やっぱり差別主義者? 三浦瑠麗が黒人差別描いた『デトロイト』映画評でトランプそっくりのどっちもどっち論

やっぱり差別主義者? 三浦瑠麗が黒人差別描いた『デトロイト』映画評でトランプそっくりのどっちもどっち論

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映画『デトロイト』公式サイトより


 今月11日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ)において、"北朝鮮のテロリスト、スリーパー・セルが潜伏していてとくに大阪ヤバイ"と差別助長発言を口にし、批判を浴びると言い訳で"大震災で北朝鮮の工作員の迫撃砲が発見された"とさらに差別助長発言を重ね、大炎上した国際政治学者の三浦瑠麗氏。

 彼女の発言がいかに根拠のないデマであるか、ということについては、先日、本サイトでもお伝えした(http://lite-ra.com/2018/02/post-3799.html、http://lite-ra.com/2018/02/post-3808.html)。

 しかし、そんな三浦氏の背景がよくわかる炎上案件がもうひとつあるのをご存知だろうか。それは、現在公開中の映画『デトロイト』の感想をめぐるものだ。

 映画『デトロイト』は、1967年に発生し43人の死者と1100人以上の負傷者を出した「デトロイト暴動」を描いたキャスリン・ビグロー監督作品。この映画では、デトロイト市警察の白人警官がモーテルに滞在していた黒人青年らに対し差別的な考えを背景にした不当な尋問を加え、最終的には黒人青年が3人殺害された「アルジェ・モーテル事件」に焦点を当てており、作中では40分にもわたり凄惨な尋問シーンが描かれている。

 この映画『デトロイト』をテーマに、1月19日付朝日新聞が姜尚中氏、パトリック・ハーラン氏、そして三浦瑠麗氏のインタビューを掲載したのだが、そのうち三浦氏のインタビューがあまりにも酷いと炎上したのだ。

 どんな内容だったのか見てみよう。彼女は映画のテーマである人種差別問題にスポットを当て、このように語っている。

「監督が一番テーマにしたかったのは人種差別問題。オバマ前大統領が8年かけても変えられなかったこの問題の根深さ、深刻さ。事実、今なおアメリカは『デトロイト』的です。昔よりは暴力による弾圧や抑圧は減っているかもしれませんが、SNSによって情報が拡散し、暴動が飛び火しやすいという新たな状況も生まれています。
 トランプ大統領が「人種問題は経済問題である」と語っているのですが、ある意味その通りで、経済問題が解消すれば白人の偏見はなくなり、黒人側の差別的な状況も解消されるのではないかと思います。ただ、アメリカは分配をしない国で、社会保障もなければ、すべてが実力によってのみ成立しています。それもあって白人と黒人の経済格差は一朝一夕には縮まらないのが現実です」

 映画『デトロイト』で描かれた50年前の人種差別問題の構図が現在のアメリカでもなくなっていないとする解説はまさしくその通りだが、そこで、トランプ大統領の「人種問題は経済問題である」なる言葉を「その通り」などというのは、どういう神経をしているのか。

●三浦瑠麗の『デトロイト』評はトランプ大統領よりひどい

 有色人種に対する差別問題の核心が「貧困」ではないことは、この映画を見れば明らかではないか。いや、この映画だけではない。世界各国、日本の状況をみても、差別の要因が経済問題だけでないことははっきりわかる。

 これだけでも「本当にこの映画を理解しているのか?」と疑問を抱かせるのに十分だが、三浦氏の映画へのコメントはここからさらにひどいことになっていく。

「また、共感の欠如が、暴動や白人警官の弾圧につながっているというのもあります。差別をなくす道は分かっていても、変化を起こすより単に正義と邪悪なものを対比させて、自分は正義の側だと唱える人権擁護派が多いのも悲しい現実です。ただ本作では黒人を救う白人警官も登場します。苦しんでいるものを助けるという人として当たり前の行動こそが解決策であり、希望につながることを示唆してくれています。
 本作を通して自分は誰かを差別していないか、誰かがつらい時に手を差し伸べているかと考えてみませんか」

 なんだ、このわけにわからない論理は? 「差別問題は経済問題」とかいっておきながら、今度は「共感の欠如」などという言葉をもちだし、差別を受けている側の暴動と白人警官による弾圧をまるで等価であるかのように並べる。これって、シャーロッツビルのときのトランプ大統領による「オルト・ライトに突撃していったオルト・レフトはどうなんだ」「両者に非がある」発言とまるっきり同じじゃないか。

 いや、もっと酷いかもしれない。何しろ、三浦氏はこのあと、差別する側を一切批判せず、反差別の声を上げている「人権擁護派」だけが"差別をなくす道筋を阻む存在"であるかのように糾弾するのだ。そして、映画に登場する「黒人を救う白人警官」をクローズアップして、「自分は誰かを差別していないか、誰かがつらい時に手を差し伸べているかと考えてみませんか」などと、小学生の作文のような言葉で文章を締める。

 この「黒人を救う白人警官」を強調する意見について、ミュージシャンで映画評論も行う宇多丸氏は「もちろん、白人側にもいい人もいる。助けてくれる人もいる。でも、"いい人もいる"ということは本質的な問題の解決にはなにひとつなっていない」(今月3日放送『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBSラジオ)内の『デトロイト』評より)と語っていたが、まさにその通りだろう。

●町山智浩が三浦瑠麗のスリーパー・セル発言と『デトロイト』映画評を批判

 ようするに、三浦氏はこのコメントで差別問題を批判するポーズをとってはいるが、実際は一貫して差別する側に立って、差別する側を擁護しているに過ぎない。そして、差別を受けている側に対しては、みじんの想像力も働かせてはいない。

 そう考えると、三浦氏が"スリーパー・セル潜伏""大阪がヤバイ""大震災で北朝鮮工作員の迫撃砲発見"などという差別助長デマを発したのは、ある意味、必然だったと言えるかもしれない。

 映画評論家の町山智浩氏は、三浦氏のこの北朝鮮デマ発言と『デトロイト』へのコメントを重ねつつ、このようにツイートしている。

〈『デトロイト』への三浦瑠麗さんのコメント「本作を通して自分は誰かを差別していないか、誰かがつらい時に手を差し伸べているかと考えてみませんか」この映画が描く殺人事件は少数民族にテロリストが潜んでいるという恐怖が原因で、三浦さんは今回それを撒き散らしたんです〉

 まさにそうだ。この映画で描かれた「アルジェ・モーテル事件」は、モーテルに宿泊するひとりの黒人青年が撃ったオモチャの銃の音を、デトロイト市警とミシガン州兵が暴動に参加する狙撃者による攻撃だと勘違いしたところから始まる。

 オモチャの銃の音を聞きつけた警官たちはアルジェ・モーテルを急襲し、その場にいた黒人青年と白人の少女を捕らえる(ここに性的な関係があったのではないかと勘繰ることで警官たちはさらに怒りを増大させる)。白人警官らは宿泊客らを壁のほうに向かせ、殴る蹴るの暴行を加えながら「銃はどこだ!」「誰が撃った!?」と怒鳴り散らして尋問を行う。

 暴行を加えながらホテル中をひっくり返すが銃は見つからない。尋問を加えられているほうも知らないものは知らないし、そもそも銃などないのだから「知らない」と答えるほかないが、そのような答えは認められない。「銃はどこだ!」「誰が撃った!?」が無限に繰り返される。警官らには「黒人たちは街の治安を乱し秩序に反抗する態度をとる人間であり、体制側にいる自分たちを攻撃してくるに違いない」という、差別的意識を背景にした"思い込みに満ちた答え"があらかじめ用意されているからだ。

 銃声(のようなもの)が聞こえ、しかもそのモーテルに黒人がいる以上、そこには確実に銃があり、狙撃犯がいる。"いない"という可能性や"勘違い"という可能性は考えの俎上にも上がらない。そして、そこにある危険性を排除するためならなにをしても許されるという発想で、ひたすら暴力はエスカレートしていく。

●宇多丸「『デトロイト』は"暴力による統治システム"の危うさを問題提起」

『デトロイト』はまさに、秩序維持という目的と特定の人々に対する偏見が合体したときに、どんな恐ろしいことが起きるのかということを伝えている映画だ。

 前出の宇多丸氏は前述ラジオ番組での評論のなかで『デトロイト』という作品をこのようにまとめている。

「人種差別だけではなく、"暴力による統治システム"というものが普遍的、本質的に抱えている危うさというものを問題提起した作品です。本当に他人事ではないです。要は、『治安維持のためでしょ』『秩序のためでしょ』という『ためには』という言い草がどれだけ非人間的な行為を許容していくかということ。(関東)大震災のときになにが起こったかとかね、色々なことを考えればまったく他人事ではない」

 ところが、三浦氏はよりにもよって、デトロイトが警鐘を鳴らした、治安維持を大義名分にした差別の正当化を、あろうことかテレビで拡散させたのである。

『デトロイト』は2時間30分近くの尺をもつ比較的長い映画だが、それだけの時間をかけて鑑賞しても、三浦氏は映画からなにも学んでいないということだ。いったいこの国際政治学者の理解力はどうなっているのだろうか。
(編集部)

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