酒井健太(アルコ&ピース)『チャンサカの気まぐれパンチライン』第48回:お笑い

音楽好きでラッパーとしてもひっそりと活動、一部では「ラジオスター」と呼ばれていたりもする鬼才(!?)アルコ&ピース酒井健太によるフリースタイルコ・ラ・ム!(月1回更新予定!)


気づいたらお笑いにどっぷり顎まで浸かってた

あんま生い立ちについて書いてなかったな。
ってことで生い立ち。

ウチのオヤジがめちゃくちゃお笑い好きで、家でもずっとバラエティ番組を観ていた。
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』から『ダウンタウンのごっつええ感じ』から『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』から『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』やら。
特にオヤジは『元気が出るテレビ』めっちゃ観てた記憶がある。

もちろん俺も一緒になって観てた。
でも夜9時になったら寝なきゃいけないルールがウチにはあった。

9時以降も当時はどバラエティがやっていた。
木曜日にやっていた『とんねるずのみなさんのおかげです』は、俺が布団に入ったあとオヤジと姉ちゃんの笑い声が聞こえてくるなか寝なきゃいけなかった。

どんな番組なんだろ。

次の日学校に行くと、「昨日の仮面ノリダーおもしろかったなぁ」とか9時以降も起きてていい家の子たちが話してた。たまに話振られるけど、マジで苦笑いして乗り切ってた。
苦笑いはここで覚えた。

キツかった。
めっちゃ観たかった。

小学5年生くらいになると夜9時以降も起きてていいルールが制定された。
「こ、これがみなさんのおかげです、か……」。
おもろすぎた。
あの頃の時間を取り戻すかのように9時以降のバラエティ番組を観まくった。
新聞のラテ欄見て、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』はガチでエロい番組だと思ってた。
あと当時22時くらいにやってた『おしゃれカンケイ』もタイトルから絶対エロい番組だと思って、家族誰もいないときにいろんなものをスタンバイしてこっそり観たら、古舘さんのマシンガントークが炸裂して萎えたのを今でも思い出す。

中学に入るとラジオも聞き始めた。
ナイナイさん。
ロンブーさん。
ネプチューンさん。
これをクラスの本当にごく一部のリスナーのヤツと「昨日の聞いた?」ってしゃべるのが楽しくて楽しくて……。
秘密組織みたいな感覚で楽しかった。

もうこの辺からお笑いにどっぷり顎まで浸かってた。

高校生になっても変わらず、ラジオもテレビのバラエティもずっと好きだった。しかしここで大きな転機が……NHKで『爆笑オンエアバトル』を観始める。

10組の若手芸人のなかから、5組がオンエアを勝ち取りにネタをやる番組。
今までダウンタウンさんとかとんねるずさんとか見てて雲の上の景色だったお笑いが、少しだけ身近に感じられるようになった。

アンタッチャブルさん。
タカトシさん。
ますだおかださん
ドランクドラゴンさん。

今をときめくお笑い芸人が、若手時代オンエアを目指して鎬を削っていた。
まぁとにかくみんなおもしろかった。

これもまたラジオと一緒で観てる奴があんまいなくて、オンバトの話できるのが数人。
1個下のサッカー部の後輩・大沢と部室で

「昨日のモジモジハンターやばかったな」。

みたいな会話してた。
大沢もめちゃくちゃお笑い詳しくて、唯一ちゃんとお笑いについて話せる奴だった。

のちに、その大沢とはトリオを組むことになる。

今思うとなんとなく、こんなんやってみたいなぁって酒井青年は感じてたんだと思う。

そこから静岡の大学へ行き1年で中退。
あてもなく川崎で倉庫系のバイト三昧。
親も心配してたと思う。
そこへ後輩からお笑いの誘いがあった。
やることもないし、やってみっか。

門を叩いたのは、今やバイきんぐさんやハリウッドザコシショウの所属事務所・SMA。

お笑い芸人としてのスタート。

つづく。

イラスト:酒井健太

(※次回は7月中ごろ公開っつー話!)

酒井健太

さかいけんた●1983年10月29日生まれ、神奈川県川崎市出身。2006年4月に結成されたお笑いコンビ・アルコ&ピースのツッコミ担当。多くのラジオ番組をもち、一部では「ラジオスター」と呼ばれていたりもする。ロック、ヒップホップ、アイドルなど音楽にも造詣が深く、「菊田健太」の名前でラッパーとしてもひっそりと活動。MCバトル大会『戦極 MCBATTLE』にもちゃっかり出場した経験をもつ。サッカーも得意で中学生時代には川崎市選抜に選ばれたことがある。

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