雅子さま 6月に岩手・奇跡の一本松とご対面 愛子さまへ伝えた「被災者に寄り添う心」

雅子さま 6月に岩手・奇跡の一本松とご対面 愛子さまへ伝えた「被災者に寄り添う心」

雅子さま 6月に岩手・奇跡の一本松とご対面 愛子さまへ伝えた「被災者に寄り添う心」の画像

「(東日本大震災のときは)避難もされたのですか」

そう声をかけられたのは雅子さま。

3月3日、天皇皇后両陛下は皇居・宮殿で「第61回農林水産祭天皇杯」の受賞者らと懇談された。そのなかには「農産・蚕糸」部門で受賞した福島県南相馬市の男性がおり、彼に対して天皇陛下と雅子さまは、冒頭のように大震災について聞かれたという。

今年も皇室にとって、そして日本にとっても「忘れてはならない日」が訪れようとしている。3月11日、東日本大震災が発生してから12年となるのだ。

2月21日、お誕生日に際しての記者会見に臨まれた天皇陛下はこう話された。

「今年は、関東大震災発生から100年を迎えます。日本では、古くは日本書紀に地震の記録があり、平安時代には三陸沖を震源とする貞観地震が発生した記録が残っているように、以前から大きな地震が繰り返し起こっています。平成23年に発生した東日本大震災は私たち一人一人の記憶に新しいところです」

大震災の発生後、天皇陛下と雅子さまは、被災した各地をお見舞いのため訪問された。皇室担当記者はこう語る。

「両陛下は避難所では床に膝をつき、被災者たちと目を合わせてお話をされていました。お年寄りには『失望しないで頑張ってください』『故郷に帰れるといいですね』、子供たちには『お元気ですか』『新しい学校でお友達はできましたか』……。

家族や家を失った被災者のなかには両陛下の優しいお言葉に、涙する人もいました。その涙は両陛下にとって、お心に刻み込まれているでしょうし、“震災の悲劇やあの方たちが流した涙を伝え続けていかなくては”と、誓われたことでしょう」

’21年3月11日に開催された「東日本大震災十周年追悼式」で、天皇陛下はこう述べられている。

「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」

“関東大震災のように100年後まで伝え続ける”……、いまも宮内庁のホームページを開くと、トップページに「東日本大震災関連」という項目が設けられているが、それも両陛下のお覚悟の表れに違いない。

そして今年6月、天皇陛下と雅子さまは、涙の記憶が薄れていない地をまた訪問される。

前出の皇室担当記者が続ける。

「6月4日に全国植樹祭が岩手県陸前高田市で行われ、両陛下が臨席されます。その会場は“奇跡の一本松”がある高田松原津波復興祈念公園です」

12年前、大津波が押し寄せた陸前高田市。市内では1550人が亡くなり、約200人が行方不明になった。江戸時代から長い年月をかけて育てられてきた松原には、7万本もの松があったが壊滅。

だが1本だけ残った松は“奇跡の一本松”と呼ばれ、そのたくましい姿は被災した人々の希望の象徴ともなったのだ。

「その後、海岸線が変わってしまったため、根が海水につかってしまい衰弱し、伐採せざるをえませんでした。しかし“一本松を失うことは津波に負けること”という地元の人々の思いは強く、表面を特殊な樹脂で保護するなどして、モニュメントとして復元し、保存しようと奮闘しているのです」

■陛下が奇跡の一本松のヴィオラをご演奏

一本松の数奇な運命と、松をめぐる人々の思いを、両陛下も見守り続けられているという。

「天皇陛下と雅子さまは震災発生後、何度か岩手県を訪問されましたが、陸前高田市に直接足を運ばれることはかないませんでした。もちろんこの地のことは気にかけておられ、’21年3月にオンラインで復興状況を視察されました。

また’13年7月7日、七夕の日に、天皇陛下は学習院OB管弦楽団の定期演奏会に出演されました。このときに奇跡の一本松の一部や津波で流された家屋の材木などを使って製作されたヴィオラを演奏されたのです。演奏後に陛下は立ち上がり、客席に向かってヴィオラを掲げられました。そして雅子さまも客席から大きな拍手を送られたのです」(前出・皇室担当記者)

天皇陛下と雅子さまも悲願とされていたに違いない奇跡の一本松との“対面”。その意義について、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう解説する。

「“復興のシンボル”を天皇皇后両陛下が訪問すれば、それだけ報道され、注目も集まります。そのことをお二人はよく理解されているのだと思いますし、また東日本大震災のことを国民に記憶し続けてほしいというお気持ちもあるのだと思います」

■愛子さまも会見で「思いを寄せ続ける」とーー

現地の人々も両陛下の岩手県ご訪問を歓迎しており、大槌町にある「三陸花ホテルはまぎく」社長の千代川茂さんもその1人だ。

震災前の’97年には、上皇ご夫妻が、このホテルの前身の「浪板観光ホテル」にお泊まりになったことがあった。しかし、ホテルは’11年の大津波により壊滅的な被害を受け、先代社長だった千代川さんの兄も行方不明に……。

震災から約半年後、美智子さまの77歳のお誕生日に公開された写真には、花壇に咲いたコハマギクをご覧になっている上皇ご夫妻のお姿があったのだ。

「かつて兄が献上したコハマギクを、上皇ご夫妻が大切に育ててくださったのです。私は大変感激し、ホテルの再建を決意しました。

今年、天皇陛下と雅子さまがご来県されることを大変ありがたく思っています。陸前高田市から大槌町は遠く、こちらにはお見えにならないと伺っています。ただご縁がありましたら、いつかコハマギクが咲く秋に、天皇陛下と雅子さまにも、この町に来ていただき、震災で海に沈み10年かけて再生した海岸から、コハマギクをご覧になっていただけたら、それに勝る幸せはありません……」(千代川さん)

美智子さまが御所で育てていらしたコハマギクについて、宮内庁関係者はこう話す。

「美智子さまは’22年4月に赤坂・仙洞御所へ入居されましたが、コハマギクなどの植物も移植され、今もお育てになっています。天皇ご一家がお住まいの皇居・御所にもコハマギクを残されており、雅子さまや愛子さまも大事にされているのです」

被災者たちの願いが込められたコハマギクは、美智子さまから、雅子さま、そして愛子さまにも託されていた。

「天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまは毎年、3月11日に黙禱を捧げてこられました。

また両陛下は愛子さまに、“東日本大震災のことを忘れてはいけない”と、お伝えになっています」(前出・皇室担当記者)

昨年3月、愛子さまは成年皇族になられた際の記者会見で、こう話されている。

「先週で東日本大震災から11年の時が経過いたしました。(中略)被災された方々の心の傷が癒えるのは容易なことではないと思いますし、また、時間を要するものであると想像されます。そういった苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができればと思っております」

被災者に心から寄り添うという両陛下のご姿勢をしっかりと受け継がれていた。

「両陛下が陸前高田市を訪問された後には奇跡の一本松や、木に込められた人々の復興への祈りについて、ご一家でお話しされることでしょう」(前出・宮内庁関係者)

愛子さまが“奇跡の一本松”を、そして大槌町でコハマギクをご覧になる日も、けっして遠くはない。

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?