藤竜也、事務所を辞めて出演。裁判にまで発展した『愛のコリーダ』は「逃げちゃいけない出会い」

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大学在学中に銀座でデートの待ち合わせをしているときにスカウトされて日活に入社し、俳優になった藤竜也さん。デビュー当初は大部屋俳優に近い役も経験したという。

1968年、日活の看板女優だった芦川いづみさんと結婚。1973年、ドラマ『時間ですよ』(TBS系)の元ヤクザ・風間役で注目を集め、『寺内貫太郎一家』(TBS系)、『新宿警察』(フジテレビ系)や映画『アフリカの光』(1975年)などに出演。

ゴールデンタイムのドラマの2枚目役として人気を博していた1976年、大島渚監督の伝説的映画『愛のコリーダ』に主演。「芸術か、わいせつか」をめぐって物議を醸(かも)し裁判闘争にまで発展した…。

4月からドラマ『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日系)がスタート、5月には『初恋〜お父さん、チビがいなくなりました』、『空母いぶき』と2本の映画公開が控える藤竜也さんにインタビュー。

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◆デートの待ち合わせ中にスカウトされて俳優に

−スカウトされたときはどうでした?−

「キョトンとしていました。映画は好きでしたけど、俳優というのは頭になかったのでね。『学生さんですか。映画俳優になりませんか』って言われても、そういうことが可能だとは思っていなかったですからね。それから2、3日後に『映画会社に来てくれ』というハガキが届いたので、『本当だったんだな』と思って日活に行ったんです」

−それで日活に入社されて、最初は大変だったそうですね−

「何もできませんからね。何を言われても、それをからだで表現する術(すべ)なんてないんですから、それは大変でしたよ。別に劇団にいたわけじゃなし、俳優業のアカデミックな教育を受けたわけでもないですからね。でも、困ってばっかりもいられませんから手探りですよ。何年かかかりましたけど、『見て覚えろ』という感じですね」

−俳優という職業に迷いを感じたことは?−

「4、5年ぐらい『俳優とはこういうことなのかなぁ』って自分なりにつかんできて、その頃24、5歳ですからね。もう引き返すに引き返せないわけですよ(笑)。ですから『何とかこれはそれなりに決着をつけないと!』って。それから先が長いですからね。でも、結局は俳優が合っていたんでしょう。面白かったですからね。

うまく演じてその写真(映画)にあったキャラクターに収まれば褒めてもらえるし、そしたら次にまた仕事がくるし…。だから仕事がぼちぼち増え始めたってことは、なんとなく少しずつうまくいっているのかなあと思って」

−日活に入社されたということはお給料制ですか−

「給料じゃないですね。その当時の日活のシステムというのは、10万円が上限の生活保証給と、あと1本いくらというシステムでした。僕の場合、最初は1本5千円だったと記憶しています。

スタントマンの方が昔はいなくてね。たいていは若い衆がやっていたんですよ。それで危険手当みたいなのがあって、危険度によってお金を余分にくれるんです。そういうシステムだったので、僕も色々やりました」

−今でこそ俳優の方がからだを鍛えることは当たり前になりましたけど、藤さんがその先駆けだと言われていますね−

「仕事がなくて暇でしたからね(笑)。何かしていないと精神的に参っちゃいそうだったし、ちょうど会員制のスポーツクラブができ始めた頃だったので、会員になって、毎日運動していましたよ」

−現在もずっと続けてらっしゃるところがすごいです−

「ぼちぼち、なんとなくね(笑)。当時は俳優になったものの、当然のことながら、なかなか仕事がうまくいかなくて、いろんなギャングの手下の役とかをやるでしょう?そうすると、殴られたり、階段をダダダダダダッと転がり落ちたりするシーンを僕らもやっていたんですよ。

コツをつかめばそんなに危険じゃないんだけど、あんまり痩せているとやっぱりケガをするんですよね。だから少し筋肉で鎧(よろい)をつけるっていうのかな。先輩方がそういうトレーニングする場所が撮影所にあって、みんなで定期的にトレーニングをしていたので、そこに入れてもらって殺陣(たて)を教えていただいたりしていました」

−これまで撮影で大きなケガをされたことはありますか−

「ありますね。手術は2、3回しているんですよ。肩の骨折とか、割れたガラスのコップが背中に突き刺さったりとかしてね。何度かそういうことがありました。やっぱりアクションものは危険が伴うんですよね」

※藤竜也プロフィル
1941年8月27日、北京生まれ。神奈川県横浜市育ち。1962年、映画『望郷の海』」でデビュー。1970年代初頭、ドラマ『時間ですよ』、『寺内貫太郎一家』でダンディーな二枚目役としてブレーク。1976年、映画『愛のコリーダ』(大島渚監督)に出演。ドラマ『大追跡』(日本テレビ系)、『長崎ぶらぶら節』(テレビ朝日系)、『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)、映画『龍三と七人の子分たち』(2015年・北野武監督)など、テレビ、映画に多数出演。ドラマ『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日系)が放送中。5月10日(金)には映画『初恋〜お父さん、チビがいなくなりました』、5月24日(金)には映画『空母いぶき』が公開される。

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◆スター女優・芦川いづみさんとの“格差婚”は石原裕次郎さんのおかげ

1968年、27歳のときに藤さんは日活の看板女優だった芦川いづみさんと結婚。人気絶頂の芦川さんが結婚を機に女優業を引退したことが大きな話題に。

−スター女優の芦川いづみさんとご結婚するのは大変だったでしょうね−

「大変でしたね。彼女はすでに大スターで、僕はまだどこの馬の骨かわからないようなぺーぺーの役者でしたからね。風当たりが強かったですよ。色々言われましたけどあんまり感じなかったですね(笑)。そうなっちゃったんだから、しょうがない(笑)。

こればっかりは若いからね。情熱があるし、好きでかけがえがないと思うわけですから、もう怖いものはないですよね」

−石原裕次郎さんがずいぶん尽力してくださったそうですね−

「そうそう。『実は…』って打ち明けて相談したのはあの方が最初でした。影響力があった方ですから、石原さんが圧力を全部受け止めてくれましてね。あの方がいなければ結婚はできなかったですね」

−結婚式のタキシードも石原さんがプレゼントしてくれたそうですね−

「そうなんです。僕はお金がなかったからね。いわゆる結婚式のもてなしというのができないから貯金を全部引き出して、サンドイッチと鶏の唐揚げを用意して、『今、僕にできることはこれしかないので、これで勘弁してください。そのかわりお祝いのお金も何も持ってきてくださらないで』って(笑)。

そうそう、巨大なケーキがあったなあ。それは僕じゃなくて、家内がスターだったから会社が大きなケーキを用意してくれたりしていましたね。石原さんのおかげもあって、たくさんの方が来てくれましたよ」

−ご結婚から5年後、32歳のときにドラマ『時間ですよ』でブレークされました−

「そうね。あれからもう全国どこに行っても振り向かれるようになりました。映画はもう黄金期は過ぎていて、石原さんも僕が日活に入る1年ぐらい前に『石原プロダクション』を作っていましたからね。

ですから映画館にかつてのようにお客さんが入るわけじゃなく、認知度もなかったんですけど、それがテレビで一挙に変わりました。だから考えてみれば日活というのが1つのエチュードの時代だったとすれば、『時間ですよ』で認知されたということが、第二の出発だったんでしょうね」

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◆『愛のコリーダ』に出演を決めた理由は…

ドラマ『時間ですよ』で注目を集め、『寺内貫太郎一家』や2時間ドラマなどでダンディーな2枚目俳優として人気を博していた藤さんは、1976年、大きな決断をする。それは、昭和11年に起きた“阿部定事件”を題材にした映画『愛のコリーダ』への出演。

実際の性交シーンもある官能描写が「芸術か、わいせつか」という論争になり、裁判にまで発展。一方、海外ではカンヌ映画祭で上映されるなど芸術作品として高い評価を得た。

※映画『愛のコリーダ』(1976年・大島渚監督)
東京中野の料亭の主人・石田吉蔵(藤竜也)と住み込みで働いていた阿部定(松田英子)は激しく愛し合い、駆け落ちをする。2人は愛欲に溺れ、定は吉蔵を自分だけのものにするために殺害し、陰部を出刃包丁で切り取ってしまう…。

−『愛のコリーダ』への出演はすごい決断だったと思いますが−

「この話は僕が出ていたテレビ番組の助監督をやっていた崔(洋一)さんから来たんですよね。その縁で電話がかかってきて、『大島渚さんに会ってくれないか』っていうことで。

ちょっとセクシャルなシーンが多かったけれども、こういうベッドシーンがベースになって男と女の心のつながりを描くという切り口は初めてかなと僕は思ってね。すごい本だなと思ったんですよ。

セクシャルなシーンの向こうにある男と女が惚れる喜び、崇高さと滑稽さ、これは見事なもんだなと思って。これはやらなきゃいけないなと思ったんですよ。物議を醸(かも)すだろうということはだいたいわかっていましたけど、俳優としてやらなきゃ損だなって」

−2枚目俳優としてブレークしていた時期でした−

「テレビはたくさんの人に見てもらってありがたいんだけど、それを続けていたら秋風が吹くんですよ。だからそれを壊したいという思いもどこかにあったんですよね。これをやってやばい橋をちょっと渡ってみて、それで渡りおおせたら、また違う展望があるんじゃないかという感じはしました」

−『愛のコリーダ』への出演は所属されていた事務所のスタッフの方々も猛反対だったそうですね−

「そうですね。『それはまずいだろう。反対だ』っていうことだったので、事務所を辞めることにしました。そこの事務所の若いマネジャーから一緒にやりたいっていう話があって、それで事務所を辞めたんですよね」

−事務所を辞めてまで出演されることに−

「あんまり大げさに考えてはいなかったんですよ、本当に。計算ができる商売じゃないからね。仕事が来るのを待つ商売ですから、あんまり悩んでもしょうがないんですよ」

−『愛のコリーダ』は大きな転換期となったわけですが、あのときにやっていなかったら…と考えることはありますか−

「やっていなかったら、つまらない俳優になっていただろうね。今も大したことはないけれど、もっとつまんない俳優になっていたと思う。あそこでビビッて逃げちゃったら、ずっと傷になっていたでしょうね。表現者として自分の負い目になって一生傷になっていたと思う」

−あの作品は必然だったんですね−

「そうですね。そういう出会いだったんですよ。逃げちゃいけない出会いだったんだと思いますね。だからやって本当に良かったと思う」

予想通り、『愛のコリーダ』の反響は大きく、結果的に藤さんは約2年間、俳優業を休業することになったという。次回は俳優業復帰、主演映画『龍三と七人の子分たち』(北野武監督)、ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)の撮影裏話などを紹介。(津島令子)

(C) 2019西炯子・小学館/『お父さん、チビがいなくなりました』製作委員会

※映画『初恋〜お父さん、チビがいなくなりました』
5月10日(金)より全国ロードショー。
監督:小林聖太郎 出演:倍賞千恵子 藤竜也 市川実日子 星由里子 佐藤流司ほか
50年一緒に過ごしてきた夫婦が初めてお互いの気持ちに向き合ったとき、猫がくれた優しい奇跡が…。

※『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日系)
毎週月〜金 昼12時30分〜12時50分
脚本:倉本聰 主題歌:中島みゆき

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