決して“炎上キャラ”ではない辛坊治郎氏の素顔…思わず漏れた本音「対人恐怖で人間が怖い」

ニッポン放送に新番組「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」出演で気合を入れる辛坊治郎氏

 当たり前のことかも知れないが、会ってみる前と後で印象が一変する人がいる。私にとってはキャスターとして活躍中の辛坊治郎氏(64)が、まさにそんな存在だった。

 8日、東京・有楽町のニッポン放送で行われた檜原麻希社長(58)の定例会見。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、4月から記者を招いての定例会見は中止。3月11日以来4か月ぶりの開催となったこの日、ゲストとして登場したのが、6日から同局で新番組「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」(月〜木曜・後3時半)がスタートしたばかりの辛坊氏だった。

 檜原社長の「よくご存じのとおり、テレビの辛坊さんとラジオの辛坊さんは違う。毎日、オリジナルの一次情報で何を言うかドキドキさせられる。期待どおりのスタートとなっております」という言葉を受け、若々しいポロシャツ姿で約20人の記者の前に現れた辛坊氏。

 柔和そのものの笑顔を見た時、私は「あれっ?」と思った。なにしろ、辛坊氏と言えば、テレビキャスターとしての“ド直球”な物言いが持ち味。2019年11月放送の日本テレビ系「ウェークアップ!ぷらす」での「野党はバカ」発言など、リアルタイムで見ているこちらまで「そこまで言って大丈夫か?」と、のけぞるような発言も数多かった。

 しかし、2012年から17年まで土曜午後に放送していた同番組の3年ぶりの復活に「週1でお世話になっていたんですが、月〜木の帯でと言うことで、週1よりもデイリーのほうが心理的負担は少ないかも。週1で1回失敗すると、次の週まで引きずったりするんですが、デイリーだと次の日にリカバリーができる。体の負担は重いですけど、心理的負担は軽い。1週間引きずらなくて済むんです」と意外とナイーブな面を明かすと、斜め前方に座った檜原社長の方を見て、「これ以上、社長の心労の種にはならないようにします」とニヤリ。

 「人生、これからどうしようか悩んでいるんです。実は…」と率直に話し出すと、「私は自分をジャーナリストだとは思ったことはない。自分で取材には行きません。面倒くさがりだし、対人恐怖で人間が怖い」と突然、カミングアウト。「だから、人と直接会って、取材をすることは原則、しません。目の前にあるいろいろな素材を自分の中で分析をして結論を導き出す。自分で取材に行くと、取材の範囲も決まってきます。いろいろな情報を総合して見えてくることを皆さんにお伝えするというのが役どころなんだろうという気が特に最近はしています。ちょっと変わった視点の情報番組ができればなあ」と新番組への思いを語った。

 さらに「いや〜、ラジオは難しいですね。ぶっちゃけ、テレビっていうのは正直、笑っていれば何とかなる。ところが、ラジオはニコニコってしていても伝わらない。何か言わないといけないんで。私はテレビでは何か言っているような、振りと表情で実は何も言っていない」と言うと、「テレビのコメンテーターの優れた資質というのがあって、何かすごいことを言っていそうな迫力でしゃべっているんだけど、文字に起こしてみたら何も言っていないっていう人がいるわけです。これ、ひとつの極意なんですね、テレビの。テレビはそれで通用するところがあるんです」と、大きな波紋を呼びそうなコメントまで飛び出した。

 「でも、ラジオはこの手が使えない。表情でごまかすとか、勢いでごまかすとかができにくい。よっぽど、テレビよりも論理的にしゃべらないと通用しないという恐ろしさがある。正直、週1の番組5年でヘトヘトになりました」と吐露。今回のオファーを受けたことについても「始まって3日目なんですけど、『えらいもん引き受けちゃったな』という気が若干しております」と苦笑した。

 かつて、政界進出もうわさされただけに「人生で一つ、大きなやり残したことがあるんです」と話し始めた時には、こちらも前のめりになった。しかし、「立候補があるとすれば、大阪の枚方市の市議会議員。地方自治の現場を経験してからと思う時期もあったんですが、完全にタイミングを逸してしまった。いまさらそれはないな。政界に打って出るとか、私が政治家になって日本を良くしようとかではないですが…」と、政治家転身は否定した。

 その上で2013年6月に全盲のヨットマン・岩本光弘氏(53)を補助してのヨットでの太平洋横断を目指したが、クジラと思われる生物と衝突して浸水。10時間近く救難艇で漂流した末に救助された一件にも自ら触れ、「岩本さんが成功するまでは彼の妨害になる動きはやめておこうという思いがありました。でも、彼が去年、(米国人のパートナーと太平洋横断に)成功して。メールで『次は辛坊さんの番ですね!』って言われると、だんだん、その気になってくるというか。その時はごめんなさい」と、唐突に太平洋横断への再挑戦も匂わせた。

 その柔和な笑顔でのさわやかそのものの語り口に自分が持っていた同氏へのイメージとの乖離(かいり)を感じたから、質問したくなった。私が質問のマイクを持ち、名乗ったとたん、こちらを見て「ご苦労様です」と頭を下げた辛坊氏に、こう聞いてみた。

 「辛坊さんと言えば、昨年の『野党はバカ』はじめ、発言の数々が炎上することでも知られています。自身が取材対象として、ネットなどで話題になることにはどんな思いが?」―。

 私の質問に最初に爆笑し、続いて「いや〜」と息をつくと、「本当に一言でいうと、申し訳ございませんって感じですね」とポツリ。

 「炎上させるつもりでしゃべっているわけじゃないんですけど、どうしても炎上することもありますよね。それがスパイスだと笑ってもらえる範囲ならいいんですけど、それ以上にならないようにと。でもね、言っても、しゃべれる範囲には限界がありますから」と言うと、「私もこの商売、40年近くやってますけど、『己の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず』という孔子の言葉がありますが…。本来はそうなるべき年なんでしょうけど、なかなかそこまでたどり着かないですね。自分の思うように生きているんだけど、社会規範というか、守るべき範囲は守るという孔子の言葉ですけど」と淡々と続けた。

 最後には、こちらを見て「ねー」と同意を求めるように声を出すと、「先に謝っておきます。またどこかで、また謝らないといけない局面がないとは言えないので、すみません。ごめんなさい!」と、いきなり謝罪し、記者たちを爆笑させた辛坊氏。

 その日の午後3時半からの生放送前に15分間にわたって続いた“辛坊劇場”。実際、そこにいた記者はみんな笑っていた。そこには、言葉の世界で正直に生きてきた人だけが醸し出すさわやかさのようなものが漂っていたから。(記者コラム・中村 健吾)

 ◆辛坊治郎(しんぼう・じろう) 1956年4月11日、鳥取・米子市生まれ。64歳。6歳から埼玉県で過ごし、80年、早大法学部を卒業し、読売テレビにアナウンサーとして入社。「ズームイン!!朝!」の地方リポーターを8年間、担当するなど人気アナに。97年、報道局に異動。01年から日本テレビ「ズームイン!!SUPER」の新聞ニュース解説兼サブ司会に就任。読売テレビ報道局解説委員長などを務めるも10年に同局を退職。シンクタンク・大阪綜合研究所代表。フリーとして様々な番組のキャスター、コメンテーターなどを務めている。12年には初期の十二指腸がんを発症も完治した。

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