アンタ山崎が『M-1』前にしていた“覚悟”とは?「くりぃむしちゅーの…」

アンタ山崎が『M-1』前にしていた“覚悟”とは?「くりぃむしちゅーの…」

7月30日放送のテレビ朝日系『ロンドンハーツ』にアンタッチャブル・山崎弘也が出演した。

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番組では、“密室検証 もしもこんな2人を飲ませたらどうなる?”と題して、山崎と野性爆弾・くっきーがさまざまなトークを展開。

この中で、山崎は20代後半の頃に“転機”があったとして「『M-1』の2003年で3位になる前ぐらいに、有田(哲平)さんに…」と切り出し、「相方には伝えてなかったんだけど、『くりぃむしちゅーの座付きの作家で生きていきます』くらいの…」と明かし、当時裏方に転身しようと考えていたことを語った。

その理由について「毎日有田さんと一緒にいるから。運転手とかしてね」「それでギャラもらえて、毎日毎日くりぃむしちゅーの現場行って『これどうかな?』ってある程度お笑いの相談とかもしてくれたりするから…」と話し、「そんなので月何十万かもらえて…『それもちょっといいっすよね』みたいな」と当時の心境を語った。

さらに「ほぼほぼ『じゃあ、そうしよう』みたいな」「『相方に伝えよう』ぐらいの時に『M-1』だったから」と明かし、もし結果が出なければ、芸人を辞めるほどの覚悟で『M-1グランプリ』に臨んでいたと振り返った。

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