【帰ってきたアイドル親衛隊】日活ロマンポルノデビューが衝撃的過ぎた畑中葉子

【帰ってきたアイドル親衛隊】日活ロマンポルノデビューが衝撃的過ぎた畑中葉子

(提供:リアルライブ)

 アイドルはどういう形で売れるのかという定義は無く、ひょんなキッカケで大きく飛躍することも珍しくは無い。今回はいきなりデュエットでデビューして瞬く間にブレークを果たした畑中葉子に注目したいと思う。畑中は1978年に平尾昌晃とデュエットをして『カナダからの手紙』でデビューすることになった。2人は音楽スクールの先生と生徒という関係なのだが、子供心に2人を見た印象は、おっさんとカワイイ女の子が楽しそうに歌っているという感じだ。自分よりかなり年上で当時19歳の畑中だが、歌っている2人を見ると平尾に嫉妬するようなこともあった。もしかして私の初恋なのか?と思えるほど気になる存在になっていた。

 そんな憧れの存在の畑中に実際に会える機会がいきなりやってきたのだ。忘れもしないそれは小学5年生の時の2月11日である。当時の私は小学校の合唱団に所属していて、合唱の発表会のために中野サンプラザのステージで歌っていた。どうでもいいことだが、これが私の初舞台である。こんな私の経歴はさて置き、このステージの後に池袋の西武百貨店の屋上で、畑中のソロデビュー曲『ロミオ&ジュリエット'79』の発売イベントが行われることになっていた。合唱の発表会の後に、一緒にいた母親にリリースイベントに行きたいとねだってみた。母親が快くOKしてくれて、現地へと行くことになった。イベントのスタート時間ギリギリの到着だったが、小学生の子供という特権でセンター最前列で観ることができた。目の前で畑中が観れて子供ながらかなり興奮して観ていた。イベントでは『カナダからの手紙』を畑中とデュエットできる画期的なコーナーが設けられたので、デュエットしたい人を客席から選ぶという感じで進められた。私も一生懸命に手を挙げてアピールしたのだが、選ばれることが無かった。そこで選ばれなくて悔しかったが、その後の握手会で畑中と初めての握手をして、デュエットのことなんてどうでもよくなっていた。この握手をキッカケに畑中の現場へ行こうと決心した。

 しかしこの決心を諦めさせる衝撃的な出来事が間もなく起きてしまった。翌年に映画デビューすることになったのだが、これが何と日活ロマンポルノだった。この事実を知った時はかなりのショックだったが、同時に頭の中は畑中の裸でイッパイになってきた。続いて80年12月に2作目の映画『後から前から』が封切りされるのだが、18歳未満禁止の成人映画ということで、小学生の私はどうにもならなかった。できることといえば『映画の友』(近代映画社)を本屋で立ち読みして、畑中の裸を脳裏に焼き付けるようなことくらいだった。その後も数本のロマンポルノに出演した畑中だが、わずか2年たらずでポルノ女優も引退してしまった。

 自分と畑中はもう縁がないのかと思っていったが、1984年の夏頃に池袋日勝地下という映画館の前を通り過ぎようとした時に、古いポルノ映画がやっていた。それが何と『後から前から』だったのだ。映画は2本立てだったが、私は畑中のポスターを見て映画館の中へ吸い寄せられていった。当時は高校2年生で、成人映画ということで本来18歳未満は禁止だったが、17歳ならバレないと思い映画を観ることにした。スクリーンには私が好きだった頃の畑中がいる。さらに裸になっている畑中がそこにいる。そのままトイレへと駆け込もうと思ったけど、一瞬たりとも見逃したくないので、約2時間はスクリーンから目を離すことなく釘付けになっていた。観終った後は妙な達成感もあり、子供の頃の忘れ物を取りに行けた気分になっていた。

 その後にビデオが普及してから畑中の作品は全部観たが、本人と会うことは一切なかった。そんな畑中だが、数年前から芸能活動を再開して、新たにアルバムを発売したり、イベントなども開催している。さらに舞台にも出演したりと精力的に活動をしているみたいなので、子供の頃の憧れだった畑中と近い将来に会えると思う。

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

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