高島礼子「いまは自分が楽しむために女優の仕事をしたい」

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に女優の高島礼子が出演。女優という仕事について語った。

高島礼子

黒木)今週のゲストは女優の高島礼子さんです。どんな作品に出られるときが好きですか?

高島)いまとなっては普通ではない役ですね。以前は本当に内向的な性格だったものですから、かっこいい女性に憧れていて、キャリアを持って1人でバリバリ働く女性の役をやってみたいと思っていました。今後は、いままでやったことのない、口うるさいおばさんとか、私のこの感じに合わない役をやってみたい。

黒木)これからはね。「あなたがいい」と殺し文句を言われると、最善を尽くそうと思ったりしますけれども。

高島)到底イメージに合わない役が来たときでも、キャスティング・プロデューサーは「その人にやってもらいたい」と思うわけですよね。

黒木)そうですね。そこに何かを求めている。『極妻』が最初に来たとき、いかがでしたか?

高島)そのころは、強い女性でも、憧れの役をキャスティングされていないときだったので、本当にびっくりしてしまいました。『極妻』は憧れの作品だったので、余計なことを考える暇もなくOKしました。

黒木)志麻さんや三田さんなど、歴代の先輩方が立派に勤められた作品ですよね。ですからおやりになると聞いたときに意外でした。スクリーンのなかに凛としていらっしゃるではないですか。「すごいな」というど迫力でしたけれども。

高島)理想の女性ですよね。『極妻』をやるとき、必ず姐さんがいました。最初のころは、かたせ梨乃さんなど、必ず姐さん的な存在がいて、私はその勉強をしている姐御でしたので。 

黒木)ご出身は神奈川ですが、大阪弁はどうでした?

高島)大変でした。大阪弁と京都弁があることを初めて知りました。京都寄りか、大阪寄りかでみなさん、微妙にイントネーションが変わるのですが、京都の東映撮影所で撮影していたので、指導者がたくさんいて、もう、ごちゃごちゃになってしまいました。根が真面目なものですから、皆さんから教えられたことに近づけたいと思っていたら、頭のなかがパンクしてしまって、「何弁やねんそれは?」みたいな。いま思えば楽しかったですね。

黒木)京都弁、私もやりましたけれども、京都弁がいちばん苦労しました。「もう、できない」と思うくらい。

高島)黒木さんのように福岡弁を話す方が関西弁を話すときは、どんな感じなのですか?

黒木)意外とアクセントが近いですね。「何しとーと」という神戸弁というか、兵庫に私は最初に行きましたので。大体西の方でした。だから標準語がいまだにできないという。

高島)逆に標準語ですか。

黒木)女優を続けて行く原動力は何ですか?

高島)女優になったばかりのころ、京都の撮影所でお世話になったのですが、皆さんがこんなど素人を応援してくださいました。時間と労力を使って応援してくれたのだから、それに応えたいという気持ちだったのですが、途中から欲が出て、「自分のために頑張りたい、自分が楽しむためにこの仕事をしたい」と思うようになってから、変わったような気がします。いまはひたすら楽しみたいと思っています。

高島礼子

高島礼子(たかしま・れいこ)/女優

■1964年7月25日生まれ。神奈川県出身。
■会社員として働きながら、アマチュアレーサーとしてモータースポーツで活動。レース資金捻出のため、レースクイーンやモデルの仕事も開始。初出演のCMを目にした松平健さんに見いだされ、1988年、『暴れん坊将軍V』に出演。本格的に女優デビュー。その後、数多くの作品に出演。
■1996年には『陽炎2』で主演を演じ、以降、陽炎シリーズに出演。
■1999年からは『極道の妻たち』シリーズに主演。
■2001年、映画『長崎ぶらぶら節』で日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞。
■映画・ドラマ・CM・舞台…幅広いシーンで活躍。テニスやゴルフが趣味。モータースポーツのA級ライセンスを取得。

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