【テレビの開拓者たち / 松井修平】最後の「オンバト」プロデューサーとしての“義務”とは?

【テレビの開拓者たち / 松井修平】最後の「オンバト」プロデューサーとしての“義務”とは?

まつい・しゅうへい=1965年生まれ、大阪府出身

若くして伊東四朗主演のコメディー番組に携わり、プロデューサーとして松本人志の9年ぶりのコント番組を立ち上げたかと思いきや、無名の若手漫才師たちが参加する“芸人リアリティー番組”を企画するなど、新たなお笑い番組のあり方を模索し続ける松井修平。公共放送であるNHKで、“笑い”に一心不乱に取り組む彼の真意はどこにあるのか――?

■ “今までになかった番組”を考え続ける日々を送っています

――ネタ番組を中心としながら、クイズ、ドキュメンタリー、ドラマと多岐にわたるジャンルの番組を手掛けている松井さんが、番組を作る上で最も大切にされていることは何でしょうか。

「ズバリ、“今までになかった番組”を作ること。斬新であることに重きを置いています。もちろん、“面白い番組”であることは大前提ですけど。テレビの草創期とは違って、今や番組のあらゆるパターンはほぼ出尽くしているので、何か新しいことはないかと考え続ける日々を送っています」

――そうした考え方から、「爆笑ファクトリーハウス 笑けずり」('15年NHK BSプレミアム)という番組が生まれたんでしょうか。“荒けずり”な若手漫才コンビ9組が毎週新ネタを披露する合宿を行い、最も面白くないとの評価を下されたコンビが強制的に帰されてしまう。一組ずつ“けずられ”ていく、という展開が新鮮でした。

「ある日、新企画の会議で、『リアリティー番組の芸人版』というアイデアが突然出てきて。僕も『テラスハウス』(フジ系)をはじめ、リアリティー番組は好きでよく見ていたんですね。ただ、その中には…特に海外のものは、ストーリーとは関係ない指令とか、ゲームみたいな課題があったりして、ちょっと余計な演出をしている番組も多いな、と感じていて」

――確かに、脱落者を決めるために、参加者同士を無理やり険悪になるよう仕向ける番組もありますね(笑)。

「ところが、参加するのが漫才コンビとなれば、“面白さ”を競い合うわけですよね。お互いに切磋琢磨したり、ケンカしたり、というリアリティー番組ならではのドキュメント性に加えて、回を追うごとにネタが面白くなっていく、芸人の成長過程も見せることができる。つまり、ネタ番組でありながら、ネタの見せ方の工夫の一つとしてリアリティー番組というフォーマットを取り入れたわけです。コレは絶対に新しい形の番組になるぞと確信しましたね」

――すぐにそこまで具体的な展開が想定できたんですか?

「僕は『オンバト+』('10〜'14年NHK総合)のチーフプロデューサーだったこともあって、若手の芸人さんと接する機会が多いんです。彼らを見ていると、ネタだけじゃなく、私生活も含めて本人そのものも面白いんだ、というのは常々実感していたことで(笑)。そんな要素もひっくるめて、リアリティー番組という形にすれば絶対いけるぞ、とは思いましたね」

■ 「テレビは新しい見せ方ができてナンボ」という感覚が刷り込まれてるんです

――そうした“新たな見せ方”へのこだわりは、すなわち“今までになかった番組”を作りたい、という松井さんの信条でもあるわけですね。

「僕は入局1年目で、古舘伊知郎さんが司会の『クイズ日本人の質問』('93〜'03年NHK総合)のパイロット版から手伝わせてもらって、それ以降も、『ふるさと愉快亭 小朝が参りました』('94〜'98年NHK総合)、『コメディーお江戸でござる』('95〜'04年NHK総合)、『欽ちゃんとみんなでしゃべって笑って』('98〜'02年NHK総合)といった番組に、全て立ち上げから携わりました。次から次へと新番組に参加したから、当時は同じ番組に1年以上いたことがなかった(笑)。もちろん下っ端のポジションでしたが、一つの番組が、いろんな人のアイデアで完成形に近付いていく様子を体感することができました。そんな経験があるから、『テレビ番組は“新しい見せ方”ができてナンボだ』という感覚が刷り込まれちゃってるんですよね」

――それにしても、これまで松井さんが携わられたのは、大御所のタレントが出演している番組ばかりですね。

「心の準備もなく、いきなり古舘さんや(春風亭)小朝師匠と一緒にお仕事するわけですからね。特にプレッシャーだったのが、『お江戸でござる』の伊東四朗さん。あの番組は、公開収録で毎回一発撮りだったんですが、尺(放送時間)を合わせるために、どうしても台本の一部をカットしなくちゃいけないんです。その変更を、完璧にせりふを頭に入れて本番を待っている伊東さんに伝えるのが僕の役目で…。入局3年目の若造には荷が重かったです(笑)。でもおかげで、ずいぶんかわいがっていただきました。『松井ちゃん、寿司行こう!』って言われて、ついて行ったら回転寿司だったりして(笑)。

萩本欽一さんも印象に残っていますね。笑いにすごく貪欲で、求道者のような方でした。『しゃべって笑って』では、お子さんをステージに上げてトークをするというコーナーがあったんですけど、リハーサルでは僕がその子供の役をやるんですよ、毎回、夜から朝まで(笑)。ディレクターでありながら、欽ちゃんファミリー並みに鍛えられました(笑)」

■ 一番大変だったのは、松本人志という天才の発想を具現化すること

――では、制作統括として初めて手掛けた番組は?

「『松本人志のコント MHK』('10、'11〜'12年NHK総合)です。松本人志さんとはいつかお仕事したいとずっと思っていたんですが、そんな中、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)が松本さんを追いかけることになり、せっかくだからコント作りに密着したい、という話になり、じゃあNHKで松本さんのコント番組を作ろう、という話が出てきて。そんな風にして決まった企画なんです」

――松本さんとの共同作業はいかがでしたか?

「一番大変だったのは、松本人志という天才の発想を具現化すること。例えば、ロケで使うアパートの候補をいくつ見せても、松本さんは自分のイメージと合わない限りOKを出さない。一方で、美術セットや衣装など、過去の蓄積があるNHKだからこそ可能なことを、僕の方からいろいろ提案しているうちに、少しずつ頼ってくださるようになりました。結果的に、台本作りの段階から現場での演出まで、コント制作の全てをご一緒できてうれしかったです」

――シリーズを通して、特に思い入れが深いコントは?

「『大改造!!劇的ビUFOアフター』(※宇宙人一家の依頼を受けて、松本演じる匠がUFOを改築するというリフォーム番組のパロディーコント)ですね。あんなふうにカットをいくつも積み重ねて撮影するコントは初めてだったんですが、以前在籍していた広島放送局でのドラマのプロデュース経験が役に立ちました」

――では最後に、今後どのような番組を作っていきたいですか。

「やっぱりネタ番組を作って、若手芸人の活躍の場を提供し続けたい。先ほど『オンバト+』の話をしましたが、要するに僕は、『爆笑オンエアバトル』('99〜'10年NHK総合)以降、15年間続いた“オンバト”シリーズの最後のチーフプロデューサーなんですよ。バナナマン、おぎやはぎ、アンジャッシュ、タカアンドトシ…。“オンバト”は、今テレビの最前線で活躍する芸人さんたちに、世に出るきっかけを提供し続けた。でも今や、そういった役割を持つ番組が、視聴率が取れないという論理でなくなりつつある。“オンバト”を終わらせてしまった者の義務として、次世代を担うお笑いのスターを輩出できるような番組を作り続けていきたいし、そういうテレビ界の土壌を開拓し続けないとダメだと思っています。さすがに“テレビの開拓者”というのは恐れ多いけど(笑)。

その意味では、今も『バナナマンの爆笑ドラゴン』(NHK総合)の『竜の隠し玉』という若手芸人コーナーでは、とにかく攻めた人選を試みていて。やはり、テレビのスターはテレビでしか育ちませんから。お笑いに限らず、テレビはいつの時代も新たな才能を見つけ、そして育てるメディアであるべきだと思います」

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