かとうれいこ「スキー場で三上博史似をチェック」したデビュー前キャンパスライフ

かとうれいこ「スキー場で三上博史似をチェック」したデビュー前キャンパスライフ

かとうれいこ「スキー場で三上博史似をチェック」したデビュー前キャンパスライフの画像

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。

「女子大生のとき映画『私をスキーに連れてって』(’87年)を見て、“かっこいいな〜”とファンになった三上博史さんと、まさかドラマ『あなただけ見えない』(’92年・フジテレビ系)で共演するなんて、夢にも思っていませんでした。とにかく緊張してしまって、三上さんとどんなお話をしたのか、よく覚えていないほどなんです(笑)」

こう’80年代を振り返るのは、タレントのかとうれいこさん(53)。当時、全盛だった歌番組が、小学校を転校したとき、新しいクラスメートと打ち解ける手助けをしてくれたという。

「『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年)や『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・ともにTBS系)は、学校で必ず話題になったので、新しい友達と話すきっかけになったんです」

とくに『ベストテン』は、“追っかけマン”による、全国各地からの中継から目が離せなかった。

「新幹線での移動中に途中下車して歌い始めたと思ったら、発車時間のために途中で切り上げて、新幹線に乗り込む――。そんなライブ感のある場面を、ハラハラ、ドキドキしながら見ていました」

そんな歌番組を彩ったアイドルといえば、やはり松田聖子がいちばんに思い浮かぶ。

「『青い珊瑚礁』(’80年)を初めて聴いたとき、すごく透明感のあるきれいな声に引きつけられたし、とにかく歌がうまい。聖子ちゃんカットにも憧れましたが、まだ小学生だったのでさすがにマネできず……。ようやく聖子ちゃんのヘアスタイルを取り入れられたのは、『天国のキッス』(’83年)のころの、ショートのストレートヘアでした」

聖子ちゃん好きのクラスメートとともに、『ベストテン』の翌日は、「昨日の衣装がかわいかったね」「ちょっと声がかれていたよね、忙しくて寝てないんだろうね」などと論評。当然、聖子主演の『プルメリアの伝説 天国のキッス』(’83年)を見るため、映画館に足を運んだ。

「新曲の発売サイクルが3カ月に1回だったし、歌番組も移動の合間に中継で出演。しかも映画でも活躍していたので“ああ、駆け抜けているんだな”って、ため息交じりに聖子ちゃんを見ていました」

女子大に進学したのは、バブル絶頂期の’87年。

「高校時代から、ニューヨークの夜景が目に浮かぶようなAOR系の曲が、おしゃれで大人な感じがして好きでした。崎谷健次郎さんの『もう一度夜を止めて』(’87年)は、何度も聴き返しました」

■映画のような恋愛を夢見ていましたがゲレンデでの出会いはありませんでした(笑)

一方、大学のキャンパスは都心から離れており、課題にも追われていたため、あまりおしゃれで華やかなキャンパスライフとはいえなかった。だが――。

「1年生の冬、『私をスキーに連れてって』を見てからは、すっかり映画に影響され、しょっちゅうスキーに出かけるように。大学生っぽくなりました」

映画で描かれているような、恋愛にも憧れた。

「ゲレンデでは、めちゃくちゃスキーが上手な人に目がいってしまって、三上さんに似ているか、チェックしてみたり(笑)。映画では、ゲレンデで出会った2人(原田知世と三上博史)が、偶然、同じ職場だったという設定。ありえないとは思いつつ、社会人になると、そんな恋愛が待っているのかもと夢見ることもありました。でも、ゲレンデでの出会いは、残念ながらなかったです(笑)」

映画で原田知世が着ていた白いスキーウエアも、ゲレンデの定番だった。

「スキーを始めたころはボーゲンもやっとだったので、道具へのこだわりもなく、ウエアも含めて全部レンタル。でも、何度もスキー場に通ううちに、買ったほうが安く済むことに気づいて。たしか、御茶ノ水の『ヴィクトリア』にスキー用品を買いに行きました。スキー場では“白い人”ばかりだったから、あえて別の色のウエアを選んだんです」

そして友人の運転する車でスキー場に向かうとき、必ず聴くのは、やはりユーミンだった。

「映画をきっかけに、ユーミンが好きになって、過去の作品もたくさん聴くようになったんですね。ユーミンが、大好きな聖子ちゃんに楽曲提供をしていることを知って“つながっている”と思っていました」

志賀高原、蔵王など、月に何度もスキー旅行を重ねた。大学の友人2人と、バスツアーに参加したときのことだ。

「帰る途中、サービスエリアでトイレ休憩をとったとき、点呼も取らずバスが出発して、私たちは置いてけぼりに……。携帯電話もない時代だし、財布はバスに置いたままで、途方に暮れました」

折からのスキーブームで、同じ旅行会社のバスが、次々にサービスエリアに立ち寄ったため、添乗員に助けを求めた。

「でも、どのバスも満席で……。何台も何台もお願いし続け、ようやく2つだけ空席がある東京行きが来て、乗せてもらうことができました。バス停からの、帰りの電車賃もなかったので、それも旅行会社に出してもらって」

大きな転機は、そんなトラブルの翌年に訪れた。渋谷を歩いていたときに、芸能事務所にスカウトされたのだ。

「最初、事務所の社長のことを“怪しい”と思ってしまい、返事は保留していたのですが、ちょうどその時期、所属していた堀江しのぶさんが夭折し、憔悴した社長の姿が、テレビで映されたんです。コメントする様子にも誠実さを感じて、“何か手助けができれば”と、事務所に入ることに」

大学2年で芸能界デビューすると、次々にレギュラー番組が決まっていった。

「歌番組がどんどんなくなっていき、逆に増えていったバラエティ番組のアシスタントのお仕事をいただけました。人気絶頂のウッチャンナンチャンさんやB21スペシャルさんが司会の『お笑いベストヒット』(’88〜’89年・TBS系)という番組で、アシスタントを担当できたのも、幸運でした」

目の回るような忙しさで、ドラマの収録先からイベントに出演するため、ヘリコプターで移動したり、寝不足のため、目の血管が切れて充血してしまったことも。

「マハラジャやジュリアナなど、夜の六本木は若い人たちであふれていましたが、仕事が忙しくて、同年代が楽しむ遊びは体験できませんでした。だからこそ、デビュー前、映画の影響でスキーを楽しめたことは、私にとって貴重な体験でしたね」

若いときでしか得られない、まばゆい時間を過ごした’80年代でもあったのだ。

【PROFILE】

かとうれいこ

’69年、埼玉県生まれ。’88年、グラビアアイドルとしてデビューし、’90年のクラリオンガールに選出。女優としても活躍し、’92年のドラマ『あなただけ見えない』では憧れの三上博史とも共演。’01年のプロゴルファー・横尾要との結婚を機に休業に入ったが、’12年に芸能界復帰し、以降、バラエティやドラマなどで活躍している

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