高橋三千綱「僕の原動力は、好奇心だったと改めて思う」

高橋三千綱「僕の原動力は、好奇心だったと改めて思う」

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 思い出が入った箱の中身を開け閉めしながら、楽しんで小説を書く。最近はそんなふうに作家としての仕事に取り組んでいます。だからこそ、30年近く温めてきた皇帝ペンギンをテーマにした作品が書けたんじゃないかと感じているんです。

 きっかけは、40歳のときに旅した南極での皇帝ペンギンとの出会いでした。当然だけど、南極にあるのは雪と氷だけ。人間もほとんどいない。でも、ペンギンたちはそんな過酷な自然環境のなかで生きていた。

 あの無防備な姿を見ていると、ペンギンの祖先は、エサが豊富にある温暖な住みやすい地から追い出されて、強い動物から逃げるようにして南極まで辿り着いたんじゃないかと思った。それでもペンギンたちは南極に適応し、子を育てて生き延びてきた。そんなペンギンに敬意を表して、物語にしてみたいと考えたんです。お前たちは生きているだけで価値があるんだ、と。

 しかし出会いから『さすらいの皇帝ペンギン』を刊行するまで30年近くの歳月がかかってしまった。ぼくはずっと酒を親友だと思って付き合ってきました。60歳までは毎日ビール大瓶5本に、日本酒6合。だから、正気の時間が1日に2時間半くらいしかなかった(笑)。

 けれども、還暦を迎えて酒が進まなくなってしまった。頑張って飲もうとするんだけど、体調が悪くて飲めない。そんなのはじめてだったから病院に行って検査してみるとガンマGTPが4026を越えていた。で、肝硬変で宣告は「余命4カ月」。

 死を意識したせいか、思い出が頭の中に次々と浮かぶようになった。馬で40日もロッキー山脈を旅したり、スコットランドでのゴルフ場破り、映画の自主製作。あるいは愛情深いブルドッグの思い出。

 そんな時期に病床で書きはじめたのが、ぼく自身を投影した小説家の楠三十郎が青春時代を過ごした街や憧れの地を彷徨する『猫はときどき旅に出る』。酒が完全に抜けて醒めていたせいか、書き終えてみるとやり残していた皇帝ペンギンを巡る物語に書き上げるエネルギーが残っているのではないかという手応えがあった。いや、いまなら“生きているだけで価値がある”とまで感じた南極の皇帝ペンギンを描けるんじゃないかと確信した。

 そうして完成したのが、楠が皇帝ペンギンの雛を南極に届ける『さすらいの皇帝ペンギン』だった。

 同年代の作家は、それぞれのテーマに従って作品を書いていた。たとえば、中上健次は被差別部落出身、つかこうへいは在日韓国人という自身のルーツがテーマだった。でも、ぼくには決まったテーマはない。そう考えていたのだが、最近になってぼくの原動力は好奇心だったんじゃないかと改めて思うようになった。

 振り返ると好奇心の赴くままに旅をしてきた。はじめての1人旅は伊豆七島の大島。あの島にはどんな人が住んでいるんだろう――小学6年生のぼくは、そんな好奇心に突き動かされて旅に出た。

 もう1つ、作家としての原点という意味で大きかったのは、愛犬との別れ。父の高野三郎が突然小説家になると宣言し、大阪で米問屋を営んでいた家を捨て、東京に出ていくことになった。当時3歳だったぼくも母と姉とともに上京したが、飼っていた柴犬は連れて行けなかった。まるでボディガードのようにぼくのあとを付いてくるような犬だった。

 東京へ向かう日。汽車に乗り込むと、鎖を引きちぎった柴犬がプラットフォームに駆け込んできた。ゆっくりと汽車が動き出したので、ぼくは窓から手を伸ばした。けれど、届かない。駅員に手旗でひっぱたかれながらも犬は走り続けた。やがて汽車がスピードを上げて、よろけた犬の姿が見えなくなってしまった。

 幼いころの記憶だが、姉の泣き声や、父のなんとも言えない表情とともに不思議と鮮明に残っている。いまぼくの作品に活かされているのは、そんな1つ1つの思い出です。

撮影/弦巻 勝

高橋三千綱 たかはし・みちつな
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学中退後、新聞記者として勤務しながら、執筆活動を開始。74年に、『退屈しのぎ』で群像新人文学賞を受賞。78年、『九月の空』で芥川賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。青春小説や、時代小説のほか、ゴルフに関する著作も多数。

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