蔦谷好位置 売れないバンド時代からYUKIに認められるまで

蔦谷好位置 売れないバンド時代からYUKIに認められるまで

蔦谷好位置 売れないバンド時代からYUKIに認められるまで

音楽プロデューサーで作曲家の蔦谷好位置さんが、11月27日放送のTOKYO FM「SCHOOL OF LOCK!」に登場。11月11日に未来のアーティストに向けて開催された音楽の授業「未確認クリニック」において、パーソナリティのとーやま校長がインタビューした模様をお届けしました。その中から、蔦屋さんが音楽と出会い、バンド“CANNABIS”でメジャーデビューし音楽プロデューサーになるまでの軌跡を伺った部分を紹介します。



とーやま校長:蔦谷先生は1976年札幌生まれで、現在42歳。小さい頃からピアノを始められていたそうですが、これは親の……?

蔦谷:最初は親に無理矢理やらされて、ちょっと嫌でしたね。自分で言うのもアレですけど、音楽センスはまぁまぁだったと思うんですよ。それは小さい頃からちょっとは気づいてはいるんだけど、楽しくはないんです。バイエルとか譜面通りにずっとやらされて、そんなに面白いものではなくて……。あとは男の子なんで、周りはみんなサッカーやったりして遊んでるのに、俺はピアノ教室に通わなきゃいけないみたいな。ちょっと自意識過剰もあるけど、少し恥ずかしい気持ちもありましたね。

とーやま校長:そこから小学校4年生にして、パソコンで打ち込みをされるんですね。

蔦谷:これは結構重要ですね。うちはファミコンを買ってもらえなかったんですよ。その代わりに、よくわからない安い“MSX”ってパソコンがあったんです。でもカセットとかもないから何もできないんですよ。ただ自分で本を買って、“10何とか20”ってプログラムを打つみたいなことをして、曲を作ってたんです。

とーやま校長:そんな中、大学3年の2月に、後にメジャーデビューも果たすCANNABISを結成。大学卒業後の2000年にワーナーミュージック・ジャパンよりデビュー。

蔦谷:このバンドを結成してから、僕は結構とんとん拍子だったんです。(曲を)作ったら全部送るんですけど、色んなレコード会社とか事務所から必ず返事が来たんです。最終的には札幌の二百五十人ぐらい入るライブハウスでワンマンをやったんですけど、そこの百人くらいが東京から来た関係者みたいな。「これはもう売れたな!」って、だいぶ調子に乗ってたんです。で、ワーナーに決まったんですけど、最初にコンベンションライブっていうのがあるんです。

とーやま校長:お披露目ライブみたいな。

蔦谷:そうですね。色んなラジオ局とかテレビ局の人とか、ライターさんとか数百人が来て、「これは売れたな!」って、またそれです。

とーやま校長:鼻が伸びっ放しだったんですね(笑)。

蔦谷:そうなんです。で、デビューシングルは亀田誠治さんのプロデュースだったんですけど売れなくて。セカンドシングルも亀田さんがやるってなって、そのアレンジを亀田さんが帰った後に、レコーディングスタジオで全部勝手に自分で録り直して。それで勝手にリリースしたんですよ。

とーやま校長:ちょっと待ってください。会場がドン引きですよ。

蔦谷:だから、ヤバいヤツの話だと思って聞いてください(笑)。でもそれも売れなくて。メジャーの契約は2年だったんですけど、最初は数百人来てた関係者が、最後の頃にはお客さん4人とマネージャー1人とメンバー5人みたいな。バンドも解散したくなかったんですけど、周りの大人から「もうお前ら続けられないだろ? 解散させる」と言われて。

とーやま校長:うわ。聞いてるみんなも、だんだん伏し目がちになってきてるけど……。

蔦谷:すいませんね。でもここから、ちょっと明るくなって行くんで(笑)。この頃は着メロとかを作って生計を立てていたんですけど、音楽を出来なくなるのが一番嫌だったんです。そこで「作曲好きだしアレンジも好きだしライブしてるのも好きだから、全部できる仕事って何かな?」って考えたときに、「プロデューサーだ!」と思ったんです。 元々そういうのに興味があったんですよね。で、名刺代わりに一枚のサンプルCDを作って、名刺をもらった数百人全員に電話しました。

とーやま校長:メジャーデビューしたときにもらった名刺を使ったんですね。どんな反応だったんですか?



蔦谷:12人ぐらいしか会ってくれなかったですね。そのときはむかついちゃうんですけど、結局売れなかったのは自分のせいなんで。人のせいにしちゃいがちなんですけど、「まぁ頑張るしかない」と。そうやって、2年くらい色んな人にCDを渡していました。
僕は自分の曲にすごく自信があったんです。良い曲を作っていると思ってるけど、誰からも「良い!」って言ってもらえないどころか聴いてももらえない。「これはどうしたもんか」と心が折れるときもあったけど、何とかそこは“音楽が好き”っていう気持ちだけで続けてたところがありました。と同時に、「聴いてもらえないのには何か理由があるだろう」と思って、すっごい生意気だったこととかも改めていこうと思いました。捨てたほうがいいプライドと、絶対曲げちゃいけない守らなきゃいけないプライドを、自分で選び始めた感じです。

とーやま校長:26歳でバンドを解散して、ここからそろそろ新しいポイントが出てくるんですか?

蔦谷:この2年間、色んな人にCDを渡してもほとんど聴いてもらえなかったんですけど、色々いい曲が入ってたと思うんですよ。聴いてもらえない中、今の事務所(agehasprings)の社長が初めてちゃんと聴いてくれて、一週間後に会うことになって。「お前の曲良いから、ちょっと上に聴かせるわ」、「またちょっと曲作って来て」みたいな感じで言われて。いつもみんなに聴いてもらえなかったから、「本当かよ?」って信用してなかったんですけど、「『めっちゃいい! 私はあなたの曲に出会うのに10年待ってた』ってYUKIが言ってる」って。「本当かよ?」ってまた思いましたね。

とーやま校長:まだ信じることができない?

蔦谷:信じられなかったですね。この2年間でいっぱい色んな人に渡したのに、みんなそれを聴いてくれなかったし、聴いても「良い」とは言ってくれなかったんですよ。でもたまたま、うちの社長とYUKIさんが「良い」って言ってくれて。これはタイミングもあると思います。すごく運が良かったし、繰り返したことが良かったんだなと思います。このとき、貯金が二千円くらいしかなかったんですけどね。

とーやま校長:ええ!? 29歳ぐらいのときに?

蔦谷:もうリリースされているんですけど、印税って入ってくるのが半年以上先なんですよ。その二千円しかないときに渋谷のスクランブル交差点を歩いたら、あのでっかいビジョンでYUKIさんの『JOY』(※)がかかっていたんです。あそこって何千人って人が歩いているじゃないですか。でもみんな、「あれ、知ってる! いいよね!」みたいな感じになってるんですよ。誰も俺が作ったことには気づいてないけど、それがすごく嬉しくて。今までの悔しかった気持ちと色んな複雑な感情が混ざって、泣きながら歩くっていうちょっとエモい瞬間がありました(笑)。
(※2005年発売のYUKIさんの9枚目のシングル。作詞はYUKIさんと蔦谷さん、作曲を蔦谷さんが担当している)


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<番組概要>
番組名:SCHOOL OF LOCK!
パーソナリティ:とーやま校長、あしざわ教頭
放送日時:月〜木曜 22:00〜23:55・金曜 22:00〜22:55
番組Webサイト ⇒ http://www.tfm.co.jp/lock/

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