『M』の魔力 僕らはなぜアユとマサから目が離せないのか

『M』の魔力 僕らはなぜアユとマサから目が離せないのか

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 放送のたびに各所で話題になるドラマ『M〜愛すべき人がいて〜』(テレビ朝日、AbemaTV)は、ヒロインのモデルである浜崎あゆみファン以外も虜にしている。眼帯をつけたライバル役の田中みな実や、ハイテンションなボイストレーナーとしてゲスト出演した水野美紀らが話題だが、やはりヒロインとその相手役の関係が気になるというのは、イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏。大映ドラマ視聴体験を通過していない世代でもあるヨシムラ氏が、アユとマサからなぜ目が離せなくなるのか、そしてドラマ『M』が持つ魔力について考えた。

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"浜崎あゆみ"を見ると、中3の冬を思い出す。当時、浜崎あゆみは社会現象となっていて、女子生徒の多くが何かしらのグッズを持っていた。身に付けるだけでは満足できなかったのだろう、クラスのマドンナ的存在の金井さんの机には白い修正液で特徴的な"A"のロゴまでもがレタリングされていた。僕にとって"アユ"とは、金井さんの机に刻まれた"A"を指す。

 あれから20年の月日が経ったが、まさかここにきて"浜崎あゆみ"のイメージが更新されるとは思ってもみなかった。今現在の僕にとって"アユ"とはテレビ朝日とAbemaTVが共同制作しているドラマ『M〜愛すべき人がいて〜』である。現在、第3話までが公開されているのだが、もう浜崎あゆみとそのプロデューサー・松浦勝人のドラマに夢中、夢中。33歳となった今、人生で最も浜崎あゆみの曲に親しんでいる。なんたって、ドラマで盛りあがる場面になると必ず浜崎あゆみのヒット曲が流れるのだ。最高の状態で曲を聴くわけだから、グッとくるに決まっている。このドラマを観るようになって、一生でいちばん、彼女の曲に耳を傾けている。

 様々な角度から検証されている話題作だが、個人的に注視してしまったのがアユ(浜崎あゆみがモデル)とマサ(松浦勝人がモデル)のディープな関係性。劇中、アユとマサは"浜崎あゆみ"というスターを生むための共同作業を行う。2人は強い繋がりと理想をエネルギーに換えて、新世界を築き上げていく。

 ドラマの世界観は現実ではなく、基本的な設定から創作だろう……、と疑いたくなるほどクセが強い。しかし、アユとマサのモデルである浜崎あゆみと松浦勝人が実際に周囲に及ぼした影響をかなり忠実に再現している、と聞いた。確かに松浦勝人のInstagramを見ると、マサのような熱い男である。ドラマで非現実的に感じる2人の世界がリアルだったのか、と思えてくる記述がそこかしこにある。

 例えば、4月18日に投稿された写真では松浦自身と浜崎あゆみがハグをしている。下記は投稿に添えられた文章である。

「いつもどんな時も何があっても どんなことがあっても 俺たちは負けなかったよな。 多分それはこれからも続くのさ。 永遠にね。 誰に邪魔されても ぜってえ負けねぇ!」

「ぜってえ負けねぇ!」という根性論の匂いが強い言葉は、オシャレ空間であるインスタに似合わないはず。しかし、浜崎、松浦ペアにとってはこれこそインスタ映え! そして、2人の精神性を完璧に再現しているのがドラマ『M〜愛すべき人がいて〜』である。

 ドラマで多く描写されているのは、今のところ2人の下積み時代である。タレントとして仕事はあるけれど自分はくすぶっていると悩むアユを、すでにスタープロデューサーだったマサが見出し、「ぜってえ負けねぇ!」2人が「今までにいないカッコいいアーティスト像」を築き上げる過程を描く。毎回、アユには理不尽にも見える試練が与えられるが、くじけそうになっても、マサから叱咤激励されて必ず乗り越える。

 たとえば、あるときはアユの練習シューズに画鋲が入れられている。別のときには、デビューする歌手を選ぶためアユとそのライバルは山岳レースをさせられる。他にも嫌がらせを含めたアユを邪魔する様々な出来事が襲いかかるが、毎回、最後にアユとマサは試練をクリアし抱きしめ合う。だから各話の最後には、困難を乗り越えた安心感が漂い、勧善懲悪のヒーロードラマのようにすべてが解決したような気持ちで見終わることが出来る。『M〜愛すべき人がいて〜』は構図が明確で、物語の展開はとことんわかりやすくスカッとしている。そして、「浜崎あゆみはのちにスターになる」と知っている我々は、アユとマサが「ぜってえ負けねぇ!」カタチでドラマが終わることもあらかじめ分かっている。安心して観ていられるドラマでもある。

 その一方で、エピソードのひとつひとつは、安心して観ていられるものばかりではない。策略によってマサとの待ち合わせ場所へ入れなかったアユが突然、庭で歌い出したり、浜辺に流木で17文字もの歌詞を書いたりする。どちらもアユの才能の素晴らしさにマサが感激するのだが、アユの突飛な行動に驚かされるのが先に立って、感激するマサに共感するのはなかなか難しい。それはきっと、アユであれば何をしてもすべてを納得させる力があった時代をそのまま描写しているためではないかと思う。

 1990年代後半の浜崎あゆみは何をしても最先端でかわいく、格好いい存在だった。あれから随分と時は経ったわけで。21世紀になり20年、元号も平成から令和に変わったし、中学のマドンナだった金井さんも結婚したと聞く。彼女が浜崎あゆみの世界観にどっぷり浸かっていた20年前なら、2人が綴る『浜崎あゆみ物語』にリアリティを感じ、有無も言わさず納得させられた(かもしれない)。しかし、2020年の視聴者である僕は、金井さんと違って当時の熱狂を外側から観ていたため渦の中の勢いが思い出にすら残っていないから、アユとマサの熱さと勢いに驚かされ、振り回される。この振り回される感覚が、だんだん癖になってくるからこのドラマは侮れない。

 作り手は本気でアユとマサの物語のリアルを描いているつもりなのだと思う。しかし、コチラが瞬時にそれをリアルと受け止めきれない。奇妙な非現実感を生み出すのだ。成功への渇望はかなり強く、目指すは「売れる」「スターになる」こと。2人の目標は世の中の人が注目する輝く存在となることなのに、劇中向き合う困難は、まるで梶原一騎原作のスポ根マンガのように具体的なハードルだ。そのスクワット1000回のような障害を乗り越えることは、果たして2人が目指すゴールへと繋がっているのか?と思わなくはないが、そんな疑問をじっくり考える暇を与えぬ過剰なリアクションでアユとマサは困難をクリアし続ける。

 一話を見終わって少し経つと「過剰すぎやしないか……」と思わせるドラマである。「今やっている苦労はどこで報われるのだろう……」と首をかしげたくなるような努力を続けるバディを、自分は応援すべきなのか迷う。画面に現れるアユとマサ以外の人物が持つ情報量が多いことも相まって、視聴者は2人を冷笑する敵役たちのほうへ目を向けてしまう。そして、我ながら意地悪いなあと思うが、目標に向かって熱く燃えあがるアユとマサを嘲笑ってしまう。街中で濃厚にイチャつくバカップルをついつい観察してしまう感じに似ているのか……、内心「うわぁ〜」となりながらも僕を夢中にさせる。脇役のことばかり話題にしても、結局はアユとマサが気になるのだ。だって、何があってもお互いを必要とするカップルなんて、羨ましいに決まってる。

 結局、コチラはなんだかんだ言っても1990年代から現在までを駆け抜けてきたアユ(浜崎あゆみ)とマサ(松浦勝人)から目が離せてないわけで。現在は圧倒的なスターがいない時代である。だからこそ、平成という時代にカリスマと君臨していた浜崎あゆみの熱量に引きつけられる。スターのサクセスストーリーは誰しもが興味を持つもの。これだけでも十分すぎるのに、更に昭和的スポ根要素を加わる。浜崎あゆみ全盛期を知る人にとってはもうたまらないのだ。

 そもそもドラマ『M〜愛すべき人がいて〜』は原作がノンフィクション作家による「事実を基にした」フィクション小説である。ドラマHPをみると「原作に"ドラマならでは"のオリジナル要素を加えて、壮大なスケールで描いていきます」と記載されていた。「激動の音楽業界の光と影を圧倒的なスケールで描く」とコピーが打たれているが「本当の音楽業界は違うだろ!」とツッコミを入れたくなる……が、そんなことを言うのは野暮である!

 演者の熱演が光るドラマではあるが、唯一気がかりな点が第4話以降の放送が未定なことである。制作上の都合なので仕方はないが、早く続きを観たいものである。

 現状、僕は『M〜愛すべき人がいて〜』に大きな可能性を感じている。その時代に大きなブームを起こしたドラマは、これまで数々のコメディアンによってモノマネされ、パロディになり、元のドラマを知らない人にも伝えられる存在となってきた。マサのセリフ「俺を作った虹を渡れ」が、ドラマを観なかった人にも届くパワーワードとなるのを期待したい。

●ヨシムラヒロム/1986年生まれ、東京出身。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。イラストレーター、コラムニスト、中野区観光大使。五反田のコワーキングスペースpaoで月一回開かれるイベント「微学校」の校長としても活動中。著書に『美大生図鑑』(飛鳥新社)

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