何も告知しない看板が立つ風景を描く 画家・片山高志が”無意味”な風景に込める、想像力と探究心の喚起

新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第26回の放送に登場したのは、周囲から切り取られたような土地の風景を、モノクロの絵画として描き出す画家・片山高志さん。真っすぐな線で区切られた区画のなかには、本来何かを知らせるはずの看板が立っているのに、何も書かれておらず、葉や枝が細かく描写された植物が生い茂っているものの、どんな色をしているのかは、観る人の感性にゆだねられている。あらゆるものに意味を見出そうとしがちな日常のなかで、片山さんが作品を通してそっと提示する、想像力や探究心の源とは?

◆無意味な風景が、探究心や想像力を喚起する

―四角く切り取られた区画に白い看板が建っているように見える『empty』シリーズですが、これはどういう作品なのでしょうか。

『empty』(2017)

なかなか言葉にしづらいんですけど、たとえばなぜそこにあるのかわからない打ち捨てられたような場所や物を観ると、自分のなかに新鮮な感覚が生まれるような部分が以前からあって。そんな風景を絵画として表現したいと思っていたんです。

―“意味のない風景”にどこか惹かれてしまうということですか。

意味のないように見えるものとか、本来の機能をはたしていないものには余白があって、そこから探究心や想像力が生まれていくと思うんです。

反対に、意味を求めて突き詰めすぎてしまうと、遊びがなくなるというか……。日常のなかでも「ここで遊びなさい」「ここで食べなさい」となんらかの目的をもっている場所って多いですよね。そのほうがわかりやすくて便利だし、物事も潤滑に運ぶことが多いから助かることもあるんですけど、ただ、そればっかりになるとどうも息苦しくて。

―なるほど。

決まりきった特定の価値を受け取ってただ消費していると、自分から想像力を沸き立たせたり、自分自身の問いに向かって創造的なことをしようという意識が薄れていくような気がします。

―看板が真っ白なのも、想像力を沸き立たせるということ?

そうですね。これは“白”というよりも、空白、虚の状態を表していて。

看板というのは本来何か文字が書いてあって、注意を促したり、何かを宣伝したりと意味や目的をもつものですよね。でも、“何も広告しない看板”というある種無意味な状態を描くことで、観る人の想像力を喚起できるのではと考えました。

『empty』(2017)

―なるほど。あとはモノクロで描かれている点が気になったのですが、色をつけずに描いたことにはどんな意味があるのでしょう。

色を示さないことで対象の意味とか役割を解放したかったからです。

絵のなかに色を使うと、看板の部分もほかの色との区別から何も書かれていない看板ではなく、“白い看板”になってしまいます。また、筆で塗った色で感情の位置や植物の状態が、一瞬で具体的に特定されてしまう。

そのことで認識が早まってしまい、描写に留まって対話するという時間が減ってしまう。とくに『empty』シリーズは意味のない草を緻密に描くことで、空白の看板と植物との粗密の落差に目を漂わせてもらいたかったので。この草が濃い緑なのか枯れかけているのか、は観る人の想像力にゆだねられることになります。

―眺めているうちにどんどん気になってくる風景だな、と思います。

何もないと言いつつ、何かあるんです。なんでもない草でも、よく観ると形がおもしろかったり。ああ、湿気が溜まりやすいからシダっぽい植物が生えるんだな、とか。

ただ、植物はあくまでも空白との対比として描き、扱っています。

あとは、逆説的に、「何もない」なんていうことは実はないんですよね。アンチテーゼということではないんですけれど、そういった矛盾もはらんでいます。

―たしかに。意味がないものを描く、ということ自体も矛盾する行為であるのかもしれませんね。

そうなんです。描くという行為によって、“無意味なことを表現するという意味”をもってしまう。つまるところ何も描かないほうがいいのかもしれないけど、でも描きたくなる気持ちがあります。

―あと作品の質感も興味深いなと思いました。表面がつるつるとしていて。

木製のパネルに塗装を施してつるつるの表面にしています。現代の日常生活を考えてみると、ディスプレイで物を観ることが多くて。ディスプレイ越しに見るイメージはつるつるしていますよね。そのつるつるに僕は抵抗感を覚えるんです。拒絶というか、撥ね付けられているような感覚があって。

キャンバスや紙はガサッとした質感があってなじみやすいけれど、親しんだ感覚をもち込みやすいとも言えますよね。

それが塗装を施すことで、なにか自分から遠いものを観る感覚にもっていけるんじゃないかなと思ったんです。なので、あえて僕が拒否反応を示してしまうつるつるのディスプレイみたいにしたくなったんです。わざわざ自分から遠ざけるというか。

◆風景とは、自分とは関係がないもの

―そもそも、どうして無意味ともとれる風景を描こうと思われたのでしょう。

普段から“すべてのことには意味がある”と思うと同時に“意味がない”とも思って生活しています。

そのふたつを行き来しながら物事を考えているうちに、元々あった意味を疑ってみたり、剥がして別の意味を与えてみたりするうちに着想を得ていったように思います。

『empty』シリーズのひとつ前の『somewhere other than here』というシリーズで人工物と自然の対比をベースにして、風景のなかに別の風景が入り込んだような作品を描いていました。

その作品の制作方法も『empty』シリーズと同じなんですが、画中画を空白で残した作品があって、その作品がきっかけのひとつにはなっています。

『somewhere other than here』(2016)

―それまではどんな絵を描かれていたんですか?

頭部を耳や卵に置き変えた人物が、路上を徘徊しているような絵を描いていました。ちょっとクスッと笑えるような、風刺も少し混ぜたような感じでした。

そこから徐々に人物も風景のなかから居なくなっていきました。人物には今も興味はありますが、人間をそのまま描かなくても、人工的な垂直線を絵のなかに入れるとか、違う表現に置き換えることで、人間的な要素を表現できるんじゃないかと今は思っています

―いちばん新しいシリーズである『点景』も風景を描いた作品ですね。

『点景』(2019)

『点景』は、“記憶のなかのイメージと、現在の自分との距離”ということがテーマです。

自分の記憶にある風景というのは断片的で、前後が抜け落ちて一部分だけがパッと残っていたりする。それを絵画で表現しようとしたときに、切り抜いた風景を抽象的な空間に浮かせることで表現できるんじゃないかと。

―記憶の断片が表現されているわけですね。

そうですね。切り抜いて抽象的な空間に浮かべることで、“現在の自分との距離”を表現しつつ、新しいイメージを作れるのではないかと思ったんです。

―片山さんにとって風景とはどういうものなんでしょう。

近すぎると風景にならない、という思いがあるんです。それは実際の距離でも、感覚的な部分でも同じで、離れていないと風景として見ることができない。たとえば遠くから家を撮った写真は風景ですが、それが自分が昔住んでいた一軒家なら意味が変わってくる。

特定の何かにフォーカスしていない一枚のイメージとして眺めることができるのが、人にとっての“風景”なのではないかと思っています。少し雑な言い方かもしれませんが、自分にとっての風景とは現在の自分とは関係がないもの、とも言えます。

◆物の見方を少しずらして、絵を描いていきたい

『empty』(2017)

―どの作品もすごく興味深いです。そもそも、片山さんが絵と出会ったのはいつだったんでしょう。

小さい頃からずっと絵を描いていました。でも美術そのものにはあまり興味をもてなくて。中学ではサッカー部に入っていました。

絵は家で描くことが多く、高校時代もそれが続いていました。高校は進学校で、まわりは当然のように「大学に行け」という感じだったので、美術大学を受験してみたけどダメで。

岡山から東京に出てきて一浪までしたんですが、いろいろあって進学は諦めて、表参道の同潤会アパートの前の道端とかでサッカーのユニフォームを売っているアルゼンチンのおじさんとか、アクセサリーを売っている人に混じって描いた絵を広げて売ったりしていました。

―どんな絵だったんでしょう。

うーん、今見たら気恥ずかしい感じの絵を描き散らかしていました。そのうちに「コンテストやコンペがあるから出してみたら?」とアドバイスをくれた方がいて、その頃に現代美術のことや、ギャラリーの存在を知りました。

―少しフィールドを変えて描くようになっていって。

そうですね。それからいろんなコンペに出すようになって、入選したり賞をもらえたりして。それがきっかけで別の企画展に呼んでいただいて、また別の方に声をかけていただいて……。そういう地味な積み重ねです。常に描きたい絵があって、その状態が今まで続いているような感じです。

―そう聞くと非常に健やかというか、順風満帆な気がしますね。

健やか(笑)。そんなことは全然なくて。踏んだり蹴ったりですよ(笑)。

以前に頭を打って記憶喪失になったり、数年前には交通事故にも遭ってひどいむち打ちになったり。数年間首の痛みに苦しんで今も後遺症が残ってます。そういうアクシデントがあると、この先どうしようって人生について考えるじゃないですか。今思えばそれも、物事の意味とか無意味とかを考えるようになったきっかけのひとつかもしれないですね。

―今後はどんな絵を描いていこうと思われていますか?

今興味があるのは、人間の「何か」に対する認識の仕方です。たとえば歩道を歩いているとき、「ああ今、アスファルトの塊が重力で押さえつけられている上を踏みしめているんだ」なんて思わないじゃないですか(笑)。でもふと考えると、自分の足元には恐ろしい量のアスファルトがある。

―たしかにそうですね。

人間は物事をどこまで認識できていて、どこまでが無意識なのか。そういった認識にまつわる事象を表現できたらなと。

すでに意味づけされている物の見方をちょっとずらすことで、観る人の認識をずらしていくような、そんな絵を描いていきたいと思っています。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

片山高志
画家

かたやま・たかし|1980年、岡山県生まれ。主な個展に「距離と点景」(2019)、「EMPTY EMPIRE」(2017)、「SOMEWHERE OTHER THAN HERE」(2016)、「何かの何かだと思ったけど何の何でも無かった」(2013)。グループ展示にANB Tokyo オープニング展「ENCOUNTERS」(2020)、「北極圏」(2015)、「シブヤスタイル vol.9」(2015)など。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん』
毎週木曜日 深夜0時45分〜50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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