高田文夫氏 楽しませ、悲しませてくれた喜劇人たちを想う

高田文夫氏 楽しませ、悲しませてくれた喜劇人たちを想う

早逝の喜劇人たち

 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、高田氏の本棚から、喜劇人たちへの想いをお送りする。

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 無駄に明るい団塊世代の東京っ子。こんな私でもこの世の中にはちと虚無的にもなる。本棚ひっくり返していたら、山頭火と共に自由律俳句で今も暗い人気の尾崎放哉の句が出てきた。まさに今の時代だ。

“咳をしても一人”。ゴホンと言えば龍角散。ご本といえば小学館、とも言える。放浪の俳人である。

“こんなよい月を一人で見て寝る”。離れて一人で見るのをテレムーンとでも呼ぶのか。それもこれもコメディアン志村けん、ある意味コメディエンヌでもあった岡江久美子を早くして失なった日本人の心が皆な切ないのだ。

 私はよくラジオでも言うのだが、「人の死は、楽しませてくれた分だけ悲しい」。100笑わせてくれた人は100だけ悲しい。大して笑わせてくれなかった芸人や作家は死んでも大して悲しくない。私にとって喜劇人の死というのはとてつもなく辛い。沢山笑ってきたからだ。

 本棚の喜劇人コーナーをあれこれ見ていたら「志村けん享年70」は若くはないのだ。志村がお茶の間の喜劇王なら、“日本の喜劇王”と呼ばれたエノケンこと榎本健一は65。晩年は足を切ったりして、子供ごころに可哀そうなお爺ちゃんだと思っていた。エノケン・ロッパと称された古川ロッパ(インテリ)は57。あの貫録たるや70代のものだった。

“昭和の爆笑王”林家三平54。最後まで私がつきっきりで台本を書いていた三波伸介52。あの急死には私が「びっくりしたなあもう」であった。東MAXの父・東八郎も52。おどろくなかれ「怒るでしかし」で漫才の天下を取った横山やすし51である。フルスピードの人生舞台だった。大阪の座長“松竹新喜劇”の名人・藤山寛美は60。志ん生の息子はふたりとも早逝で、いぶし銀・金原亭馬生が54、弟・古今亭志ん朝、ピッカピカのまま63で逝ってしまった。

 ここからはちと東京の笑芸マニアにしか分かりませんが、ポール牧は「指パッチン」で63、「ホンジャマーの帽子」で日芸の先輩、芸術家すぎた早野凡平50。とぼけたマジシャン伊藤一葉45、スターの四人麻雀などみごとなものまねを開発した佐々木つとむ40。他殺という悲しすぎる最後だった。

 生きていれば私と同世代なので色々話もできたのに。終戦直後という時代背景もあるだろうが「純情詩集」で爆発的に売れた歌笑、占領軍のジープにひかれ33で死去。私が今でも最も愛している喜劇人、八波むと志は37で交通事故死。子供だった私は涙も枯れはてた。

イラスト■佐野文二郎

※週刊ポスト2020年5月22・29日号

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