一晩で2000万!? 東映スターの「豪快伝説」

一晩で2000万!? 東映スターの「豪快伝説」

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 6月6日に、昨年他界した俳優・松方弘樹の「お別れの会」が都内で行われた。生前の松方は酒豪などの数々の逸話を残したが、それは「東映」という映画会社の伝統を継承したものでもあった。世の男たちがシビれ、憧れた東映スターたちの衝撃エピソードを、ここに一挙紹介する!

■時代劇から任侠路線へ 受け継がれる豪快スターの系譜

 <わしら、うまいもん喰ってよ、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの!> これは『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73年)で千葉真一が演じた大友勝利の名台詞だ。

 東映スターの系譜は、この“男の本音”を最大限に追求した豪傑の系譜であり、松方弘樹は、その典型的なタイプだった。特に有名なのは女遊びで、800人斬り、1000人斬りという通説もある。「いや、その件に関しては、晩年に本人が否定しています。一生で1000人ではなく、1年に1000人だと……」(放送作家)

 その恐るべき女遊びライフは、かなり若い頃から始まっていたようだ。「ビートたけしさんが言ってたんですが、昔、松方さんが、ある女性の家にいたら、別の男が訪ねてきた。身を隠した松方さんがそっと覗くと、来訪者はなんと力道山だったんだとか(笑)。力道山が亡くなったとき、松方さんはまだ21歳。いかに若い頃から、ヤバいレベルでの遊びをしていたかということですね」(前同)

 ただし、松方は単なる女好きではない。「共演者やスタッフを連れて、毎日のように飲み歩き、最後に全部払う。そのスタイルを生涯、続けたといいます」(同)

 おごる酒も、飲み方もハンパではなかった。「高級ブランデーを1人1本ずつ用意させ、それをなみなみとグラスに注いでストレートで飲むのが普通だったそうです。年間の飲み代は2億に達したとか、1晩で2000万円を使ったとか、そうした伝説は限りなくあります」(同)

 17歳で東映入りした当初の松方は、父親である近衛十四郎や、片岡千恵蔵、市川右太衛門ら、当時荒稼ぎしていた時代劇スターたちの背中を見て育った。特に、松方が慕っていた先輩が中村錦之助(のちの萬屋錦之介)である。東映通の邦画アナリスト・三角錦一氏は語る。

「錦之助は、連日のように出演者、スタッフ全員を体育館のような広さの豪邸に招き、大盤振る舞いをしていました。それがスターの役割だと考えていたようです。だから、“錦ちゃん”と呼ばれて慕われていた。ただ、当時、奥さんだった女優の有馬稲子は、そんな毎日に疲れきってしまい、そのことが離婚につながったという説もあります」

 錦之助はもちろん、祇園でも巨額の金を使った。典型的な京都撮影所の大スターであった。やがて時代劇が衰退すると、代わって任侠路線が東映の十八番となる。その金看板・鶴田浩二は艶福家として有名だ。「モテたうえに、守備範囲が極端に広かったとか。365日、別の相手とベッドインしていたという伝説があります」(前同)

 それはそれで相当の体力がいりそうだが……。「それでいて、常にセリフを完璧に頭に入れて撮影に挑んでいたというから、さすがです」(同)

 鶴田と並ぶ任侠路線の大スターが高倉健だ。健さんは、酒もタバコも女遊びもやらないというイメージがあるが……。「確かに、ある時期から人前で酒、タバコをやらなくなります。しかし、若い頃は愛煙家だったし、酔って暴れることもあったようです」(元芸能記者)

 では、女遊びはどうか? 「むしろ、大好きだったようです。学生時代は赤線にも通っていたとか」(映画関係者)

 熱愛説が流れた女性は1人や2人ではない。「健さんはプレゼント魔で、共演者やスタッフに、ロレックスの高級腕時計など、高価な品物をポンとプレゼントするそうです。そんなことされたら、男女問わず健さんのことが好きになってしまう」(前出の三角氏)

 そのマメさは、惚れた女性に対しても発揮された。「結婚した江利チエミに始まり、狙った女性に対しては、プレゼント攻勢など積極アプローチがあったとか。女優の児島美ゆき、倍賞千恵子らとの噂が有名ですが、他にも、某大物女優や元アイドルとも恋仲だったという話もある」(前出の元芸能記者)

 あまり下半身について語らない健さんだが、本誌は健さんが“オトナのお店”に潜入した逸話を自ら告白する文献を発見した! 『檀ふみのほろ酔い対談』(87年=潮出版)がソレ。檀ふみの話術にノセられた健さんは、いわゆる男のつきあいで“登楼”することになった経緯を口にしてしまう。

 <僕も嫌いじゃないですから(笑)。ところがその女の子が僕の郷里の出身で、お母さんをよく知ってますって。それでこっちはその気がまったくなくなっちゃってね>

 意気消チンして、不発に終わった模様だが、<そうするうちに廊下でなんか音がするんで開けてみたら、黒山の人だかりでね。そこで働いている人たちがみんな聞いているんです>

 結局、これに懲りて、以後、健さんがオトナのお店に足を踏み入れることはなかったとか。

■強烈すぎる豪快逸話を残す『仁義なき戦い』出演者たち

 昔気質の任侠路線がマンネリ化した後、『仁義なき戦い』(73年)のヒットを境に、リアルなアウトローの姿を描いた実録路線が東映の主流となる。そのエースといえば、もちろん菅原文太である。

「松方さんの証言によると、文太さんとはウマが合い、翌日朝から撮影があっても、お構いなしに一緒に大酒を飲んでいたようです。ただ、文太さんは悪酔いして周囲にからむので、お店の女の子たちはドン引きだったとか」(映画雑誌の編集者)

 連日の深酒は、撮影に支障がないのだろうか? 「ありますね(笑)。やはり、撮影に本腰が入るのは決まって午後からだったとか。サングラスをかけて演じる場面がたびたびありますが、あれは二日酔いで目が腫れているからです」(前出の映画関係者)

『仁義なき戦い』のメンバーの中で、女性絡みのエピソードが豊富なのが、梅宮辰夫と山城新伍だ。「代表作である『不良番長』シリーズは、2人が女優に必ず手を出すことから、ヒロインのキャスティングが難航。しまいにはカルーセル麻紀が起用された――という話は有名。とはいえ、最後は、そのカルーセルも口説かれたとか」(前出の編集者)

 この3月に他界した渡瀬恒彦は、『仁義なき戦い』シリーズ2作品に登場する。渡瀬もまた、よく飲み、よくモテたというが、同時に親分肌の人物だった。志賀勝、川谷拓三、室田日出男、小林稔侍、片桐竜次、野口貴史ら『仁義〜』にも出ている脇役、斬られ役の俳優を束ねて、『ピラニア軍団』として盛り立てたことはよく知られる。

 元東映女優の橘麻紀さんは、ピラニア軍団と行動を共にしていたことから、“女ピラニア”と呼ばれた。現在は練馬でパブを経営する彼女は、こう語る。「ピラニア軍団は、いつも中島貞夫監督の家か渡瀬さんのマンションに集まっていました。好き放題、食べて飲んで。でも、誰一人、会費を払ってないし、手土産も持って行ったこともないんです(笑)」

 主演スターは、酒豪ぞろいのピラニアたちの大スポンサーだったようだ。

「必ず酔って喧嘩です。原因はお芝居についての言い争い。お酒は好きだけど、根はマジメなんです」(前同) 渡瀬は、それを笑って見ていたという。

 サラリーマンを経て東映にスカウトされた渡瀬は、遅れてきたスターだ。「徐々に実録路線も下火になり、渡瀬は体を張ったアクションに活路を見出そうとします」(映画誌記者)

 乗っ取られたバスに、たまたま乗っていた男を演じた『狂った野獣』(76年)のエピソードがすごい。「主人公は途中からハンドルを握り、バスを暴走させます。渡瀬はそのシーンをスタントなしで“俺がやる”と申し出て、驚異的な早さで専用の免許を取得して撮影に挑んだんです」(前同)

 そればかりではない。「監督はクライマックスのバスが横転するシーンだけは専門家に任せようとしますが、渡瀬は断固拒否。結局監督が折れたとか」(同)

 劇中、そのバスには川谷拓三と片桐竜次演じる犯人と、野口貴史ら老若男女の人質が乗っている。「普通、こうした危険なシーンの撮影の場合、運転手以外はバスから降りるもの。しかし、兄貴格の渡瀬が運転する以上、ピラニア軍団の3名は横転するバスから降りられなかったんです。渡瀬が強要したわけではなかったといいますが」 

 前出の元女優・橘さんも人質役の一人だった。「あのときは、川谷さん、片桐さん、野口さんと一緒に私もバスに乗っていたんです! 撮影はなんとか無事に終わりましたが、完成された映画では、横転したときのバスの中は一切、映ってませんでした(笑)」

 主演スターだけではない、東映は女優も脇役俳優も、そしてスタッフも豪快だったのだ。

 コンプライアンス云々がうるさい現代、黄金時代の東映作品を見直してみよう。面白くないわけがない。

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