというほどやりたい放題。結婚願望があるかないかというより、かなり移り気で志村さんについていける女性はなかなかいなかったという。

「それに、志村さんはとにかくお母さん子。母親の目が絶対というのもあったでしょうね」(前出・志村さんの知人)

※女性セブン2020年4月16日号

関連記事(外部サイト)