スキャンして、プリントして、また立体にする 物体とイメージの境目を行き来するアーティスト・滝沢広が見つめる世界の本質

新感覚アート番組『アルスくんとテクネちゃん』、第27回の放送に登場したのは“二次元”と“三次元”を行き来する表現手法で、作品を生み出すアーティスト、滝沢広さん。滝沢さんは葉や岩などの物体を、カメラやハンディスキャナーを使って二次元に写し取り、その平面的な出力イメージを、何かの立体物に貼りつけることでふたたび三次元に変化させている。2つの次元を行き交う滝沢さんの作品を通じて浮かび上がってくる物や景色の多面的な表情と、それを観る人との関係性とは?

◆現実と虚構を漂うプロファイルイメージ

―まず『Criminal Garden』ですが、これは植物を撮影されているんですよね。

『Criminal Garden(2020)』  2019-2020年
Photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

そうです。ただ厳密にいうと夜中に撮影した植物を一度プリントアウトして、その用紙を幾重にも繋ぎ合わせて4〜5メートルぐらいの長さの架空の植物群を作るんです。そのプリントの上からハンディスキャナーでなぞって、新たに異なる階層のイメージを出現させてます。

それらのできあがったイメージをガラスケース内に貼り込み、その前にはキューブらしき物体に同じイメージを貼っています。奥行きがあるスペースに写真やオブジェがあるんだけど、鑑賞者の目のなかでもう一度圧縮されて、フラットにされてしまう。

―間にスキャンという行程を入れているんですね。植物を夜に撮影されたのはどんな意味があるのでしょうか。

はい。スキャナーの光がプリントの紙に触れることによって、イメージが立ち上がってくるわけだけど、現実の植物とは違い、不連続で歪んでいる。すると現実のものと僕が手を加えた架空の植物群が混ざり合って鑑賞者の目の前にできあがっていくんです。イメージのズレ、時間的なズレを意識させるためにスキャンを取り入れています。

昼間に撮影すると、明るいせいで植物以外の情報もフレームのなかに入ってしまうんです。植物の様態だけを浮かび上がらせるために、夜にフラッシュを炊いて撮影をしています。

―展示では、会場のガラスケース内に収められていたのも印象的です。

そもそもガラスケースの内側は、アーカイブ関連の資料や書籍などが展示される場所として利用されています。そこで展示されるということは、会期終了後作品は撤去しなければならない。つまり作品としては残らないインスタレーションになるんです。

結果的に今回の『Criminal Garden』の作品は、鑑賞者の記憶に残るか展示カタログとして残ることしかできない。たしかにそこにあったものがなくなり、記憶や記録としてしか残していけない作品のあり方を考えていました。

イメージが常に変化していくように、展示物も常に揺らいでいくものとして、この作品は存在しています。

また植物は通常外に群生するものなので、美術館内にそのまま置くと違和感がある。写真の前にガラスがあることで、あるいは自分の前にガラスがあることによって、観る側が内と外を意識することになると思うんです。

自分が「内側に入り込んでしまっている(内側にいる)んじゃないかな」と思ってしまうのではないかなと。

―錯覚のような?

そうですね。植物群を見ているけれども、実はこちら側が内側で、向こうから自分が見られている状況であるともいえる。自分自身の姿もそのガラスに反射しますし、空間が反転するような錯覚に陥ることも意図しています。

―写真の質感がつやつやしていて、なんとなく温度管理された植物園の展示室のような、湿度すら感じられるような感覚もあったのですが。

写真に艶があるのは半光沢紙を使っているからです。作品に没入してもらうためにあえて艶が抑えられるプリントを選んでいて、実は光の反射を低減させているんです。

実際の植物とはまったく違う素材だけれど、“光沢感のある植物”という表現によって、鑑賞する人が作品に何か没入できるきっかけを作ることができるのでは、と思ったんです。

『Criminal Garden(2020)』  2019-2020年

―作品名の“クリミナル”というのは?

僕は大学で心理学を学んでいたんですね。もともと犯罪心理学に興味があったことがきっかけで、アメリカで生まれた“クリミナルプロファイリング”という言葉を知ったんです。

プロファイリングとは、現場に残された物証から殺害方法や事象を推測していく捜査方法のひとつで、加害者と被害者の関係とか、国籍や人種を割り出し、犯人像を浮かび上がらせていくもの。名前はそこから取りました。

―海外ドラマなんかでよく見ますね。でもなぜその名前を付けようと?

モノ自体に言葉はもたない(実際は言葉をもつんですが)が、モノのあり方からさまざまな角度による分析を通して浮かび上がってくる人物像に関心があります。

統計的なデータのもと、犯人像がプロファイリングのイメージとマッチングすればその人は存在したことになりますが、もし存在しなかった場合はイメージ上の架空の人物像みたいになる。

つまり宙ぶらりんというか、現実世界とも虚構の世界ともつかずに、たださまよっている心霊現象のような状態になると思うんですよ。そこに興味をもったんです。その状態がまさに写真のようであると。

―リアルな人物像だけれども、存在しない。

たとえば、3億円事件のモンタージュ写真がありますよね。「3億円事件の犯人」と聞いたら、誰もがあのヘルメットを被った警察官みたいな人物像を想像すると思うんです。犯人は見つかってないのに、それぞれの人の記憶のなかでは存在する人物として記憶されている。

そのリアリティーみたいなものがすごくおもしろいなと思って、作品に“クリミナル”という言葉を付けました。あの植物群を目撃した人はそれが現実のものとして記憶されて残り続けていく。

―なるほど。そもそも、どうして心理学を学ぼうと思われたんですか。

うーん、あるとき、自分の存在意義を揺るがすような出来事があったんですね。自分っていうものはなんなのか、他者っていうものはなんなのか、といろいろ考えて、世界をどうやって認識するのかを冷静に学んでみたいなと思うようになって。

あと、心理学に進んだのは、映画の影響も大きかったですね。『コピーキャット』とか『羊たちの沈黙』を観るうちに、モノには感情がないんだけども、そこからモノが語る雄弁性みたいなものに、モノから読み取る行為に興味をもったんだと思います。だから初期の頃は石を使って、扱い方によってその意味性が変わるような作品を作っていました。

◆境界によって、写真とは何かを知覚する

―『Criminal Garden』では作品を通じて、どんなことを伝えようと?

たぶん僕は、境目や境界に関心があるんですよね。写真と物質の境界や、内と外の境界を提示することによって、鑑賞する人が立ち止まって、自分の世界をまた違った角度で認識することができるんじゃないかと。それによって写真とは何なのか、物質とは何なのかを考えるきっかけにしてもらうというか。その指向性が世界や自己と他者の分断や接続を考える上でも、つながっていることだと思うわけです。

―なるほど。

境目というのは非常にデリケートなものだと思うんです。国境は国と国が隣り合い政治的な問題を孕んでいるし、プレートは狭間に歪みが生じて地震を発生させる。人間だって、皮膚という薄い組織が体の外側と内側とを隔てている。

そういう境目を掘り下げてくことによって、立ち現れてくる何かがあるんじゃないかなとずっと考えていて。もちろん(境目が)見えなくなる危険性も孕んでいると思います。ただそれが物事の本質に差し迫る糸口になる気がしてるんです。

―境界が気になり出したきっかけはあるんでしょうか。

なんだろう、僕は小さい頃に絵を描いていたわけでもないし、ピアノが弾けたわけでもない。美術やアートに溢れた家庭で育ったわけでもないんです。

でも、ひとつ啓示を受けたとするならば、祖父の家の応接室に飾られていたフランシスコ・デ・ゴヤの『裸のマハ』を見たことかもしれません。その部屋は小さい頃の僕にとって遊び場でもあり、神聖な空間でもあったんです。「現実世界に違った次元が存在するんだ」っていう確信をもったくらい。

―それが原体験なんですね。

平面だけれど奥行きが感じられて、自分の思考や視覚、認識がスーッと吸い込まれる何かがあった。ただ絵の具が重なったマテリアルでしかないのに、自分がその絵のなかに没入していく感覚がおもしろくて、よくこっそり部屋に入って絵を観ていました。

自分と『裸のマハ』の間に別次元の空間があるんだっていうのを子どもながらに感じたんでしょうね。

―その後、境界を表現しようと思われたとき、絵ではなく写真に向かったのもおもしろいですね。

写真は、大学で心理学を学ぶのと同時にはじめたんです。できあがった写真を見ると、自分がファインダー越しに見ていたはずの景色と違う。記憶が遅れてついてくるような感じで、「あれ、こんなの撮ったっけな、こんなところ認識したっけな」というズレが生じる。

それは自分自身の認識のズレでもあり、世界と写真のズレでもあって、そこに境界への興味が重なって。それから吸い込まれるように写真を撮り続けている感じです。

―「できあがった写真がファインダー越しの景色と違う」というお話ですが、素人からすると、ファインダーを覗いた景色とプリントされた写真の景色は同じような気もするんです。滝沢さんには、具体的にどういう部分が違って見えたのでしょう?

大きいのは焦点の違いだと思うんです。木を撮るとしても、枝葉にピント合わせるのか、その奥の幹にピントを合わせるのかによって空間の捉え方が違ってくる。

世界は本来、幾層ものレイヤーが重なってできあがっているんですよね。この(インタビューの)場所でいうと、手前にフェンスがあり、枝があり、花があり、大木があり、空がある、というふうに重なり合っていて。

―写真を撮ることで、そのレイヤーの見え方が変わってしまう……?

というか、シャッターを押すことで時間を止めるので、また空間を切り取るので、レイヤーで成り立っている世界の構造自体が分解されてしまうというか。

“成り立ち”みたいなものがグッと全面に出てきて、より構造がわかりやすくなる。普段は見過ごしているものが、写真によって切り取られて、ゆっくり時間をかけて見ることができる。「可視化される」というんですかね。

―逆もありますよね。花が好きな人が写真を撮ったら、実は後ろに竹があることを写真によって気づいたり。写真になると客観性が生まれるのかもしれません。

写真って、誰が観るか、どこで観るかによって、見え方が変わるじゃないですか。それと近いかもしれないですね。

マルセル・デュシャンの『泉』のように、写真がもってるような性質を便器を使用することによって、本来の用途を取り外し、新しい思考を創造したように。

◆指紋が示す、二次元と三次元の狭間

『Fingerprinted Objects(Prototype)#01』

―たしかに滝沢さんの作品を観ていると「視点を変える」ことのおもしろさが感じられます。最新の作品『Fingerprinted Objects』もそうですよね。これは指紋をモチーフとされていて。

はい。指紋って人それぞれみんな違うので、自分を証明できる究極のものだと思うんですね。生体認証もそうだし、拇印はハンコ代わりにもなる。でも僕のなかで、そういった自分のアイデンティティーを証明するための指紋のほかに、オブジェクトとしての指紋という存在もあって。

―“オブジェクトとしての指紋”というと?

今回は指紋採取するために粘土を選択しています。彫塑粘土はあるイメージ(像)を形づくるために用いられるものだと思うんですね。今回はその逆で、イメージを形づくるためにオブジェを作るわけではなく、指紋採集された結果オブジェができあがっていく。そのできあがってしまったオブジェについて考えていくということです。

指紋を採取するために粘土をギュッと握ると圧力によって指紋が粘土に転写されますよね。指紋採取するために握られてしまった粘土が力を加えられたままの状態で残って、オブジェクトを形成する。手のなかの空間がネガポジとして反転して、オブジェとして現れてくる。

そうやって生まれた指紋のオブジェのことですね。その行為を写真で成立させられないかなと思って、作品を作りはじめました。

―どういうふうに制作されたのでしょうか。

まず、指紋採取された粘土のオブジェを撮影します。光は、ストロボを使わずにプロジェクターである映画を投影しています。だいたい8〜10秒くらいの時間をかけて粘土に光を当てると、いろんな映画のシーンがオブジェクトに投影され、さまざまな色や形ができあがっていくので、その様子を暗幕にして撮っています。

―映画を投射するのはどうしてですか?

粘土と映画には直接的な関係はないんですが、さまざまなシーンが投影されることによって、なんらかのイメージが立ち上がっていきますよね。そうやって、粘土だったものが光を浴びながら物語性を帯び、オブジェクトとして成立していく。そのイメージが立ち上がる瞬間を撮りたかったんです。

―なるほど、光と色でどんどん表情を変えていくわけですね。そうやって撮影したものを……。

プリントします。そうしてできあがった「指紋採取された粘土だけが撮影された写真」はプロトタイプとなります。そうやって二次元に変換された粘土を形に沿って切り取るんです。

次に切られた写真の粘土と実物の粘土を組み合わせて、また新たなオブジェを制作して撮影して、プリントしたものを展示しています。2Dと3Dの間を行ったり来たりしながら、最終的に平面に戻したのが今回の作品です。

『Fingerprinted Objects #08b/#10a』

―二次元と三次元を行き来することには、どんな意味が?

やっぱり境界に話が戻るんですけど、写真は平面だけれど、僕のなかでは“モノ”でもあるんです。だからこそ、写真とオブジェクトの中間を表現できないかなとずっと思っていて。

もちろん写真を写真として、オブジェクトをオブジェクトとして表現して展示することにも関心があるんですけど、そこからはみ出した2.5次元みたいな“あいだ”の作品を提示することによって、より写真がオブジェクトになりうる間合いを探っているという感じです。

そもそも2Dと3Dの間にもたくさんのレイヤーがあるわけで、それを読み解くためのコード(暗号)を探しにイメージと物質の間を彷徨っている気がしているんです。

話を『Fingerprinted Objects』に戻すと、一枚の写真のなかに「指紋採取された粘土のオブジェ」と「指紋採取された粘土のオブジェの写真」が混ざっているわけですね。さらに影の話をすると、「実物の粘土の影」と「実物の粘土に影を落とすプリントの影」と「プリントに印刷された影」が存在しているわけです。

イメージを読み込む装置としての影が幾重にも重なり合いながら、あるいは形あるものを拒絶しながらひとつのイメージを結ぼうとしているわけです。

モノに触れることによって現れる指紋、イメージを掴もうとする影、それらが絡み合いながら痕跡を残していくことにしかリアリティがないのではないでしょうか。

『Mood of the Statue #04 塑像の気配』

―次はどんな境界を示してくれるか、とても楽しみです。滝沢さんは今後、どういったことに挑戦されていくのでしょう。

2020年から映像作品を作りはじめたんですけど、すごく可能性を感じているんです。映像はこれからもっと深めていきたいですね。モニタのなかの出来事と外の世界をうまく接続できるような作品を制作したいですね。

あと、コロナ禍でどうなるかわからないので、あくまで予定ではあるんですが、オーストリアに行く計画があって。精神分析の創設者のジークムント・フロイト博物館に研修先として受け入れ許可をいただいたんです。

―えっ、すごくおもしろそうですね。

そこには実際に使用していた治療の道具や書物、世界中からフロイトが集めたコレクションが残っているんです。治療の際どのように写真を使っていたとか、同時代のどんな作家と交流していたかをリサーチやフィールドワークを通して、精神分析と美術と治療の関係を体系的に捉えることができたらなと思っています。

そこでの体験を踏まえて、2023年に作品を発表しようと思っています。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>
<撮影協力:カスヤの森現代美術館>

滝沢広
アーティスト

たきざわ・ひろし|1983年、埼玉県生まれ。
大学で心理学を専攻した後、日常的な素材や人間不在の光景から、ものの気配を引き出す写真や映像作品を制作している。「物質」を写真(映像)で捉えることによって「イメージ」の世界に引き込み、イメージ化された像を再構成し、新たな支持体に定着させることでイメージと物質の境界を往来するように独自の世界を構築している。

主な個展に「figure」(実家JIKKA、東京、2014)、「AVALANCHE/SHEET/DUAL」(rin art association、群馬、2017)、「The Scene(Berlin)」(rin art association、群馬、2020)。
主なグループ展に「VOCA展2019現代美術の展望−新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、東京、2019)、「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」(埼玉県立近代美術館、2020)

※現在、神奈川県横須賀市のカスヤの森現代美術館で個展「オブジェに指紋」を開催中(6月20日まで)。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん』
毎週木曜日 深夜0時45分〜50分、テレビ朝日(関東ローカル)

※テレ朝動画 では最新話・過去のアーカイブ、特別編PALOW.特集 を配信中!

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