SUGIZO「自分の中で地獄の季節だった」 支えになった“娘の存在”を語る

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AIざっくり要約

  • LUNA SEAのアルバム『MOTHER』と『STYLE』のカバーアルバムが発売され、その制作のきっかけとなった過去のライブツアーについて語る。
  • スギゾーはLUNA SEAが成功を収めた頃自身の心は乖離し、娘の誕生で見直した。障害のあった30代前半も娘の存在が支えとなった。
  • スギゾーは難しい時期を乗り越えた原点となった人物や出来事について語り、現在はアルバムを引っ提げたツアーを行っている。

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SUGIZOさんを突き動かすものとは、一体何なのだろうか。LUNA SEA、X JAPAN、THE LAST ROCKSTARS、SHAGでギタリスト、バイオリニストとして活躍するSUGIZOさん。活動は音楽の分野のみならず、社会活動、ファッションなど多岐にわたる。そのすべてに並々ならぬ覚悟と、生き様が投影されている。

――LUNA SEAが11月29日に不朽の名作『MOTHER』(1994年)と『STYLE』(’96年)のセルフカバーアルバムをリリース。制作のきっかけはなんだったのでしょうか?

SUGIZO:2018年に、メジャーデビューアルバム『IMAGE』(’92年)と次の年に出した『EDEN』(’93年)のツアーをリプライズしたライブを、さいたまスーパーアリーナで2DAYS行いまして。その感触が非常に良かったんですね。それで「いずれは『MOTHER』と『STYLE』もやろうね」とメンバーの間で話が出ました。「じゃあツアーもいいかもね」「せっかくツアーをやるなら、音源も投下したいね」という流れで決まりました。

――『MOTHER』と『STYLE』は、バンドの歴史から見てもエポックメイキングな作品で。この時期に初めてミリオンセラーを達成し、’95年には初めて東京ドーム公演を開催。チャート、セールス、ステージの規模でもLUNA SEAが音楽シーンの天下を獲りました。

SUGIZO:ものすごい勢いで駆け上がっている感覚は、確かにありました。自分たちの一挙手一投足が注目されて、動いたら何でもニュースになった。一気にスターダムに上りつめていた時期でしたが、僕個人の心はどんどんそこから乖離していって。「チャート1位になりました」「ドームを埋めました」「ロックバンドのトップになりました」というときに、逆に自分の気持ちはすごく落ちていました。

――どうしてですか?

SUGIZO:エンターテインメントという世界の矛盾とか、政治的な力や権力、そういう事実が鼻についたんです。ただの若造に、力のある大人たちがへいこらしている様も違和感でしかなかった。これは虚構なんだな、ここに真実はないんだなと感じたんです。それで妙に冷静というか、むしろネガティブに陥ったんですよね。若い頃は大きくなることが、売れることが、人に認識されることが重要だったんですけど、それを達成したときに何も満たされなかった。ちょうどその頃に娘が生まれまして。それまでの攻撃的でハングリーで自虐的だった自分から、全く違う自分に移行していき、その直後にLUNA SEAが一度活動休止をして、自分自身を見つめ直す時間ができたり。そんな真っ只中に、『MOTHER』と『STYLE』があったんだな、と今になって思います。

――いわば人生の過渡期だったと。

SUGIZO:20代前半は絵に描いたような、退廃的で自暴自棄な生活だったので、自分は30歳まで生きてないと思っていました。特に『MOTHER』リリース以降は、LUNA SEAのあまりに急激な上昇により、自分はすごく疑問と嫌気を感じていて。むしろ落っこちていきたいと思っていたし、すごく心がダークでした。そんな闇の中にいた自分を、日の光にさらしてくれたのが娘の存在でした。そしてその頃から、海外へ足しげく旅をするようになったんです。あるきっかけで、ギリシャへ行ったのも大きかった。子供の頃は普通に知っていた、太陽の光とか青い空とか花や草木など、自然がもたらす最高に気持ちいい感覚をギリシャで思い出して。そのときぐらいから、自分が闇の人間から光の方向に変わっていきました。

――他にも、ターニングポイントとなったことはありましたか?

SUGIZO:やはり…’98年にhideさんが亡くなったことですね。自分の身近な兄貴が突然いなくなってしまった。hideさんが亡くなられたタイミングというのは、ちょうど自分の娘の世代に対して愛情が大きくなり、世界中の難民の子供たちや飢餓に苦しんでる子供たちを支援したいと思い始めた時期と重なっていて。楽曲で言うと「I for You」を作っていた頃ですね。攻めの音楽から、より愛情や光で包み込むための音楽に変わっていったように思います。そしてhideさんの遺志を継いで、ギリギリまでロックをし続けたいと強く感じました。同時に、いつ自分が一瞬にしていなくなるかもわからないから、すべての瞬間を本気で生きなきゃいけない、と強く思いました。

――30代の頃には仕事も経済面も友人関係もすべてが壊れて、どん底になった時期があったとか。

SUGIZO:問題が起きたのは’03年から’06年ぐらい。この3年間は、自分の中で地獄の季節だったんですよね。何もかも失った時期でした。

――そのとき、支えになっていたものはありましたか?

SUGIZO:一番の救いは娘でしたね。娘をちゃんと食わせなきゃいけないし、立派に育てていきたいから、意地でも立ち止まらなかった。彼女だけが自分の生きがいだったんです。とはいえ、財も仕事も人間関係もあらゆるものを失って。以前のようにお金を自由には使えない。なぜなら、娘のために残さないといけないから。生活はできたけどギリギリの状態。そんな中で何をしたのかというと、時間はあったので勉強ができました。環境活動、サステナビリティ、エネルギーに関する大量の本を読めたし、あらゆるシンポジウムとか勉強会にも参加できた。そこで学んだこと、そこでできた人間関係、あらゆることが今に繋がっています。

1994年にリリースした『MOTHER』と、1996年にリリースした『STYLE』のカバーアルバムが発売中。ミックスを担当したのは、U2、ローリング・ストーンズなどのプロデュースを手掛け、グラミー賞を6度受賞したスティーヴ・リリーホワイト。現在は、今作を引っさげたアリーナツアー「LUNA SEA DUAL ARENA TOUR 2023」を開催中。

スギゾー 1969年7月8日生まれ、神奈川県出身。作曲家、ギタリスト、音楽プロデューサー。LUNA SEA、X JAPANおよびTHE LAST ROCKSTARS、SHAGのメンバーで世界規模で活躍。11月29日にLUNA SEAが『MOTHER』と『STYLE』の完全セルフカバーアルバムを発売。

※『anan』2023年12月6日号より。写真・内田紘倫(The VOICE) ヘア&メイク・荒木尚子(Octbre.) インタビュー、文・真貝 聡

(by anan編集部)

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