「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で

『金ピカ先生』佐藤忠志さん死去 東進ハイスクールなどでカリスマ英語講師

記事まとめ

  • 『金ピカ先生』の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志さんが、死去していた
  • 佐藤さんは代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどの予備校で絶大な支持を受けていた
  • 生活保護を受け、独り暮らしだった佐藤さんは、デイケアの職員により自宅で発見された

「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で

「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で

自慢の愛車をバックに自宅前に立つ佐藤忠志さん(2018年7月、一部加工)

 予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。

 佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。死因は不明。司法解剖が行われる。

 1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール東進ハイスクールなどの予備校で生徒から絶大な支持を受けていた佐藤さん。人気が高じてタレント業にも進出し、「全盛期には年収2億円超えた」とも語っていた。87年には秋元康氏がプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で“歌手デビュー”するなど、華々しい生活を送っていたが、近年は寂しいものだった。

 2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。

 18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。離婚調停中だった。自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたが、それまでの人生を「バラ色」とも語っていた。

 ◆佐藤 忠志(さとう・ただし)1951年5月4日、東京都生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。筑波大学大学院修了。77年に代々木ゼミナール講師となり、旺文社の大学受験ラジオ講座担当。88年、東進ハイスクールへ移籍。「金ピカ先生」の愛称で知られ、40万部突破の「ズバリ!合格の英単語」など参考書、著書多数。タレントとしても活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」やVシネマ、ドラマに出演。拓殖大では客員教授も務めた。2001年に参院選、09年に鹿児島県西之表市長選に立候補するも落選した。