島崎和歌子語るアイドル時代の苦悩「バラエティしか道なかった」

島崎和歌子語るアイドル時代の苦悩「バラエティしか道なかった」

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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週楽しみにしていた歌番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。

「’80年代は、とにかくテレビ番組が面白くて、学校から帰ってから、ずっとつけっぱなし。とくに『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)の日は、お風呂に入って晩ご飯を食べ、歯を磨き、宿題以外のその日にやるべきことを全部終わらせて、放送が始まるのを待っていました(笑)」

こう語るのは島崎和歌子さん(48)。世代的に『ザ・ベストテン』で記憶に色濃く残るのは、山口百恵やキャンディーズより、松田聖子を筆頭とした’80年代アイドルだという。

「当時はまだ小学校低学年。私はショートカットだったんですが、高校生くらいのお姉さんたちはみんな聖子ちゃんカットにしていて。あまりにもみんな同じ髪形だったから“大人になると、自然と聖子ちゃんカットみたいになるのかな”って思っていました」

さまざまなアイドルが登場し、次々に新曲がリリースされていたから、覚えるのが大変だった。

「『明星』の付録だった歌本『ヤンソン(Young Song)』 には楽譜が付いている曲もあったから、たて笛やピアニカで演奏してみたり。よっぽど大事にしていたみたいで、今でも実家に何冊か取ってあるんです」

歌番組のときはラジカセをテレビの前に置いて、好きな曲を録音したのも“’80年代あるある”だ。

「うまく録音できなかったときは、次の日に学校の友達からカセットテープを借りて、ダビングさせてもらうんだけど、ダビングにダビングを重ねたものになると、すごく音も悪くなって(笑)」

■フミヤがしいたけって言ったことに大興奮

島崎さんが小学校高学年になるとチェッカーズ旋風が巻き起こり、デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』(’83年)と『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』(ともに’84年)の3曲が、ベスト10内に同時ランクインを果たした。

「すごい快挙だったんでしょうけど、当時は子どもだったので“3曲も聴けてラッキー”くらいにしか思っていませんでした。『ザ・ベストテン』と同じくらい好きだった『ザ・トップテン』(’81〜’86年・日本テレビ系)で、フミヤさんが大嫌いなしいたけを食べた後に『涙のリクエスト』を歌って、歌詞の一部を『さいごーのー、しいたーけー』と変えたものだから、客席から大歓声が上がったんです。私もテレビの前で『フミヤがしいたけって言ったよ!』って大コーフンしたのを、48歳になるのに、まだ覚えていますね」

同時期に見たおニャン子クラブからは、ファッションの影響も。

「メンバーがおそろいで着ていたセーラーズの洋服がすごく欲しくて。でも、高知ではなかなか手に入らず、近所のスーパーで“セーラーズっぽい”服を買ってもらったんです。すごくお気に入りで、中学の修学旅行にも着ていきました」

田舎育ちの島崎さんにとって、キラキラした芸能の世界は、テレビの中だけに限られたもの。

「おニャン子クラブって“隣のお姉さん”的なコンセプトだったと思うのですが、私にとっては、かなり遠い存在でした。だいたい当時のアイドルの“全国ツアー”って、札幌、東京、名古屋、大阪ときて、私のいる四国は飛ばして、福岡っていうパターンが多かったですもんね」

だから中3のとき、「ロッテCMアイドルはキミだ!」のオーディションに応募はしたものの、受かるとは夢にも思っていなかった。

「1年分のお菓子がもらえるとか、そのくらいの動機でしたね。まったく接点のなかった芸能界に、少し関われるかもしれないという思いもなくはなかったですが。友達と応募用紙を投函するとき、すごくドキドキして、でも、それだけで満足。後はすっかり忘れていたくらいです」

ところが夏休みに入ると、書類審査を通過したとの電話連絡が。歌の審査があると聞き、ドラマ『毎度おさわがせします』(’85〜’87年・TBS系)でブレークした中山美穂の『50/50』(’87年)を歌おうと、やはり『ザ・ベストテン』で録音して、練習した。

「オーディション会場がアルタだったから、新宿のホテルに泊まったのですが、初めての東京で、高層ビルに圧倒されてしまい、どこにも観光に行けませんでした」

結果は惜しくも準グランプリ。だが、帰る準備をしていたときに、事務所の社長がスカウトしてくれたという。

「こんなチャンスはめったにありませんし、母も『娘はいずれ家を出ていってしまうもの。それが少し早くなった』と応援してくれました。まあ、まだ家を出たわけではなかったので、いまではいいネタになっているんですが(笑)」

■テレビを見過ぎて「引きこもっている」と勘違いされるほど

中学卒業を機に上京。寮で共同生活を送るようになったが、テレビ好きは収まらず−−。

「『笑っていいとも!』(’82〜’14年・フジテレビ系)や、高知では当時放送していなかった『夜のヒットスタジオ』(’68〜’90年・フジテレビ系)など、自分の部屋でテレビばかり見ていて、スタッフから“東京になじめず、ひきこもっているんじゃないのか”と心配されたほど」

’89年1月に、荻野目洋子主演のドラマ『こまらせないで!』(フジテレビ系)で女優デビュー、5月にはシングル『弱っちゃうんだ』で歌手デビューを果たした島崎さん。アイドル路線を目指したが。

「バンドブームの到来で、アイドルにとっては冬の時代。歌番組も減り、芸能界で生き残るためには、バラエティ番組に活路を見いだすしかなくて。若いコたちとカラオケに行くと『和歌子さん、歌、うまいっすね』なんて言われるんです。『だって私、歌手だよ、スマホで調べてみて』って言うと、『ホントだ。でも1曲も知らない』って」

大好きだった『ザ・ベストテン』への出演はかなわず、路線変更も余儀なくされたが、だからこそ『ザ・ベストテン』のように豪華で、しかも生放送の『オールスター感謝祭』(’91年〜・TBS系)と出合う幸運にも恵まれた。

「初回からずっと総合司会を務めさせてもらって、今回の放送(10月9日)で、なんと30年! 一緒にMCを務める今田(耕司)さんからは『島崎が80歳になっても“アンサーチェック”とか言ってたら、おもろいな』って。それを次の目標の一つにしています」

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