岡村孝子「移植で新たな命も頂いた」白血病闘病からステージ復帰へ前向き

ソロデビュー35周年を迎えた岡村

 2019年4月に急性白血病を患ったと公表したシンガー・ソングライターの岡村孝子(58)が、ソロデビュー35周年を迎えた。1982年に女性デュオ「あみん」としてデビュー。85年にソロ活動を始動させ、複雑な女性心を描くラブソングの名手として「OLの教組」と呼ばれた。完全寛解で記念イヤーを迎えた岡村は「リスナーさんと一日も早く会いたいです」と、ステージ復帰に前を向いている。(水野 佑紀)

 大病やコロナ禍を経て、6月に岡村はスタジオに戻ってきた。退院後初めて歌声を出した昨年11月以来、約7か月ぶりの歌唱。少しずつ回復している体に心を躍らせていた。

 「退院して初めて歌った時は、思ったよりも声が出るけど、まだまだ時間がかかりそうだなと思っていました。でも、6月に歌った時は、もうミニコンサートくらいなら大丈夫かなって」

 さい帯血移植を経て、昨年9月に退院を報告。移植後、完全寛解状態だという。現在は肺炎予防用など4種類の薬と月に1度の採血のみ。薬の量と種類は減ったが「毎月毎月怖いです」と吐露する一方で、ご褒美のようなソロ活動の節目に喜びをかみ締めた。「あっという間でもあり、長かった気もする」。ソロ35年、あみんを含めて38年。波乱万丈な道のりだった。

 81年に椙山(すぎやま)女学園大の履修届の際に前後の席に座ったことがきっかけで親しくなった加藤晴子さんを「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)を目指してるけど一緒にやらない?」と誘い、女性デュオ「あみん」を結成。81年秋のポプコンに「琥珀色の想い出」で出場した。岡村作詞作曲の自信作だったが、本選出場を逃した。

 「正直、1回目の曲で本選会まで行けるんじゃないかと思っていました。自分では『これだ!』と思ったものがダメだったので、落ち込んで空っぽになりましたけど、やっぱりプロになりたいって思いましたね」

 翌年の春、遠距離恋愛を描いた切ないラブソング「待つわ」でポプコンに再挑戦した。

 「たまたま遠距離恋愛をしていて、気持ちがすれ違った人に思いを伝えたくて作った曲。本選会に残ると『コッキーポップ』というラジオ番組が全国放送で流してくれる。そこで流れたらきっと相手の人が聴いてくれるんじゃないかなって思って、必死でした(笑い)」

 恋の執念は、プロへの道を切り開いた。あみんはポプコンでグランプリを獲得。7月に同曲でデビューした。一躍時の人となったが、厳しい日々を過ごした。

 「私たちは名古屋の女子大生なので、学業との両立が条件だった。授業を終えてから新幹線に乗って、東京に来て音楽番組に出て、ハイヤーで夜中に帰ってきて、翌日また大学の試験を受ける。北海道のキャンペーンを行いながら、脱水症状も起こした。今日はどこにいるんだろうという感覚でした」

 めまぐるしい日々は長くは続かなかった。加藤さんが就職を希望したことをきっかけに、約1年半の活動でシングル4枚とアルバム2枚をリリースし、あみんは活動休止。岡村は普通の名古屋の女子大生に戻った。

 「大学に戻って、車の免許を取ったり、花嫁修業をしたり…。いろいろやってみたけど、やっぱり違う、音楽をやりたいという気持ちに行き着いた」

 85年、初めてソロでステージに立った時は「こんなにステージって広かったかな」と感じたという。ソロ活動ではあみんの失敗も役に立て、テレビ番組への出演を極力控え、楽曲制作やライブにこだわった。

 「『待つわ』が最初にバーンと出てしまって曲が独り歩きし、私たちがついていけない状態だった。今度はシンガー・ソングライターとしてライブを地道にして、アルバムを丁寧に作って徐々に知ってもらいたいという願い通りのやり方ができた」

 ソロ3年目、5枚目のシングル「夢をあきらめないで」がロングヒット。岡村が洋楽で大好きだという米歌手・シャーリーンの「愛はかげろうのように」からインスパイアされた失恋ソングが、「待つわ」の呪縛を解き放った。

 「ソロデビューした時は『待つわ』の片割れとか言われ、早く名刺代わりの曲が書ければいいなと思っていた。時間がかかって聴いていただけた曲で、ようやく『ソロの岡村孝子というものです』と紹介できるものができた」

 同時期には、女性たちへの共感力が高い歌詞から「OLの教組」「応援歌」「等身大」と呼ばれたことも。鼻高々となりそうだが「面白いな。次は何て言ってもらえるんだろうと楽しみにしていました」と自然体だ。

 「周りの人はみんな結婚していったけど、そんな時に自分はソロデビューしてこれから始めようとしていたので、いろんなことを悩んだり迷ったりしていました。その思いを歌に乗せることも多かったですが、リスナーさんから『分かる』って言ってもらえると、悩んだり迷ったりするのは、私だけじゃないんだ、と。逆に私の方が背中を押された」

 順調にキャリアを重ね、昨年は充実期を迎えていた。6年ぶりのアルバム「fierte」のリリース、ホールツアーや地元・愛知で行われる「第70回全国植樹祭」での歌唱も決まっていた。が、病魔が襲いかかった。急性白血病と診断され、即入院。コンサートは中止、植樹祭出演も見送られた。

 大病経験がなく医師に「本当に白血病ですか?」と繰り返し聞いたことも。気がめいった時期に長女から「私のために治療を受けてほしい」と言われた。治療方法などを一から調べた長女からの一言は重かった。

 「『もしかしたら、治療でずっと寝たきりになるかもしれない。それでもいいの?』って聞いたら『いてくれるだけでいい』と言ってくれた。うちはシングルマザー。昔に比べればしっかりして大人になったかもしれないけど、娘はまだ20代。何が何でも死ねないという気持ちになった」

 治療を行い、気落ちした際も娘から「復帰した時のコンサートで歌う曲の構成考えたら?」とアルバム曲が収録されたヘッドホンステレオを渡され、励まされたこともあった。親子二人三脚で大病を乗り越えた。

 「なんでこういう病気になったのか、答えは出ない」というが、音楽活動でプラスに働く一面もあった。

 「3・11の時に『勇気』というアルバムを作りました。昨日と変わらない今日があるのってすごいことなんだなって気づいて、歌を作った。でも、自分が闘病した時に、白血球を0にしないといけなかったり、クリーンルームから全く出られないという、日常が保たれない闘病生活をした。徐々に良くなっていき、風の匂い、太陽の日差しって生きてるって感じるものなんだと分かった。本当の意味で昨日と変わらない日常が続くってすごいことなんだってことに気づきました」

 今後も変わらず音楽に情熱をささげる。「移植で新たな命も頂いた。おまけの人生のようなもの」。まずは周年記念。

 「リスナーさんから頂いたリクエストの永久保存盤みたいなベストを作ろうかなという計画はあります。また、曲はコンサートでリスナーさんと目と目を合わせて同じ空間を過ごして完成すると思っているので、『fierte』はまだまだ完成していない。コロナが収束して、アルバムを持って皆さんと一日も早く会えるといいな」

 少女のようなかれんな笑顔で、待っているファンへ歌声を届けるプランを語った。

 ◆岡村 孝子(おかむら・たかこ)1962年1月29日、愛知・岡崎市生まれ。58歳。女性デュオ「あみん」を結成し、82年に「待つわ」でデビュー。83年に活動休止し、85年にアルバム「夢の樹」でソロデビュー。88年7月に4枚目のアルバム「SOLEIL」で初のオリコンチャート1位を記録。2007年にあみんの活動を再開し、同年のNHK紅白歌合戦に出場。16年7月、岡崎市民栄誉賞を受賞。

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