【テレビの開拓者たち / 鮫肌文殊】「放送作家はみんなドM(笑)。禁止事項が多いほど逆に燃えるんです」

【テレビの開拓者たち / 鮫肌文殊】「放送作家はみんなドM(笑)。禁止事項が多いほど逆に燃えるんです」

さめはだ・もんぢゅ=1965年10月15日生まれ、兵庫県出身

「進め!電波少年」から始まった「電波少年」シリーズ(1992〜2003年日本テレビ系)をはじめ、「ASAYAN」(1995〜2002年テレビ東京系)、「ガチンコ!」(1999〜2003年TBS系)など、数々の爆笑バラエティーに、そのインパクト大なペンネームを刻んできた放送作家・鮫肌文殊。絶好調の日本テレビの象徴ともいうべき高視聴率番組「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)、過酷すぎる“無情のアイドルオーディション番組”「ラストアイドル」(テレビ朝日系)という、現在構成を務めている人気バラエティー2本を軸に、テレビバラエティーの“来し方行く末”を語ってもらった。

■ 放送作家という職業があること自体、知らなかったんです(笑)

――まず、鮫肌さんが放送作家の道を歩むことになったきっかけからお聞かせください。

「元々は漫画家になりたくて、『少年チャンピオン』なんかに投稿していたんですけど、本名の井上だと平凡すぎて編集者に覚えてもらえないから、一度聞いたら忘れられないインパクトのある名前にしようと思ってつけたペンネームが、『鮫肌文殊』だったんです。そんな中で、『ビックリハウス』(※70〜80年代にコアな人気を博したサブカル系投稿雑誌)にも投稿し始めたら、いくつか賞をもらうようになって。その投稿を読んで面白がってくれた中島らもさんから、『なげやり倶楽部』(1985〜1986年読売テレビ)という、らもさんが司会の深夜番組のブレーンとして誘ってもらったのが、そもそものきっかけです」

――「なげやり倶楽部」では、具体的にどんなお仕事を?

「企画案を出したり、コントを書いたり。でも、最初はあんまり仕事という意識はなくて。というか、僕はそれまで放送作家という職業があること自体、知らなかったんですよね(笑)。初めてギャラをもらったときに、『こんなことでお金もらえるんだ』と、びっくりしたのを覚えてます。

その『なげやり倶楽部』は、過激すぎてすぐに打ち切りになるんですが(笑)、番組に出演していたキッチュさん、今の松尾貴史さんとは、番組が終わった後も仲良くしてもらってたんですね。で、それからしばらくして、松尾さんが古舘プロジェクトに所属することになったときに、松尾さんから『手伝ってくれない?』と連絡をもらって。それを機に上京して、古舘プロジェクトの放送作家陣の末席を汚すことになったわけです」

――では、放送作家としての本格的なデビューは?

「『構成・鮫肌文殊』というふうに、エンドロールにちゃんと名前が載ったのは、『進め!電波少年』からです。番組の生みの親である“T部長”こと土屋敏男さんが、『電波少年』を始めるときに、ブレーンとして“とにかく面白いこと考える人”を探していたらしくて。そんな中で、『ビックリハウス』でアホなことを書いてた鮫肌文殊が今、放送作家をやってるっていうことをたまたま知って、僕を呼んでくれたんですよ。番組が始まったころは、ネタ出し要員の一人だったんですけど、その後、台本も任されるようになりました」

■ 一人の人生を一夜にして変えてしまうところが、オーディション番組の面白さ

――アポなしロケをはじめ、過激な企画で一世を風靡した『電波少年』ですが、鮫肌さんが作り手として参加する中で、感じたこと、学んだことは?

「とにかく放送作家として、とても幸せな番組でしたね。僕たち作家が提案するネタの中から、土屋さんはいつも一番過激なネタを採用するんです。だから作家同士、誰が一番狂っているかの競争みたいになって(笑)。しかも、ネタが形になるまでのスピードがめちゃくちゃ早い。毎週水曜日の夜が企画会議だったんですけど、翌日にはもうロケに行って、日曜にはオンエアされてるっていう(笑)。

会議では、土屋さんはいつも『なんで俺が他とおんなじことをやらなきゃいけないんだ』っておっしゃってたんですね。今でも、他の番組のヒット企画を、ちょっとアレンジを加えて巧妙にパクってる番組って珍しくないじゃないですか(笑)。でも土屋さんは、それは絶対に許さなかった。新しいことをやるんだ、他がやっていないことをやるんだという、土屋さんの気概、テレビマンとしての矜持に、すごく刺激を受けました。

また作家の顔ぶれも、小山薫堂、海老克哉、そーたに、田中直人、都筑浩…と、いまだに第一線で活躍している、そうそうたるメンツで。作家になって間もない僕が、そんな一流の人たちに囲まれて仕事させてもらえたのは、とてもラッキーだったと思います。本当に、ものすごく勉強になりましたから。企画の発想の仕方とか、テレビの作り方のノウハウといった実践的なことだけじゃなく、テレビのあり方というか、大切なエッセンスみたいなものを全部教えてもらった気がします。なんか、カルピスの原液をゴクゴク飲んでいたみたいな(笑)、そんな時代でしたね」

――土屋敏男さんの下で、放送作家の修業を積んだわけですね。

「僕は、自分では土屋敏男門下生だと思ってるんですけど、土屋さんも、『電波少年』の作家の方々の大半も、いわば『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』(1985〜1996年日本テレビ系)を演出していたテリー伊藤さんの門下ですから、僕もどこか、伊藤さんの孫弟子みたいな感覚があるんですよね」

――では、鮫肌文殊の“ターニングポイント”は、やはり『電波少年』ですか?

「『電波少年』ももちろん転機でしたし、あとは『ASAYAN』も僕にとっては大きいですね。今、『ラストアイドル』という番組を担当してるんですけど、オーディションバラエティーの作り方の基礎は、全て『ASAYAN』で学んだと思っています」

――「ASAYAN」といえばやはり、つんく♂さんプロデュースの「モーニング娘。」が強烈に印象に残っています。

「つんく♂さんは、モーニング娘。というグループのことだけじゃなく、『ASAYAN』という番組のことも総合的に考えてくださる方で。モー娘。の活動をどう展開させたら番組が面白くなるか、というところまで考えてくれるんですよ。毎週、僕らスタッフと一緒になって、モー娘。にどうやって試練を与えるかを一生懸命話し合ってました(笑)」

――作り手にとって、オーディションバラエティーの醍醐味とは?

「僕は『ASAYAN』以降も、『さんまのSUPERからくりTV』(1996〜2014年TBS系)、『しあわせ家族計画』(1997〜2000年TBS系)、そして『ガチンコ!』と、一般の方たちをフィーチャーした、いわゆる“素人がスターに成長する”番組に携わっていくことになるんですが、これらの番組の原点が『ASAYAN』だと僕は思っていて。誤解を恐れずに言うと、一人の人間の人生を、一夜にしてガラッと変えてしまうところが、オーディション番組の一番の面白さだと思うし、そのダイナミズムは、テレビというメディアの武器だと思うんです。『ラストアイドル』も、地下アイドルだった子が、秋元康さんのプロデュースで、いきなりトップアイドルの仲間入りをするわけですよね。そんなこと、他のメディアではありえないんじゃないかな。

僕はここ1年くらい、『ラストアイドル』では女性アイドル候補生のオーディション、『にちようチャップリン』(テレビ東京系)では若手芸人のオーディションと、ずっとオーディションばかりやってるんですけど(笑)、この中に、いつかスターになる人がいるんだと考えるだけでワクワクするんですよね」

■ いかに規制をかいくぐって面白いことを考えつくかが勝負ですから

―― 一方、日曜夜8時のゴールデン番組「世界の果てまでイッテQ!」も担当されていますね。

「『イッテQ!』は、完全に“ディレクターショー”というか、それぞれの企画が、各ディレクターの“作品”のようなもので。僕ら作家は、アイデアを出したりする介添人のような立場なんです。とにかく、よくもまぁこれだけ豪腕のディレクターがそろったなと思いますし、彼らを束ねる(企画・演出の)古立(善之)くんの優れた手腕があればこその番組ですよね」

――「イッテQ!」は、放送10周年を迎えてなお20%前後の高視聴率を誇っています。その人気の秘密は?

「古立くんも、『電波少年』のADからキャリアがスタートしてるんですよ。そう考えると、『元気が出るテレビ!!』、『電波少年』と脈々と受け継がれてきた“日本テレビのロケバラエティー”の優秀なDNAが、彼が作る『イッテQ!』にもしっかりと組み込まれている。そのDNAに則りながらも、古立くん独自の今の感性がプラスされているから、誰が見ても面白い番組になっているんだと思います。

番組が始まるときに古立くんが言ってたのは、『今までのロケバラエティー、ドキュメントバラエティーでは、目的地に向かう途中に山があったら、その山を越える努力の様子を描いていた。でも、この番組では、そんな努力は要らないんだ』と。『山を迂回してでもいいから、目的地に着いたところからさっさと本編を始めたい』と言うんですよ。その言葉を聞いたときに、この感性は新しいなと思いましたし、実際『イッテQ!』って、まさにその通りの番組じゃないですか。番組の中で、出川哲朗さんがよく『8時間かかったロケを3分に編集する。ここのスタッフは頭おかしい!』って言ってますけど、ある意味、その通りなんですよ(笑)。途中経過は端折って、一番面白い部分だけをポンポン見せていくテンポ感とか、不純物を取り去って面白さの上澄みの一番搾りの部分だけをすくい取っていく感じが、たくさんの人に見てもらえている理由なのかなと思いますね」

――では最後に、これまでさまざまな番組に携わってきた鮫肌さんから見た、今後のテレビ界、バラエティー界の“未来”は?

「コンプライアンスというものがどんどん重視されていく中で、テレビ局の自主規制もきつくなってきているのは確かですけど、そのせいでテレビが面白くなくなったとは僕は思わないんですよ。それはたぶん僕だけじゃなくて、少なくとも、バラエティーの制作現場の最前線で働いている人間は全然そんなふうには考えてない。特に放送作家はみんなドMだから(笑)、禁止事項が多くなればなるほど逆に燃えるんですよね。いかに規制をかいくぐって面白いことを考えつくかが勝負ですから。その意味では、オーディションバラエティーにしろロケバラエティーにしろ、歌番組だって旅番組だって、トーク番組だって、今まで誰もやったことのない新しいテレビ番組の形は、きっとまだまだあるはずだと思うし。できれば、それを僕が見つけられたらいいんですけどね」

――ちなみに鮫肌さんは、どんなタイプの人間が放送作家に向いていると思われますか?

「いい意味でこだわりのない人、ですかね。例えば、自分がものすごく面白いと思う企画を会議でプレゼンして、みんなで話し合ううちに、それが全然違う方向に行ったとしても、そっちの方が面白かったら、そこに乗っからなきゃダメなんです。むきになって自分の考えを貫こうとしたり、逆に『だったら、この企画は取り下げます』とか言うような頑固なタイプの人は、映画監督とか小説家とか、自分で全部決められる仕事に就いたほうがいい。放送作家という仕事は、“アイデアのサービス業”ですから」(ザテレビジョン)

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