山田邦子「ビートたけしさんには、しょっちゅう怒られました」

山田邦子「ビートたけしさんには、しょっちゅう怒られました」

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 伝説のお笑い番組『オレたちひょうきん族』など、レギュラーは数知れず。好きなタレント調査では、8連覇と、テレビ史上最強の女性ピン芸人が本誌に降臨。敬愛するビートたけしの想い出から、禁断のホストクラブ通い、がんとの闘病体験まで語った!

――邦子さんが長年、出演している舞台『眠れぬ夜のホンキートンクブルース第三章〜覚醒〜』が、6月2日から、いよいよスタートするとのことですが。

山田 本当に面白い舞台なんです。ホストクラブが舞台の話なんですが、見に来てくれる女性ファンの熱意も、本物のホストクラブ顔負けといった感じで(笑)。

――ということは、邦子さんはホストクラブに行かれたことがあるんですね?

山田 アハハ。そっちに話が行きますか。そりゃ、ありますよ、30回ぐらい。

――かなり行ってますね。

山田 私も、もう56歳ですから。長い人生、何度かは行きますよ(笑)。

――どうでした?

山田 不思議な空間ですよね。トマトジュースでも5000円ぐらいするの。

――高いっ!

山田 それと、すごく格好いい人がナンバーワンってワケでもないのね。なんていうのか、ゴツゴツした感じの、ワイルドかつ母性本能をくすぐる男性が、一番人気なの。まあ、それは私の若い頃の話ですが。最近の歌舞伎町は、女の子みたいなホストが人気みたい。

――中性的なタイプ?

山田 そう。私たちの頃は『西部警察』の渡哲也さんみたいな……そう思うと、ホント、大昔の話ね。私のホストクラブ体験なんて。

――すでにテレビ出演されていたんですよね?

山田 そうねえ。20代の頃だったかな。ただ当時はホストクラブにせよ、銀座のクラブにせよ、芸能人はよく遊んでいましたよ〜。みのもんたさんしかり、松方弘樹さんしかり。みんなギラギラしていて、勢いだけの危険な時代でしたね。

――古き良き時代ですね。

山田 そうねえ。ただ、本当に私は、業界の先輩方にかわいがっていただきました。誰かが飲んでいれば、“邦子、どこにいる? 飲みにこい”みたいな感じで、気軽に誘ってもらってね。一度、二次会を任されたときは松方さんが「足しにして」と2つ折りにした1万円札の束を渡してきて。20万円はありましたね。足しどころか、それで十分に足りましたよ(笑)。

――豪快ですね。しかし、邦子さん、モテますね〜!

山田 いや、これぐらいだから、気軽に誘えたんじゃないかなぁ。私が美人だったら、また違うんじゃない? それにほら、ちょっとブスは努力するから。気立てがいいの(笑)。

――なるほど。

山田 納得しちゃったよ。

――ところで、舞台の話なんですが……。

山田 そうです。舞台の話ですよ。私は4回目になるんですけど、今回は公演日と、どうしてもスケジュールが合わなくて“映像出演”の形になるんです。

――えぇ? ……ナマ邦子が見られないんですか?

山田 そうなんです。でも、この舞台は、私と同年代の方も楽しめると思います。

――といいますと?

山田 私が子どもの頃、『ザ・ルーシーショー』を始め、外国のコメディがたくさん入ってきて、日本では草笛光子さんの音楽バラエティ『光子の窓』が始まって。クレイジーキャッツさんが出てきて。歌って踊って、笑えて、そういう番組が流行ったんだけど、『ホンキートンク』も、それに近い雰囲気があるんです。私の“笑いのルーツ”でもあるんですけどね。

――おおっ。山田邦子を笑いの世界へ誘ったコメディが観られるんですね?

山田 ええ。なので、ぜひ観に来てください。

――はい! 舞台もそうですが、邦子さんは最近、ネット配信でも大人気です。

山田 ネットはね、ついこの前まで本当によく分からない世界だったの。私はテレビから出てきた人間だから正直、悲しいんだけど、今はホント、みんなテレビを見なくなったでしょ?

――人々の趣味が多様化していることも、理由の一つでしょうね。ネット配信の番組は、ピンポイントで人々のニーズにこたえる場合が多いですし。

山田 そうみたいね。私も若い人から勧められて、1月半ばからネット配信を始めたの。私は昔からリカちゃん人形集めに料理、釣りも好き。猫も好き。ヨガにもハマっているんで、そうした趣味を配信すれば、同じ趣味の人が見てくれるって言われたんですね。

――邦子さんのリカちゃん人形の配信は、メチャクチャ面白かったです。

山田 私もビックリしました。私の変な趣味を、こんなにたくさんの人が見てくれるんだって。

――邦子さんがリカちゃん人形を手に、人形劇をやっているんですが、本人が本気なだけにシュールで、なんか笑ってしまいました。

山田 何せリカちゃん歴も50年近いですから(笑)。あれも、子どもの頃から一人こっそりやっていた遊びなんですよね。釣りも同じ。海釣りの様子をただただ流しているだけでも、見てくれる人が多いし、その場でコメントもくれる。タレント側もテレビとは違う面白さを感じられますね。

――ちなみに、邦子さんがテレビで大ブレイクしたのは『俺たちひょうきん族』(フジテレビ系)でしたね。

山田 ビートたけしさんには、本当にかわいがってもらいました。たけしさんにすれば、面倒だったと思いますよ。私みたいなモノマネでぽっと出のタレントと一緒に仕事することになって。しかも女の子でしょ。鬱陶しかったんじゃないかなぁ。何度か、車から降ろされたこともありました。

――え? 降ろされた?

山田 たぶん、仕事が終わると、おねえちゃんところに遊びに行くんじゃないですか? それなのに私が、お供しようと、先に車の中で待っているから、“なんだ、お前。降りろ”って(笑)。そういうことは10回以上ありましたね。

――アハハ。仕事のことで怒られることも?

山田 しょっちゅうです。今も忘れられないのはテレビに出始めた頃、私は台本に書いてあることをしゃべれば、“もう私の役目は終わった”と思って、ボケーッとしていたんですね。すると、たけしさんに、“アハハ”と笑うだけでもいいから、参加しろ!と。

――どうしてですか?

山田 テレビの枠の中にいなきゃダメだよ〜ってことでしょうね。何もせず突っ立っていると編集で切られてしまうし、番組の間もつなげない。笑うだけでも、楽しい雰囲気が伝わることもあるじゃないですか。当時の私は一匹狼というか、“自分のネタさえよければ、自分の出番が終われば後は知らない”みたいな一面があったんですね。

――気配り上手な印象の邦子さんなのに……。

山田 群れるのも大嫌いだった(笑)。だから、あのときのたけしさんのアドバイスがなければ、その後、番組で司会なんてできなかったと思いますね。

――いい話ですね。ちなみに、たけしさん伝説で、一つお聞きしたいことが。

山田 なんでしょ?

――加賀まりこさんの頭にアレを乗せて“チョンマゲ”をやったのは本当ですか?

山田 あ〜、あれは元々、加賀さんに、たけちゃんに会いたいんだけど”とお願いされて。そのことを、本人に伝えたら“俺一人じゃ恥ずかしいから、お前らも来い”ってなって。私を含め、軍団もつれて、加賀さんと飲んだんですね。そのときに、チョンマゲ! とやっちゃってました〜。

――本当だったんだ!?

山田 言っちゃって良かったのかしら(笑)。

――邦子さんの最近の活動といえば、がん撲滅を目指して結成された『スター混声合唱団』での活動が、10年目になるんですね。

山田 もう10年もたつんですね。早いものです。元々は私が10年前、乳がんになりまして。それも、たけしさんの健康番組がキッカケで見つかったんです。自分がなるとは思っていなかったので落ち込んでたら、たけしさんが明るく“お前、大当たり賞だぞ”って笑い飛ばしてくれて。その後、手術も2回して、放射線治療もしてホルモン注射も5年。すっかり元気。

――良かったですね。

山田 私の場合、タレントなので、がんを告白すれば周りから応援されたり、アドバイスももらえたりするんですね。それが救いになったんですけど、世の中には一人で悩んでいる方もたくさんいます。そんな方たちに“大丈夫。私も治ったんだから”と伝えたくて、合唱団を結成したんです。明るく、前向きに、諦めずに落ち込まずに頑張ろう。そういう気持ちを伝えたくて活動してるんです。

――倍賞千恵子さんや林家たい平さんなどの芸能人の方以外にも、コシノジュンコさんなどジャンルを超えた著名人の方が参加されているんですね。

山田 本当にありがたいことです。チャリティなんですけど、皆さん時間があれば、参加してくれて……人の温かみを感じます。昔は群れるのは大嫌い、と言っていたのに、今は友達が宝物なんです。46歳で、がんになったおかげで、友人や家族、ファンやスタッフなど、周囲の人との絆の大切さも分かるようになりましたね

 本誌の突拍子もない質問も絶妙に拾い上げ、話を面白く広げてくれた邦子さん。さすが最強の女性ピン芸人! 今後も“邦ちゃん”から目を離せません!

山田邦子 やまだ・くにこ
1960年6月13日、東京都生まれ。81年のドラマ『野々村病院物語』(TBS系)でデビュー。その後、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)などで人気に。89年から8年連続でNHK「好きなタレント調査」で1位を記録した。07年に乳がん発覚後、「スター混声合唱団」の団長を務め、講演やチャリティーコンサートを開催している。6月2日からの舞台『眠れぬ夜のホンキートンクブルース第三章〜覚醒〜』に特別映像出演。

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