小野瀬雅生「ギタリストとして、100歳までステージに立っていたい」

小野瀬雅生「ギタリストとして、100歳までステージに立っていたい」

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 僕がギターを担当しているクレイジーケンバンドが結成されて今年で20年。ボーカルの(横山)剣さんと一緒にバンド活動をするようになってから27年経ちます。ちょっとしたマイナーチェンジはありつつも、ここまで長く続けてこられたのは、たまたま丈夫なメンバーが集まったということが一番ですね。別に、誰もが健康に気をつけているわけでもないのに、元気に活動できているということは奇跡的なことなんですけど、僕が今クレイジーケンバンドにいること自体、奇跡でもあるんですよね。

 音楽の道に進みたいと思ったのは、中学1年生のとき、親にフォークギターを買ってもらったことがきっかけです。当時ラジオが大好きで、ギターを弾いているうちに、「絶対にラジオから流れてくる音楽に携わる人間になりたい!」という思いが強くなりました。

■音楽を辞めようと思った矢先… 実際に念願が叶っているわけですけど、20代のときは全然芽が出なかったんですよね。オーディションで、「さあ自由に弾いてください」と言うから自由に弾いたら、「うるさい!」と言われて落とされたり(笑)。だから、20代後半には、もう音楽を辞めて時計屋さんになろうとも思っていたんです。知り合いの時計職人が見事に時計を直す姿を見て、その世界にも魅かれまして。

 ところが1989年の大晦日、友達のバンドの年越しライブを観に行ったとき、たまたま前から歩いてきたのが現クレイジーケンバンドのドラム担当の廣石恵一さんだったんですよ。廣石さんとはそれ以前に交流があったんですけど、いきなり言われたのが「一緒にバンドをやろうよ」ということでした(笑)。当時、廣石さんは剣さんとバンドを組んでいて、ライブを前にしてギタリストが抜けてしまったんです。そこで僕が誘われて、バンドのメンバーになったわけですけど、僕にとっては本当に奇跡であり、運命なんですよ。もし大晦日に前から廣石さんが歩いてこなかったら、翌年の正月から時計職人の勉強をしていたかもしれないんですから(笑)。

■クレイジーケンバンドと名付けた理由 剣さんと一緒にバンド活動をしてきた27年間で、意見の相違でぶつかったこともありましたけど、喧嘩らしい喧嘩をしたことはないですね。音楽性に違いがあっても、音楽の中にユーモアや遊び心があって、面白さという本質的な部分で通じ合えるんですよ。クレイジーケンバンドという名前は僕が付けたんですけど、それは「剣さんの曲、剣さんの意見をメインにやっていきましょう」という思いから。いわば「剣さんファースト」ですよね(笑)。

 今はクレイジーケンバンドの他、小野瀬雅生ショウや弾き語りなど、慌ただしい日々を送っていますけど、音楽をやっている人間にとって、やはりステージに立つことは快感ですね。アドレナリンが出るのか、痛かった腰が痛くないし、重たかった身体でジャンプできますし。まあ、その反動でライブの後に大変な目に遭うんですが(笑)。

 昔、ジェフ・ベック(イングランド出身のギタリスト)のライブを初めて見たとき、彼は55歳でした。僕は今年55歳になるんですけど、「自分も同じ歳になったときには、これぐらい弾けるようになっていたい」と思っていたものの、まだまだですね。でも、その6年後に61歳のジェフ・ベックを見たら、そのときのほうが上手かったんですよ。つまり、いくつになっても進歩できる。僕ももっとギターが上手くなれるよう、日々演奏していきたいところです。

 そのうえで貫きたいのが“生涯現役”という気持ちです。レス・ポール(アメリカ出身のギタリスト)は、たしか90歳くらいまで毎週月曜日にニューヨークのライブハウスで演奏していました。毎週そこに行けばレス・ポールに会えるというのは、なんだかいいですよね。だから、僕が目指すのはレス・ポール超え(笑)。現役のギタリストとして、100歳までステージに立っていたいですね。

おのせ・まさお
1962年11月14日、神奈川県横浜市生まれ。89年大晦日に横山剣らのバンドにギタリストとして加入し、97年にクレイジーケンバンドを結成。『タイガー&ドラゴン』などのヒットを経て、09年にメジャーデビュー。00年には自身がリーダーを務めるバンド、小野瀬雅生ショウの活動もスタートさせている。

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