“かけ間違え”ではなかった! 『オールナイトニッポン』のテーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まった真相が明らかに

1967年10月2日(月)の『オールナイトニッポン』初回放送からちょうど55年後となる2022年10月2日(日)深夜1時、オールナイトニッポン55周年記念特別番組『1967年10月2日 オールナイトニッポンが生まれた日』が放送。初代パーソナリティ6人の1人で『アンコー』の愛称でリスナーから親しまれた斉藤安弘がパーソナリティを担当し、元ニッポン放送アナウンサーで『オールナイトニッポン』パーソナリティ経験者の垣花正とともに関係者の言葉を紹介しながら、テーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まった理由などを中心に紐解いていった。

ハーブ・アルバートとティファナ・ブラスの「ビタースィート・サンバ」 撮影協力:鈴木啓之 ~【大人のMusic Calendar】2017年10月2日分より

初回放送からちょうど55年後となる日時の特別番組で紐解かれた歴史

この番組では、1967年当時の編成部長で『オールナイトニッポン』を作ったと言われる羽佐間重彰氏の証言や、フジパシフィックミュージック・代表取締役会長である朝妻一郎氏のインタビューなど、貴重な音源を紹介。その中で、「なぜ『オールナイトニッポン』という番組名になったのか?」「なぜ『ビタースウィート・サンバ』がテーマ曲になったのか?」といった疑問を解明していった。

深夜1時の時報が鳴り、番組がスタート

オールナイトニッポン55周年記念特別番組『1967年10月2日 オールナイトニッポンが生まれた日』2022年10月2日(日) 25時~27時 生放送

深夜1時の時報が鳴り、斉藤がひとこと話すとすぐにタイトルコール。すると、おなじみの『ビタースウィート・サンバ』が流れ、そして「君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。太陽のかわりに音楽を、青空のかわりに夢を。フレッシュな夜をリードするオールナイトニッポン!」の名調子でスタート。これは番組開始当時に行っていた一連の流れであり、その形を再現するところから番組は始まった。

「オールナイトニッポン」パーソナリティ担当時の斉藤安弘

その後、垣花が登場すると、まずは、ニッポン放送地下4階の倉庫に眠っていたという2000年当時に収録されたインタビュー音源から羽佐間氏の証言を紐解き、『オールナイトニッポン』が誕生した当時の時代背景を振り返った。

垣花正、斉藤安弘

羽佐間氏の証言の中では、テレビの普及によってラジオが衰退した頃、業界が危機的状況を迎えていた中で、『親分』だったという当時の編成局長・石田達郎氏から「ラジオが潰れるかもしれない。だけど、最後に潰れような」と声を掛けられ、頑張ろうと思ったというエピソードが。

『オールナイトニッポン』という番組名の由来については、『ニッポン放送』が日本テレビと混同されないよう、そしてTBSラジオ、文化放送よりも認知されるよう、とにかく『ニッポン』という言葉を浸透させたかったと説明。朝の番組は『おはようニッポン』、午後は『歌謡曲ニッポン』など様々な番組名に『ニッポン』とつけていく中で、『オールナイトニッポン』という番組名が誕生したのだと語った。

特別番組『1967年10月2日 オールナイトニッポンが生まれた日』生放送中のスタジオ

また、羽佐間氏は、『パーソナリティ』という呼び名についても言及。当時アナウンサーは無個性と言われていて、個性を出すためアメリカで使われていた『パーソナリティ』という言葉を採用したと、起源について解説。これを受けて斉藤は「ニッポン放送から、パーソナリティという言葉が始まったんですよ」と明かし、垣花も「それが今も続いてるんだから、すごいですよね」と感服した。

フジパシフィックミュージック・代表取締役会長 朝妻一郎氏、垣花正

そして、『オールナイトニッポン』のテーマ曲である『ビタースウィート・サンバ』についての秘話が。『オールナイトニッポン』の会報誌『ビバ・ヤング』によると、別な曲と間違えてスタッフが掛けたところからテーマ曲に決まったとの情報が記されているが、その真実について、今回垣花が朝妻氏にインタビューを行い、音源を公開した。

高崎一郎氏  撮影日:1971年05月11日 写真提供:産経新聞社

初代パーソナリティの1人であり上司だった高崎一郎氏より、「『オールナイトニッポン』のテーマ曲を探せ」と命令を受けた朝妻氏は、最初にマッコイズの『カム・オン・レッツ・ゴー』を持っていったが、高崎氏のイメージと合わず。次に、ハーブアルパート&ティファナブラスの『あめんぼうとバラ』を聴かせたところ、こちらもあまり興味を示さなかったが、同曲が収録されたアルバム『ホイップド・クリーム&アザー・ディライツ』を1曲ずつ聴いていく中で、『ビタースウィート・サンバ』を聴いた高崎氏が、「お前コレだよコレ!」と一言。この発言によって、テーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まったというのが真実だという。

テーマ曲が『ビタースウィート・サンバ』に決まった“逸話”が掲載された会報誌『ビバ・ヤング』1969年11月号

しかし、それではエピソードとしては普通すぎるということで、話として盛り上げるため、高崎氏の発案で『ビバ・ヤング』に掲載する逸話を用意。1969年11月号の中で、「『ビタースウィート・サンバ』をテーマ曲にしたのは誰か?」という問い合わせに答える形で、「『これぞアメリアッチ/ザ・ティファーナ・ブラス』というLPの中から『レモン・ツリー』という曲を推薦したのは高崎一郎さんだった。ところが、そそっかしい初代デスクのT氏がもう1つ内側のミゾの曲を聴いて決定してしまった。その曲が『ビタースウィート・サンバ』だったのである」と掲載し、それが定説となっていったのだと明かしていた。

斉藤安弘、垣花正

『オールナイトニッポン』の歴史を振り返り、番組も終盤に差し掛かる中、斉藤がラジオへの思いを語る場面も。1967年当時から「ラジオはなくなっていくメディアだ」と言われていたが、「そんなことはないと思っていた」「ラジオは人と人との繋がりなので」と、人の繋がりが続く限りラジオは終わらないといった熱い気持ちを口に。羽佐間氏の「列車は運転手が変わっても走り続ける」という言葉に共感しつつ、「パーソナリティが変わっても(『オールナイトニッポン』という)容れ物が変わらなければ続いていくと思っています」と、今後も走り続けていく『オールナイトニッポン』にさらなる期待を寄せていた。

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