毒蝮三太夫明かす妻との出会い 改名巡り感じた「妻の強さ」

毒蝮三太夫明かす妻との出会い 改名巡り感じた「妻の強さ」

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毎週金曜は、TBSラジオ『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント(MP)』の公開放送の日。商店や銭湯、町工場など訪れた場所は1万3,000カ所、今年10月には放送50周年を迎えるという長寿番組で、毒蝮三太夫さん(82)は第1回からパーソナリティを務めてきた。

現場で高齢者に呼びかける「ババア」「ジジイ」といった愛ある毒舌も、唯一無二の話芸として今ではすっかり市民権を得ている。MPの放送時間は約30分だが、本番を終えてからのフリートークのほうが長い。政治から介護問題まで鋭く洒脱な説法が1時間以上も続くことも。

20年来の現場の仲間であるTBSラジオの女性チーフディレクターの谷口さん(55)は、こう話す。

「常にお元気なまむしさんの活動を支えているのは、ご本人の前向きさと、間違いなく奥さまの存在でしょうね」

まむしさん自身からも、また周辺の取材でも、いつも必ず出てくるのが「カミさん」の話題。家庭でも、例の毒舌で、さぞ亭主関白なのだろうと思いきや……。

「うちのカミさんには頭が上がらないよ」

となると、聞いてみたくなるのは奥さま・みさをさん(83)の話だが、「取材は苦手」とのことだった。

「日本橋の三越劇場に出ていたときの楽屋に、三越勤務の友人が、オレより半年ばかり年上のデパートガールの同僚を連れてきた。それが、カミさんのみさを。会った瞬間、『この女性は結婚するのにふさわしい人だ』と直感した」

しかし、当のみさをさんにはそのつもりはなかったようだ。

「『芸能人は、どうせ遊びでしょ』と思ってたようだよ。2年ほどして意を決して交際を申し込んで、なんとかオッケーをもらえた。次に婚約指輪を渡したら、『これから毎月1万円ずつ定期預金をしてちょうだい』。オレの見込んだとおり、経済観念もしっかりした女だったね」

赤坂プリンスホテルでの結婚式は、26歳のとき。仲人は小林桂樹さんご夫妻、司会は盟友・立川談志さん(75)。

「結婚後、しばらく仕事がない時期が続いた。でも、カミさんは文句一つ言わず、『私が働いているから』と、デパート勤めを続けてくれた」

結婚から4年目には、『ウルトラマン』がスタートし、“アラシ隊員”として日本中の子どもたちのヒーローに。続いて1年後には、国民的人気番組『笑点』の2代目座布団運びに選ばれる。

この出演依頼もだが、改名をすすめたのも、『笑点』の初代司会者でもあった談志さんだった。’68年2月、番組内で、本名の「石井伊吉」から「毒蝮三太夫」への改名披露が行われた。

半年ほどが過ぎたときだった。

「あなた、ヘビになったんですって?」

みさをさんが、自宅の茶の間でさりげなく切り出した。

「なんで、知ってるの?」

「お友達に言われました。『あなたの旦那さん、今度はヘビになったのね』って。なぜ、言ってくれなかったんですか」

「いや、君は日曜もデパート勤めだからテレビも見ないし。それに、“毒蝮”に改名なんて、きっと君が悲しむと思って」

「あなたの決めたことを、私が反対すると思う? なんでも言い合えるのが夫婦でしょう。それをおもんぱかって内緒にするなんて、その理屈はおかしいです。これからはなんでも言ってちょうだい」

まむしさんは、80年以上の人生の中で、あの改名は最大のターニングポイントだったと語る。

「自分でも、堂々と“毒蝮”を演じるようになった。なにより、この一件で、カミさんが一枚上手と知ったね。あの度胸には感服したし、それからは、オレたち夫婦は、なんでも話し合っていこうと決めたんだ」

突然の腸閉塞での入院は、’05年の大みそかのこと。実はこのときS字結腸がんも発見され、7時間もの大手術を受けていた。

「1カ月半の入院中、雪の中でも通ってくれ、下着も替えてくれたのもカミさんだった。年末だったんで、ベッドの上で年賀状を書いていて、カミさんにも病室から感謝の気持ちとともに(年賀状を)出したのを覚えてる」

80歳を超え、がんも体験したまむしさんを、妻のみさをさんが支え続ける。

「夫婦は、尊敬と我慢。もともと互いにないものに引かれて一緒になったんだから、その相手は尊敬して当然だよな。おっと、それから、気持ちを伝えるときは、ためらわずにな。恥ずかしいと思うのは、半端にやるから。照れずに、全力でぶつかれば伝わるし、相手も気持ちいいもんなんだよ」

今から3年前の1月、80歳の誕生日を目前にして、まむしさんは、「終活の第一歩」として事務所の社長を、弟子の千葉潤一さん(54・芸名:はぶ三太郎)に譲った。続いて、ラジオの現場は、月〜木の週4日というペースの2年間を経て、昨年4月からは現在の金曜午後だけとなった。

「『そろそろ夫婦でゆっくりしたい』というカミさんの気持ちは、痛いほどわかる。うちの夫婦は、子どものいない人生を選んだ。つくらなかったんじゃなくて、できなかった。オレがチフスで高熱を出したとき、医者から『将来、できないかも』とも言われてたようだが、調べたわけじゃないからね。だから、老後の2人の過ごし方は、より重要なテーマ。真剣に、バリアフリーの家に引っ越したり、施設に入るといった話も出ている。それでも週1のラジオの現場や講演を続けているのは、日本中に、こんなオレを待っている人がいてくれるから。つまり、今は人生の軟着陸の仕方を探してる最中」

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