柏原芳恵 事実婚の22才年上夫が白血病患い献身介護の日々

柏原芳恵 事実婚の22才年上夫が白血病患い献身介護の日々

事実婚恋人を献身介護

 1980年にデビューした柏原芳恵(55才)にとって、今年はデビュー40周年を迎えるメモリアルイヤーだ。同期に松田聖子、田原俊彦らがいる“アイドル黄金期”に活躍し、80年代を代表するトップアイドルの1人だった彼女はいま、30年前に出会ったパートナーとの絆を改めて感じているのかもしれない──。

 1979年、大阪に住む中学2年生だった柏原は、伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)でグランドチャンピオンに輝き、スカウトされた。

 翌年、単身上京し、阿久悠作詞の『No.1』でデビュー。1980年といえば、松田聖子(58才)、田原俊彦(59才)、河合奈保子(57才)らが綺羅星のごとく現れた記念すべき年。そのなかで「柏原よしえ」としてデビューした彼女は、『No.1』で14才ながら、体を艶めかしくくねらせた歌い方で一躍注目された。

 1982年、17才の誕生日に本名の「柏原芳恵」に改名し、谷村新司(71才)や松山千春(64才)など、ビッグネームのシンガーソングライターが提供する楽曲路線に挑んだ。なかでも忘れられない名曲となったのが、中島みゆき(68才)が作詞作曲した『春なのに』(1983年)だ。恋人との切ない別れを繊細に表現したこの曲は多くのファンの心をつかみ、『ハロー・グッバイ』(1981年)に次ぐ大ヒットとなった。

 ちなみに中島が作詞作曲した楽曲で最も多くトップ10に入るヒットを出したのは、研ナオコ(67才)でも工藤静香(50才)でもなく、柏原だ。

「中島さんは芳恵さんに『春なのに』の歌唱法を伝授するほど入れ込んでいました。中島さんから『すべての歌詞が悲しいのではない』と教えられた芳恵さんは、“春”は楽しい、“別れ”は悲しいというように、メリハリをつけて歌うようになりました」(音楽関係者)

 1986年10月には、柏原の大物ぶりを物語る、異例の出来事が発生した。かねてから柏原の大ファンを公言されていた浩宮さま(現在の天皇陛下)がリサイタルを訪れ、庭に咲く一輪のプリンセス・サヤコ(バラの花)を柏原に手渡されたのだ。この出来事は、翌日の一般紙とスポーツ紙の一面を埋めた。

「そのバラは原色ドライフラワー処理をして、そのままの色と形で保存してあるそうで、芳恵さんにとって“家宝”です」(前出・音楽関係者)

 大阪から単身上京して6年、20才になった柏原は両親に5LDKの家をプレゼントするほどの売れっ子となった。

「デビュー後はトップアイドルとしてだけでなく歌手や女優、グラビアモデルとしても幅広く活動して多忙を極め、25才のときには自由を求めて突然姿を消したことがあります。そのときは南の島に逃亡したそうですよ(笑い)」(前出・音楽関係者)

香港で出会った22才年上男性と事実婚

 浩宮さまに見初められたことから、「ロイヤル・アイドル」とまで称された柏原だが、異性関係がゴールに結びつくことはなかった。これまでマスコミから何度も「結婚しないの?」と尋ねられても、現在まで独身を貫いている。

「交際報道はたびたびありましたが、彼女の場合は決まって年上がお相手でした。最初の噂は当時所属していたプロダクションの20才ほど年上の社長で、次が1才年上の歯科大生。その後、俳優の宅麻伸さん(64才)とも浮き名を流しましたが、結婚にはいたりませんでした」(芸能記者)

 しかしその裏には、ある年上男性との長きにわたる禁じられた恋が存在する。1990年、柏原はVシネマの撮影で出かけた香港で、アクション監督兼俳優として活躍していたK氏と運命の出会いを果たした。

「Kさんは芳恵さんの22才年上で、出会った頃のふたりは20代半ばと40代後半。その翌年に日本と香港の合作映画『メイプル・オン・ファイアー』の監督と主演女優として再会し、2か月にわたるロケの最中に急接近しました」(前出・音楽関係者)

 年齢差をものともせず深い仲となったふたりだが、異国で芽生えた恋には大きな障害があった。このとき、K氏には妻と2人の子供がいたのだ。

「Kさんの奥さんは中国籍の女性で、香港での撮影時は親身になって、英語と中国語が不自由な芳恵さんの世話をしていました。芳恵さんも奥さんを慕い、『ママ』と呼んでいたほどです。もちろん奥さんは夫と芳恵さんが男女の関係になったことを知りませんでした」(前出・音楽関係者)

 その後、事態は急展開を見せた。香港の芸能誌が柏原とK氏の関係を報じ、不倫が妻にバレてしまったのだ。

「Kさんは奥さんを見捨てるかたちで、芳恵さんを追い、はるばる日本にやって来ました。芳恵さんも“運命の相手”を受け入れて、ふたりは東京で同棲を開始。突然の不倫略奪同棲は日本でも大きく報じられ、詳細を知ったKさんの奥さんは、『恩を仇で返した!』と芳恵さんを恨んだそうです。その後、Kさんと奥さんは離婚協議を始めましたが、2人の子供のこともあり、なかなかうまく進まなかった。

 それに香港の法律では離婚した人は最長で5年間は再婚できない規定があり、芳恵さんとKさんは正式に結婚することができず、事実婚状態となりました」(芸能関係者)

 当時、テレビリポーターからたびたび、不倫同棲について直撃取材されたが、ふたりはそれからも揺らぐことなく愛を育み続けた。

「ふたりは都内にある芳恵さんの自宅で同棲し、ゴミ捨てをしたことがないという彼女の代わりに、Kさんがゴミを出す姿がたびたび目撃されました」(前出・芸能記者)

誰の手も借りずひとりで介護

 その後も事実婚を続けたふたりに再び大きな転機が訪れたのは、2015年。70才を超えたK氏が、白血病を患ったのだ。

「当時は、芳恵さんが連日通院するので、彼女が病気にかかったのではないか……と噂されたほどです。しかし違った。それはKさんの見た目が変化していたことで明らかになりました。抗がん剤の使用で髪の毛が抜け落ち、以前よりやせたKさんを芳恵さんは甲斐甲斐しく看病しました。

 退院時は『ご心配をおかけしました』とふたりそろって近所に挨拶に行くこともありましたが、その後もKさんは入退院を繰り返しました。この頃の芳恵さんは仕事をセーブして、入院時は毎日のように看病に行っていましたよ。

 それまで身の回りのことは全部ほかの人がやってくれていたようですから、彼女にとっては初めてのことばかりだったみたいで、それはそれはお疲れのようでした」(ふたりをよく知る知人)

 それから5年あまり経ち、病状が落ち着いたK氏は現在、自宅療養をしているという。

※女性セブン2020年12月3日号

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