女優・秋吉久美子にとって「脱ぐこと」に覚悟は必要なかった

女優・秋吉久美子にとって「脱ぐこと」に覚悟は必要なかった

女優・秋吉久美子が肌を晒した経緯

 1972年のデビュー以来の出演作について語り尽くした女優・秋吉久美子の研究本『秋吉久美子 調書』(秋吉久美子、樋口尚文/著 筑摩書房刊)が発売中だ。その著者である映画評論家・映画監督の樋口尚文氏が、1970年代に日本の青春映画を大きく変えた秋吉久美子について綴る。

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 1970年代に青春を過ごした人びとにとって、女優とヌードは切り離せない関係にあることだろう。

 たとえばデビュー間もない秋吉久美子は、日活という映画会社でたて続けに3本の主演作を放ち、その鮮やかな演技が圧倒的な評価を集めて女優としての確かな一歩を踏み出した。1974年公開の『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』という藤田敏八監督による〈クミコ三部作〉は封切の後も名画座の人気番組となって上映が続き、大学生や若いサラリーマンを中心とするファンによって熱烈に支持された。

 この季節にあって、秋吉のロリータっぽい風貌とグラマラスな肢体のアンバランスさが醸す色香は、繊細で危うい演技の持ち味と掛け合わさって、得難い不安定さの魅力をつくっていた。秋吉の裸像は、ただの客寄せのサービス材料にとどまることなく、明らかに秋吉久美子という新時代の女優の表現力を増幅させる飛び道具だった。

 秋吉は日活の専属女優ではなかったが、これらのヌードを披露した主演作のヒットで日活を潤わせ、活気づけた。だが、このひと昔前、1960年代までの日活にあって専属女優であった吉永小百合、芦川いづみ、浅丘ルリ子、松原智恵子、和泉雅子らがスクリーンでこんなに堂々と裸像を見せることなど考えられなかった(クミコ三部作のちょうど10年前、1964年に公開された浅丘ルリ子映画出演100本記念作『執炎』では浅丘がつつましいヌードをごく一瞬披露するだけで大騒ぎだった)。

 この時分、スクリーンに挑戦的に裸像をさらすことを厭わなかったのは群小ピンク映画の女優たちだけであって、メジャーの邦画各社のスタア女優が銀幕にバストの尖端やヒップの割れ目をさらすというのは御法度であった。

一般映画以上/ロマンポルノ未満の「ヤバさ」

 ところが1970年代ともなると、1950年代後半の黄金期から地滑り的に凋落していった日本映画の興行不振もきわまって、邦画の雄だった大映が倒産するというまさかの事態となる。そして日本の映画会社としては最も歴史のある日活も、背に腹は代えられずなんとヌードとセックス描写を売り物とする「日活ロマンポルノ」路線を打ち出す。専属のスタア女優たちはこぞって撮影所を去ったので、日活は独自に脱ぐことをためらわない女優を発掘し、育てることになった。

 偏見にまみれたこの路線は時に警察の摘発の対象となったりもしたが、わが国の性表現の拡張を通して映画表現の可能性を跳躍させた(同じく興行上の要請からハードな迫真の暴力描写を売りにするようになった東映の「実録やくざ映画」路線も、同様に日本映画の表現に弾みを与えた)。海の向こうでアメリカン・ニューシネマが沸き起こっていたこの頃、まさに日本の映画界も既成の古式ゆかしい美徳や倫理が壊れて、新たな表現の鼓動が聞こえ出した時代であった。

 そして新星・秋吉久美子が招かれた日活の青春映画は、ロマンポルノで稼いでいる日活が春休みや夏休みにいつもよりいくぶん多めの予算で(老舗映画会社の良心として!)製作する「一般映画」であって、「ロマンポルノ」枠ではなかったのだが、秋吉はたまに記者から「ロマンポルノの新人女優」と勘違いされて困ったという。ただ、確かに性表現を軸とする成人指定の「ロマンポルノ」作品ではないものの、当時の日活には一般映画といえどもクリーンな東宝や松竹とは違った「ヤバさ」があった。

 それは秋吉の言葉を借りれば「一般映画以上/ロマンポルノ未満」の「ヤバさ」で、これはもちろん性(的)表現を物差しにしてはいるが、なんとなく物語や雰囲気全体が反体制的であったりニヒルであったり、アウトロー志向であったことも含んでいる。またアウトロー志向といっても、東映が打ち出していたような「ヤンキー的」な不良性感度ではなく、もっと「ヒッピー的」な内向と逸脱がお家芸だったと思う。しかしこれは早熟な文学少女だった秋吉にとっては格好のデビューの場であったはずだ。

 その理由はもちろん物語やモチーフの好みや似あい方もあるが、なんといっても秋吉の飛び道具であるヌードを演技のひとつとして披露できたからである。これが東宝や松竹の映画で遠慮がちに脱いだり、東映の映画で荒っぽく脱がされたり、ではいけないのだ。日活の「一般映画以上/ロマンポルノ未満」のやさぐれた青春映画で、ごくあたりまえに、生きていることの証しとしてバストをあらわにして銀幕で呼吸することが、秋吉にはぴったりだったのだ(実はこれに先立って秋吉は、幻のデビュー作である『十六歳の戦争』でも新鮮な美しさ溢れる裸像を見せているのだが、これもまたごくごく自然な生のままのヌードであった)。

 これはどういうことなのか。かつて「メディアはメッセージである」と言った学者がいたが、秋吉の場合も裸像は見世物ではなく「ハダカはメッセージである」のだった。といっても、物語上の情感を背負って脱いでいるとか、役柄になりきって熱演のハンコとして「いい脱ぎっぷり」を見せているとか、そういうことではない(わが国のマスコミには女優が裸も辞さず熱演すると演技がひと皮むけた、みたいな見方があったが、若き日の秋吉はそういう方程式をみごとにすり抜けている)。

「ハダカはいいものだ」

 つまり、聡明な秋吉にとっては、それまでのスタア女優にとっては「一世一代の覚悟」を要した「脱ぐ」という行為に何のためらいも罪悪感もなかった。ヒッピー文化を愛した彼女にとって、自然に裸体をさらすということは、それ自体が自由や解放の符牒であって、そういう意味で「ハダカはメッセージである」のだった。しかも、秋吉はしばしば「ハダカはいいものだ」とさえ言う。彼女はティーンの頃に『ロミオとジュリエット』を観て、主演俳優たちのバストやヒップの豊かさ、美しさを「いいものだ」と率直に肯定した。

 デビュー時の秋吉にとっては、ヌードもノーブラも「いいもの」であり、さらにはファッションですらあったので、「脱ぐ」ことに覚悟を求めてきたり、裸像をことさらに煽情的にクローズアップしようとしたのは、古いオトナたちばかりあった。そんな愚かでつまらないオトナたちの視線を感ずる時、せっかく意気揚々と「いいこと」をしているつもりのクミコは不機嫌になった。はるか世紀をまたいだ今、われわれが秋吉の美しい裸身を見るまなざしは、はたして秋吉自身の自然さ、自由さに追いついたであろうか。

●『秋吉久美子 調書』 秋吉久美子、樋口尚文/著 筑摩書房刊
・刊行記念特集上映「ありのままの久美子」が10月17〜30日にシネマヴェーラ渋谷にて開催予定。

※週刊ポスト2020年10月2日号

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