遭難者たちの遺体が点在…。アルピニスト・野口健、エベレストで恐怖を感じた“衝撃の光景”

過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー『しくじり先生 俺みたいになるな!!』。

9月13日(月)の同番組は「放送枠移動直前スペシャル」と題し、アルピニスト・野口健による授業の前編を放送。

野口が「攻めの姿勢を貫きすぎて死にかけたしくじり」を衝撃告白した。

◆「人生、攻めあるのみ」

野口が山登りをはじめたのは、高校生のとき。

実は高校時代、学年一の落ちこぼれだった野口。その劣等感から、自分の存在を証明する手段として山を目指すようになり、16歳でモンブランに登頂成功したのを皮切りに、キリマンジャロなど世界の名峰を次々制覇。

1995年にはエベレストの登頂に成功し、同時に“七大陸最高峰制覇の史上最年少記録(※当時)”を樹立したスゴイ登山家だ。

ところが授業冒頭、野口は「エベレストで3回死にかけた」事実を告白。そのしくじりには、「人生、攻めあるのみ」という精神で生きてきたことが関係していると話す。

◆エベレストで目にした衝撃の光景

前編の授業で取り上げたのは、1997年、23歳でエベレストに初挑戦したときの「最初の死にかけ体験」。

野口によると、標高8000メートル以上の山はベースキャンプと上部のキャンプの間で上り下りを繰り返し、心肺機能を慣れさせながら少しずつ頂上を目指すため、登頂までに約2カ月間かかるのだとか。

そんな長期間かけてのチャレンジは、費用も莫大。しかも当時は七大陸最高峰制覇の最年少記録もかかっていたため野口への注目度は高く、登頂間際には「こんなに注目されて登れなかったら日本には帰れない…」とプレッシャーに苛まれていたことを打ち明けた。

そしていざ登頂に挑んだ野口だが、7000メートル地点を過ぎると衝撃の光景が出現。なんと遭難して命を落とした登山家たちの遺体が点在しており、「自分もそうなるんじゃないか」という思いがわき、次第に追い詰められていったという。

メンタルを削られ冷静さを失った野口は、標高7000メートル付近に差しかかったところで「絶好調だから今日で一気に頂上まで登ろう」と提案。

シェルパたちを説得してアタックを開始したのだが、待ち受けていたのは“気絶”という大しくじり。アップダウンを省いたせいで身体が順応できず、7800メートル付近で気を失ってしまったのだ。

◆「寝てもいいよ」「寝たら死ぬよ」交互に声が…

気絶したときのことを野口は、「寒いと思っていたら、(睡魔が来て)ふわっと気持ちよくなるんですよ」と邂逅。

すると、どこからか「もう十分がんばった。寝てもいいよ」という声と、「寝たら死ぬよ」という声が交互に聞こえてくるという、まさにドラマで描かれるような状態が自分に起きたと明かした。

その後、シェルパに発見され何度も殴られてようやく意識を取り戻したものの、野口は「オレはもうだめだから先に降りていいよ」と告げてしまう。

それを聞いたシェルパのひとりから「終わるぞ!」とネパール語で怒鳴られた野口。

終わる=死…その言葉の意味を理解した瞬間、「突然、死にたくない」という思いがわき上がったものの、カッコつけて先に行けと言ってしまった手前、何も言うことができず、シェルパのダウンジャケットをつかみながら「助けて」と目で合図を送ったと振り返った。

野口を助けることで二次遭難の危険性が高まるにもかかわらず、シェルパたちは「行けるところまで行こう」と決断してくれ、結果、野口はロープで引きずられながら10数時間かけて下山。

その途中も、あまりの苦しさに何度もあきらめかけてはシェルパたちに引っぱたかれて気持ちを奮い立たせる…という行動を繰り返し、満身創痍で降りて来たと激白。その壮絶秘話に、生徒たちも驚くばかりだった。

◆次回は野口健先生の授業後編

次回9月20日(月)は、放送枠移動直前スペシャルの完結編として、野口先生授業の後編をお届けする。

死の恐怖から復活したものの、またもや生死をさまよう大ピンチに襲われた野口。

標高8000メートルで迫られた究極の決断とは!? 攻めの姿勢を貫いてきた野口が、挑戦し続けている人に送る人生の教訓とは!?

番組情報:『しくじり先生 俺みたいになるな!!
毎週月曜 深夜0:15〜深夜0:45、テレビ朝日

放送終了後から「ABEMA」でも配信!
(1週間無料配信。その後は1年間、有料にて配信)

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